「あ!オレ、いや私までも真殿教授は、とても不本意そうな顔で、『なぜFacebookをしないのか』と言ってきたことがあります。まだ医局にいた頃です。大喧嘩をする前も一触即発といった感じが漂っていたのですが、それでも誘ってくるのですから、イエスマンばかりの医局員は皆Facebookのアカウントを持っていると思います」
呉先生が棘のあるスミレといった笑みを浮かべている。
「――これは非常に興味深いですね」
スマホの画面を一度タップし、わざとらしく光の角度を変えると、まるで鑑定中の美術品でも扱うように目を細めた。過剰な芝居にはなんだか既に慣れた気がする。そろそろ耐性がついてきた気がする。薬剤耐性と同様に最初が一番効くというのと一緒なのだろうか。
「どのような発見をされたのですか?」
律儀で真面目な最愛の人が何だか義務のように聞いている。
「Facebookの友達一覧ですが、精神医学会の錚々たる重鎮方のお名前がずらりと並んでいます……が」
一拍、わざと息を飲むような間を置き、口角だけをわずかに吊り上げる。
「おやおや、『友達』なのはどうやら一方的なようですね。『フォローバック』――Facebookでは『相互承認』でしたか?……見事にゼロ。……これではさながら、招かれざるサロンの客といった風情です。形式だけの付き合いも、相互性を欠けば、ただの哀れな独演会ですからね」
アルマーニに包まれた広い肩を大仰に竦めてさらに口角を上げている。無駄に整った男らしい顔だけにその酷薄さはまるで、毒を含ませた万年筆のペン先が笑っているようだった。
「ということは、精神医学会からスルーされているということですか?曲がりなりにも『教授職』なのに?」
祐樹は思わず耳を疑った。最愛の人も、そして呉先生も、にわか雨に打たれた花のように、戸惑いを隠せずにいた。森技官はというと、まるで「ワトソン君、いい線だ」とでも言いたげに祐樹に向かって重々しく頷いてみせた。今にもパイプでも咥えそうな雰囲気の笑みだった。コカインではないだけマシだと思うことにしよう。
「何だか深掘りしたら面白そうだな。オレは、真殿教授の全ての投稿に『いいね』だっけか?それが付いているかを見ることにする!」
最愛の人は先ほどのA4の紙の備考欄の上に「精神医学会から認められていない教授」と書き込んでいる。
「わっ!!」
呉先生がスマホを床に落としたのを祐樹が拾い上げた。
「大丈夫ですか、画面割れていないですか?」
何気なくスワイプすると、初期設定そのままの画面が切り替わり森技官の、絵画のように端整な寝顔が現れた。
「え?」
小さく呟いただけなのに、最愛の人が顔を上げて祐樹の手元を見た。彼も森技官の寝顔――頬にかかる漆黒の髪とわずかに緩んだ口元。最愛の人はそれを見て、まるで春の陽だまりに咲いた花のような笑みを浮かべている。「――いい写真ですね」声に出すことなく、そう言っているのが分かるようだった。呉先生は祐樹と最愛の人の表情を見て察したのだろう。まるで、晴天の霹靂に打たれ、慌てふためいたスミレのようだった。
「いったい何があったのですか?」
森技官の男らしく整った眉間にシワを寄せてテーブルを回り込んできた。手にスマホを持ったままなのがきっとプロ意識なのだろう。普段から問題のある病院に派遣の皮膚科の医師として潜入捜査をしているだけに、証拠品は手放さない習慣がしみついているに違いない。
「いや!何でもなくて……」
森技官は唇をふっと弛めた。
「何でもない人がそんなに慌てないでしょう。田中先生、即座にスマートフォンを渡しなさい!!」
森技官の声音には一切の余地がなかった。祐樹は、有無を言わせぬ圧に気圧され、条件反射のように手を差し出してしまった。
「その、それは、そのう」
何だか動詞の活用形かと思うほどの語彙しか口に出していない呉先生を横目に、その画面を見た森技官はCMに出てくる俳優さんのような満面の笑みを浮かべている。
「いつ撮ったのですか?……もっとアングルを決めて『男前』に撮ってくださればよかったのに」
口では不満そうに言いながらも、その眼差しは明らかに愛情に満ちていて、呉先生をまっすぐに見つめていた。
「だってさ、どこかの大学病院長から依頼を受けてハケンの皮膚科医として潜入したり、徹夜してまで法案作成の仕事をしてたりするだろ?そういう時にさ、電話なんてできないから、このスマホを見て眠りにつくんだよ!悪いか!?」
呉先生は、まるで窮鼠猫を噛む勢いで叫んだ。それは自白というには切実過ぎて、もはや愛の告白だと祐樹には思えた。そして最愛の人も祝福するかのような笑みで二人を見ていた。
「愛されているのはとっくに存じていましたが、まさかこれほどまでとは思いませんでした。嬉しすぎて声も出ないです。あの真殿教授の精神医学会の隔離っぷりを見たでしょう?やはり真殿教授ではダメなのです。ね!スイートハニー」
「嬉しすぎて声も出ない」とか言いながら、よくもまあペラペラと話せるなと森技官の矛盾に可笑しくなった。
「わっ!!ここは香川教授と田中先生の家なんだぞ!!そういうことは二人きりになってからしろよ!!」
抱きしめようとした森技官は呉先生の必死の抵抗に遭っている。華奢な肘が森技官の手を思いっきり弾くとその勢いでスマホが綺麗な放物線を描いて床へと飛んだ。
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気分は 巻き込まれ クリスマスの後
そういえば、最愛の人も祐樹も「心臓外科」の医師一覧に載っているが、同じような「理知的で誠実な、そして控え目な笑みを浮かべてください」と広報室の人に言われた記憶がある。だからきっと同じ指示が医師全員に行き渡っているのだろう。
「私が特定不可能な以上、森技官に解決策を考えてもらうしかないでしょうね。うっかり見逃せば、呉『教授』の医局のガンになりかねません」
こうなったら森技官の緻密な、そしてまるで蜘蛛の銀の巣のような情報だけが頼りだ。
「ぶっちゃけ、オレが教授職に……」
キッチンに戻る途中で、不安におののくスミレの花といった感じの呉先生の声が聞こえてきた。きっと森技官に確認せずにはいられないのだろう。最愛の人もその声に気付いたのか、咳払いをすると声は止んだ。
「書斎での収穫はどうやら何もなかったようですね」
森技官は呉先生を必死に鼓舞していたのだろう。先ほどの芝居めいた感じはまったくなかった。きっと呉先生の薔薇屋敷に二人でいる時もこんな感じなのだろう。
「それがあいにく……。そのう、申し上げにくいのですが、職員食堂で呉先生を嘲笑する精神科の医師らしき人物を二人目撃したのです」
森技官が納得したように頷いている。
「田中先生お気遣いありがとうございます。私自身、僻地の系列病院に左遷されなかったのは奇跡だと思っています。ねたみ・やっかみの気持ちを抱くのも当然だと思っています。そんなことで一々傷つくことなんてありません」
カラリとした口調だった。
「呉先生に明確な敵意を持っているならば、その医師は呉『教授』医局の医局運営の妨げになることは必至です。医学的根拠に根ざしたことではなくて、まず批判ありきの言動を取ってくると思われますので、祐樹が特定しようとしているのを全面的に支持します」
最愛の人は氷を入れたバカラのグラスにミネラルウオーターを注ぎながら、まるで青い薔薇のようなため息をついていた。不満分子が気になるのだろう。
森技官は黙ってスマホを操作していた。あんなに多弁だったのに珍しいなと思いながら最愛の人が目の前に置いてくれたグラスを傾けた。きっとコーヒーばかりでは飽きると思ったのだろう。
「わあ!レモンのほのかな味と、そして香りが付いているのですね。この水は……」
呉先生がお日様に照らされたスミレのように嬉しそうな笑みを浮かべている。
「これって、ミネラルウォーターがほのかなレモン味なのですか?」
無邪気な感じの質問に最愛の人は薄紅色の薔薇の花のような笑みを返している。祐樹が演技を褒めたことも影響しているのかもしれない。
「いえ、これはレモン果汁を混ぜて製氷機で作りました。氷が解けるにしたがってさらにレモンの香気と味が楽しめます」
森技官は、それまで静かに弄っていたスマホをくるりと指先で反転させると、まるで舞台俳優が観客に向けて「決定的な証拠」を突きつけるように芝居がかった所作でゆっくりと掲げた。
「――田中先生、宜しければ、こちらをご覧いただけますか?」
その声音は柔らかいのに、漆黒の瞳が鋭く光っている。スマホの画面にはFacebookの投稿が表示されていた。表示されているのは、真殿教授のアカウント。いかにも教授らしいプロフィール写真の下に日付け入りでタグ付けされた画像がいくつか並んでいる。
「病院の公式サイトに映らない『日常』というものがFacebookには残るのです。投稿者の意図を超えて――ですね」
森技官は一拍置くと、スマホをまるで「美術品の目録」でも朗読するように読み上げ始めた。
「『精神科医局親睦バーベキュー』投稿日時昨年6月19日、タグには『#精神医療を語る夕べ#みんな仲間』とございます。なかなか情緒的な表現ですね」
わずかに笑みを浮かべながらもその仕草には明確な狙いがあった。これは単なる情報提供ではない。公開処刑のような静かな演出だ。
森技官が「美術品目録」かベートーヴェン直筆の楽譜のように掲げていた単なるスマホを、祐樹は「貸してください」とだけ言って、演出を断ち切るように無造作に取った。Facebookとは盲点だったなと思いつつ、画面を凝視した。
「多分ですが、この二人だと思います。こちらも若干くだけた笑みですが、あの揶揄めいた下品な笑みではないので……、100%とは断言できないです」
呉先生も椅子から立ち上がり、祐樹の手元にある森技官のスマホを覗き込んでいる。祐樹の隣に静謐な雰囲気で座っている最愛の人もスマホを見ている。
「ああ、高見先生と田島先生ですね。よかったぁ!梶原先生じゃなくて」
森技官は静かに手を伸ばし、スマホを祐樹の手からまるで舞台袖で小道具を回収するようにそっと取り戻した。
「真殿教授主催のバーベキューみたいでしたよね?だったら『いいね』で何か分かるかもしれません。またイエスマンの多い医局みたいですから、医局の皆さんも付き合いでFacebookを開設していても全く不思議ではないですよね」
森技官は冷徹そうな感じの笑みを浮かべながら、画面をスクロールしていく。その姿は情報分析というより「社交界の舞踏会の参加者名簿」を読み上げる執事のようだった。
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「別に私はガンジーのような非暴力主義者ではない。祐樹が久米先生の頭を叩いているのを見た時、その行為を彼自身が喜んでいると判断したので、敢えて干渉しようとは思わなかった。医局員全員も、あれは『愛のあるイジり』だと理解していると柏木先生が言っていた」
柏木先生は医局長でもあり、最愛の人の元同級生なので、祐樹が職務で不在の夜は時々呑みに行っていると聞いていた。医局のことも話題にのぼるのだろう。
「――ただ、呉先生をどうしても説得したくて……。私が法的かつ倫理的な立場から怒ることで、心理的に優勢に立てると思ったのだ。だから、慣れない『芝居』をしてみたのだが……不自然だっただろうか?」
まるで、芝居の出来を監督に尋ねるモデル出身の主演俳優のような最愛の人の表情と言葉に物凄く驚いてしまった。
「あれは演技だったのですか?私はてっきり本当に貴方があれほど怒っていらしたのは、暴力は絶対に許さないという信念から出た、本音とばかり思っていました。そういう価値観をお持ちなら、たとえ久米先生が内心望んでいるとはいえ、暴力は暴力なので、そのお詫びと今後は自制するということを伝えたかったのです」
祐樹の声は、ほんのわずかに掠れていた。怒りの熱量も言葉の刃も、あまりに真に迫っていて、てっきり本気だと信じていた。それになにより最愛の人が「芝居」をしたのは祐樹の知る限り初めてのことだった。最愛の人は、ほんのわずかに緩んだ。細く形のいい眉尻にかすかなしなりを見せ、唇の端に満足げな笑みの影が差す。
この人がこれほどまでに成長したことは祐樹の想定外だった。初めて会った時から付き合い始めの頃は表情もまるで読めずに真意を探りたくて焦れたものだった。そしてその後祐樹にだけ満面の笑みを向けてくれることが多くなった。最近では次期病院長選挙に備えて他の教授にも医局員にもごくごく自然な笑みや適切な言葉をかけていることは知っていた。しかし、空気が凍るほどだったあの怒りの発露が、まさか芝居だったとは……。祐樹は、最愛の人の成長曲線のあまりの速さに、ひそやかな感動を覚えていた。
「祐樹がそう受け取ってくれるということは合格点なのだろうか?」
最愛の人は息を詰めて祐樹を見上げている。
「合格どころか――百点満点です。迫真の演技にブラボー、いやスタンディングオベーションのために立ち上がった一人目でも構いませんが、それほど圧巻の演技でした」
祐樹の声に惜しみなき敬意を感じたのか、最愛の人はまるで大輪の薄紅色の薔薇が咲き誇ったような笑みを浮かべている。
「貴方が、あそこまで『計算された怒り』を見せるとは思ってもみませんでした。……しかし、その力があったから、呉先生もようやく決意をしたのですよね」
最愛の人の大輪の薔薇のような笑みがさらに深くなった。ただ静かに、満ち足りた舞台終演後のような沈黙が流れていた。あのキッチンという名の即席舞台で、主演男優賞にふさわしいのは最愛の人に決まっている。無駄にスベり倒した森技官では決してない。
「祐樹、精神科の医師一覧がやっと表示された」
その怜悧な声に祐樹もモニターを注視した。
「どうして呉先生のいないところでという条件を出したのだ?」
モニターに映る医師は皆「理知的・誠実」という仮面をつけたような、よそ行きの顔をしていた。だが、祐樹の脳の中――白亜紀にでも埋まっていそうな記憶の層には、呉先生を揶揄し、嘲笑していたあの二人の顔が確かに存在している。しかし、モニターの画面と、その記憶がどうしても一致しなかった。
「いつのことか忘れましたが、職員食堂で『クレーム外来に飛ばされて、出世を諦めるなんてバカだよな。オレはそんなバカの二の舞になんて絶対にならない』『その通りだ。教授に喧嘩を売るなんて自爆行為だろ?なんでそんなことをするかね?教授のどんな無茶振りでも『おっしゃる通りです』とスルーすればいいだろう?それが出世に繋がるのだからな。あーホントにバカだよな。クレーム外来に飛ばされていい気味だ』みたいなことを言っていました。しかも思いっきりあざ笑う表情でしたので、恐らく本心でしょう。その二人は呉『教授』の返り咲きを快く思わないばかりか、妨害行為をする恐れもあります。だからこそ何とか特定して……」
最愛の人のしなやかな腕が祐樹の首に回され、唇にやや冷たい彼の唇が重ねられた。まるで唇で祐樹の言葉を受け入れた上で封印するようなキスだった。
「ああ、なるほど……。祐樹は呉先生の心を守りたかったのだな。しかし、呉先生はそのような言葉では絶対に傷つかない。言われ慣れ過ぎていると本人が笑って言っていた。ただ、そういう不満分子を医局に置くことが出来ないという祐樹の危惧も尤もだ。それで、この中の誰なのだ?」
最愛の人が細く白い指をモニター画面の方へと向けている。
「……それが、この『よそ行き』の顔では判断が付かないのです」
最愛の人も納得したように若干細い肩を竦めている。
「ほかのページも同じような『仮面』で統一されていますよね?」
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「ウチの病院のサイトに、精神科所属の医師の顔写真は載っていましたっけ?」
最愛の人が淡い笑みを浮かべて頷いている。誰が聞いているかも分からない職員用の食堂で呉先生を揶揄する医師二人は、たとえ親真殿派ではなくても呉「教授」に反対するはずだ。
二人で暮らしているが、書斎は最愛の人の個室のようなもので、祐樹は許可なく入らない。逆に呉先生が精神科医師にはあるまじき行為の、眠剤やけ飲みをして眠っていた祐樹の個室に最愛の人は入ってこないという暗黙のルールが出来ている。
「まだ確定ではないので詳細は伏せますが、呉『教授』率いる精神科にあまり好ましくない医師が紛れ込むのを防ぐために顔と名前を一致させたいのです」
祐樹の頭の中には、職員用の食堂で耳にしたあの声――呉先生を侮蔑的に笑った医師二人の顔が、まだはっきりと浮かんでいない。記憶の地層の奥深く、それこそ白亜紀あたりに化石のように眠っている映像を掘り起こすには、最愛の人の書斎にある大画面のパソコンが必要だった。
「祐樹、だったら書斎に行こう!」
最愛の人が弾むような足取りでキッチンを横切っている。祐樹も後に続こうとして椅子から腰を上げ、歩もうとした時だった。
「……それこそ、スマホで済む話ではないのですか?」
口調は軽いが、その音声には「写メ送信事件」の根に持ち度数が濃厚に滲んでいた。祐樹は心の中で天を仰いだ。「国家機密でもあるまいし」と突っ込みたかったが、森技官だって不安を押し殺そうとしているのだとの結論に至った今、慈悲の心で接するのがベストだろう。
呉先生は祐樹が写メと敢えて呼ぼう――その撮影のためにテーブルに置きっぱなしになっていたA4の用紙そのものには一瞥もくれず、ぞんざいに手に取ると、「親真殿派」「備考欄」の文字にだけ視線を這わせ、スミレ色のため息を零している。
「写メって……。あれは清水研修医だからですよ」
半ば呆れて言い返し、祐樹は最愛の人の先導で書斎に向かった。後ろから森技官の、「芝居のラストを台無しにされた老魔法使い」のような、くぐもった嘆声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
「祐樹、森技官はああいうテンションではないと多分自分を保てないのだと思う……。だから私達は大目にみるか、スルーするかだろうな」
最愛の人が祐樹の思考とシンクロしたような内容を怜悧な声で告げてくれた。
「それは私も先ほど気付きました」
書斎のデスクにツバメのように腰を下ろした最愛の人の指先が踊るようにキーボードを打つ。微塵も迷いのない動きは、まるで楽譜のない演奏のようだった。祐樹はそのしなやかな白い指の奏でる音に、ひどく静かな高揚感を覚えていた。祐樹なら、大学病院のサイトは当然のようにブックマークに入れている。しかし、最愛の人は必要な時に必要なものを検索する――まるで無駄を一切排除した、洗練された美意識のようでもあった。「調べる」という行為一つ取っても、二人のスタンスには確かな違いがある。それが妙に愛おしく、そして少しだけ誇らしいと、祐樹は思っていた。
「……先ほど森技官と開いた時もそうだった。システムが古いせいだろう」
諦めたように背もたれにしなやかな背中を預けている。
「ああ、どうせ経費節減と呪文を唱えていればどこからかお金が降ってくると思っている事務局長がシステムを新しくする経費をケチっているのでしょう」
祐樹の毒舌に最愛の人が小さな笑みの花を空中に咲かせている。
「それよりも、あのう……貴方に謝らなければならないことがあります。暴力は絶対に許されないとおっしゃっていましたよね。私は久米先生が思いっきりズレたことを言ったりしたりした時、ついつい手が出てしまいます。今後は慎みますので」
本当は足を使った覚えもあったが、最愛の人の逆鱗に触れそうでついつい過少申告をしてしまった。祐樹が、国際公開手術の成功者として日本心臓外科学会に金字塔を残した。次に医局内で招待状が来るのは久米先生だろうというのが医局の一致した意見だ。祐樹自身も心からそう願い、応援していた。そんな久米先生は、祐樹に対してだけは子犬のようにまとわりつき、頭を軽く叩かれるところまでが彼の中では様式美――いや愛情表現の一環になっているらしい。たまに足が出ることがあるが、それもぽよんとしたお腹限定で、本人もくすぐったそうに笑っているだけだった。
彼は涼しげな切れ長の目を見開き、そして細く長い首を傾げて祐樹を見上げている。驚いているように見えるが、どこか笑いを堪えているような不思議な表情だった。
「祐樹が久米先生の頭を叩いているのは、実は何回も見ているのだ」
むしろ照れくさそうな笑みを浮かべている。医局に最愛の人がいる時はやはり張りつめた空気になるので祐樹も久米先生の頭など叩かない。医局を通りかかった際にまたま見たか、あるいはドアをスライドさせる前に数秒とか数分、ガラス部分から覗いていたのかもしれない。だとしたら照れた笑みも納得だ。
「え?法律的にも倫理的にも許されないとおっしゃっていましたよね?」
パソコンの画面と同様に祐樹の頭も何だかクルクルと回っているような気分になった。
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特筆すべきは最愛の人の麗しい筆跡のみで、祐樹には縁のない名前の羅列に過ぎない。森技官が、あたかも国家機密のように大切に抱えていたその紙を、祐樹はテーブルに広げ、何の演出もなくスマホで撮影し、LINEで清水研修医に送信した。一応「極秘でお願いします」とだけ添えた。清水研修医にはそれで通じるだろう。何しろ彼は、京都一の私立病院の御曹司に相応しい政治力を持っているし、視野も広い。そして何より、呉「教授」待望論者だ。
確か清水研修医は救急救命室勤務だったはずで「凪の時間」になったらLINEに気付くだろう。大学病院の「出島」と評される救急救命室は独自のルールがあり、スマホも休憩室に置きっぱなしにしている医師も多い。しかし、祐樹は最愛の人との個人的な関係を隠すために何重にもロックをかけているし、清水研修医も同じことをしている。久米先生のように大人向けの恋愛シュミレーションゲームに勝手にログインできてしまうような無防備なことはしていない。ちなみに清楚な顔なのに胸がやたらに大きいセーラー服のキャラの好感度を上げると一枚一枚脱いでいくといったゲームで、祐樹は暇つぶしに好感度ゼロに下げ久米先生をイジったこともある。そのことに気付いた久米先生は怒ってはいたが、目はむしろキラキラしていた。まるで、「田中先生が自分のスマホを気にかけてくれた」こと自体が嬉しくてたまらないとでも言うように。
そんな無防備なことを清水研修医は絶対にしない。そういう確信があって祐樹はLINEで送信した。しかし、そのコピー用紙を「国家機密」のように扱っていた森技官はなぜか露骨に不機嫌だった。まるでお気に入りの駄菓子を勝手に半分こにされた子供みたいだった。いや、名画の上にコーヒーをこぼされた鑑定士というほうが適切かもしれない。
「……あの、せめて『写メ』と呼んでください」
聞こえるか聞こえないかのような声で呟いていた。その目元には「これは歴史的瞬間なのですよ?」と言いたげな憤りと哀愁がうっすらと漂っていた。祐樹は写メでもスクショでもどうでもいいだろと思いつつ最愛の人の背中を見ると、淡々と洗い物を続けている。森技官もその姿を見て諦めたように口を閉じた。普段は冷静沈着かつ臨機応変な森技官がこんなに芝居がかっているのだろうかと思いをはせた。この場の主役の一人でもある最愛の人が食器を洗い中なので、何となく待機時間中という雰囲気だった。
森技官は、本当は焦っているのかもしれない。普段なら、ここぞとばかりに誰かの論理の穴を突き、皮肉で一刀両断するのが森技官だ。しかし、呉「教授」計画を最愛の人と祐樹が口に出した時から、揶揄も嘲笑も足りていない。代わりにあるのは、「呉教授待望論」という名の紙芝居を、声高に、そして大スベりをかましつつ演じ切ろうとする姿勢は違和感を覚えた。あんなふうに熱っぽく語る森技官を、祐樹はこれまで一度も見たことがなかった。あの芝居っけたっぷりに語った姿はもしかして不安を押し隠しているからではないだろうか。
もし、恋人の呉先生が教授になれなかったら?もし、森技官の策略の糸よりも、真殿教授の院内政治のほうが強力だったら?そして、もし――森技官だけでは呉先生を守りきれなかったら。
そんな「万が一」を言葉に出来ずに飲み込んで、いつもの毒舌の代わりに、芝居めいた演出で包み隠しているのだろう。祐樹はそっと息を吐き、笑う代わりに最愛の人が淹れ直してくれた世界一美味しいコーヒーを飲んだ。ならば祐樹はせめて笑わずに付き合おう。それがきっと最愛の人の望みでもあるのだから。
スマホをチェックしたが清水研修医の「既読」はつかない。しかし、この時間は救急搬送される患者さんも多いのでスマホどころの騒ぎではないのかもしれないなと思っていると、手を洗い終えた最愛の人がしなやかな動作で祐樹の隣に座った。
「――さて、確かに梶原先生以外は親真殿派に見えますが」
最愛の人は、まるで冷静に症例を読み解くときのような研ぎ澄まされた声で語りだした。
「呉先生は梶原先生から直接不満を聞かれたわけですよね?他の医師とはそういった類いの話はしたことがないだけですか?」
呉先生は戸惑ったスミレといった感じだった。
「はい。不定愁訴外来にまで来てくれるような『奇特な』医師は、梶原先生だけですから」
祐樹は職員用の食堂で聞いた精神科らしき医師の呉先生への揶揄めいた口調を思い出した。「しょせんは、クレーム外来に飛ばされた身の上だろう」と言っていた。「クレーム」と「呉」を掛けているのは、言うまでもない。しかし、真殿教授と大声で口論となりながらも、大学病院に残ることが許された精神科の医師は呉先生一人だけだと聞いている。そして、そこには斎藤病院長の思惑が絡んでいる上、不定愁訴外来を受診した入院患者さんの愚痴のうち、明らかに病院側の不手際だと判断された内容は、呉先生から斎藤病院長に報告されていることなどを考えると呉先生の教授就任を病院長はむしろ歓迎するのではないかと思った。
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