彼は付け根まで繋いだ手を離すとシューズボックスの上のリッツ・ロンドンの缶を大切そうに開けた。
最愛の人は几帳面な性格なので思うところもあるとは思うけれども、敢えて無造作な感じで置いてある缶だ。
その中から百貨店でリフォームして貰った時に貰ったという小箱を取り出して清冽な煌めきを放つダイヤモンドの指輪を取り出して大切そうに指に付けている。
病院などの外に行く時には指に嵌めて、帰宅したらその缶に戻すというのがロンドンから二人で帰国してからの習慣になっている。
部屋では「祐樹のお父様がお母様に贈った時の煌めきをずっと保っておきたいので」と言ってくれていて、玄関先に置いてある。
缶の中に入れてあるのは万が一このマンションが火災に遭っても無事なようにするためだ。ダイヤモンドは炭素で出来ているので燃える、理論上は。
実践をしてみても面白いと祐樹的には思っているのだけれども、最愛の人がこんなにも大切にしてくれている指輪で実験するのは絶対に無理だ。
出来れば長岡先生に是非先駆者としてして貰いたいと思う程度だ。
それはともかく、マンションが火事に遇うリスクに備えて缶に密閉している。几帳面な性格の人が敢えて乱雑に玄関先に置いているのは空き巣などに目を付けられないためだ。
そして日本では珍しいリッツ・ロンドンの缶を使用しているのは万が一火災に遭って全焼してしまった場合に所有権を主張するためだそうだ。
そこまでして指輪を守りつつ日常使いをしてくれる彼の真っ直ぐな気持ちが嬉しい。
祐樹なら銀行の貸金庫の中に仕舞いっ放しにして使わないというある意味楽な選択肢を取るだろうから。
「お待たせして申し訳ない」
そう紡ぐ淡い色の唇に唇を重ねた。
「祐樹とこうして散歩しているだけで充分楽しい、な。感じたというのは一体……」
大学病院の裏手の道へと回った。具体的には呉先生の不定愁訴外来も入っている旧館の更に奥で病院関係者はまず訪れない。
ちなみに倉庫とか今使われていない資料室などの屋根の有る場所は不倫の巣窟だと言われている。
しかし、ここは細いとはいえ道なのでそんなことを仕出かすカップルもいないだろう。
「そうですね。最愛の貴方とこうして一緒に歩むだけで充分過ぎるほど幸せです。あ、ほら赤蜻蛉が飛んでいます。もうすっかり秋の気配ですね……」
最愛の人は5匹の赤蜻蛉が飛んでいる様子を愛おしそうな眼差しで見ている。
「赤蜻蛉は夏には高原に居て、秋になると平地に下りて来るのだろう?その飛行距離を考えると何だか凄いと思える……。
あ!祐樹が感じると言ったのはこの香りなのだろうか?」
切れ長の目を閉じて香りを聞く感じだった。
「はい、そうです……。昨夜、今年初めての金木犀の香りが漂って来て……。しかし、他の場所ではまだ香っていないので珍しいなと思って……」
最愛の人は確信に満ちた感じで歩みを進めている。彼の室内着は襟ぐりの深い物で白く滑らかな肩も露出している。祐樹が来ていたカーデガンを着せ掛けた。
「有難う……。少し寒いなと思っていたので……。それに祐樹の香りに包まれてとても気持ちが安らぐ……」
薄紅色の笑みの花を咲かせて祐樹を見上げている。
「金木犀の花は寒い場所から咲くので、日の当たらない木が早いと思う。だからこちらの方角に咲いているのだと思うのだが……」
最愛の人が歩んでいる方向を見ると、小さなオレンジ色の花が見つかった。
「ああ、この木ですね……。夜ほど薫っていないですが……」
ポケットに偶然入っていたハンカチを広げて最愛の人を座るように目で合図した。
祐樹も隣に座ると、彼が肩に凭れ掛かってきた。旧館の奥の道には人が居ないというのを知っていたに違いない。「秋の薫りを祐樹とこうして感じるのはとても幸せだ……」
最愛の人が祐樹の唇に薄紅色の唇を重ねた。金木犀の薫りに囲まれて交わすキスはこの上もなく幸せだった。
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誕生日企画 ロンドン編の後
最愛の人が焼きたてをトレーに載せてテーブルに並べている。
「見るからに美味しそうですね……。そして懐かしいです」
イギリスで実物を見た時には鰯がヌッとした感じで突っ立っていたのには少々ギョッとしたのも事実だったけれども食べてみると大変美味だった。
イギリスでもコーンウォール地方の郷土料理が発祥だったらしいけれども、今は普通にロンドンで食べられる。
ただ、フレンチやイタリアンと比べてイギリス料理店は日本になかなかないし、こんなに短いスパンで再び食することが出来るとは思ってもいなかった。
「味は保証出来ないのだけれども……」
最愛の人が薄紅色の粉を撒いたような笑みを零している。
「大丈夫です、口を合わせますよ。それに貴方が作って下さる料理は一度たりとも不味いと思ったことはないです」
精緻かつ鮮やかな動きでパイを切り分けながら嬉しそうな、そしてどこか不安そうな表情を端整な顔に浮かべている。
祐樹は彼のように見事な料理を作ることは未だ出来ていない。
出会って最初の頃に医局トラブルが勃発して祐樹の人生で初めての手料理を振る舞ったことがあった。
今思い出すと赤面の至りというか……あれを料理と言って良いものなのかという根本的な疑念すら湧くシロモノだったのだったが。
とにかくそういう料理らしきものを学生時代から住んでいる祐樹の部屋で振る舞った時には反応がとても気になっていた。
レベルは天と地ほど異なるけれども、きっとそういう気持ちと同じなのだろう。
「そうか……。その記録が更新されるのを切実に願っている」
サラダボウルや冷製のポタージュスープを手際よく並べつつ、ごくごく真面目な表情を浮かべている。
「きっとそうでしょうね……。頂くのが楽しみです」
手伝うことが見つかれば祐樹も手を貸したかったのだけれども、見た感じそういうモノは皆無だった。
「どうぞ、召し上がれ」
向かい側に座った最愛の人が息を詰める感じで見詰めている。
祐樹は手を合わせて「頂きます」を言って軽く頭を下げた後にフォークとナイフを取ってこんがりとキツネ色に焼けたパイをまず分けることにする。
鰯の頭は4つ突き出ていたので、そこを避けて180度にまず切ってから、90度を目分量で計ってナイフで分けた。その後食べやすい大きさにして彼の皿に置いた。
「一応、味見はしてあるのだが……」
祐樹がフォークで刺して食べようとすると何だか眩しいモノでも見るような感じだった。
「ああ、とても美味しいです。パイの生地に鰯の独特な味が絡み合って最高です、向こうで食べた物よりも……。
この味は病みつきになりそうですね……」
最愛の人は安堵した感じの笑みの花を浮かべている、満面に。
祐樹が知っていた鰯の食べ方は醤油を掛けて細いが口の中に刺さると痛い小骨を取り分けつつ食するというものだったけれども、このパイは予め小骨を取り除いてあるので物凄く食べやすいい。
「そういえば……、救急救命室の休憩室に置いてあった週刊誌のエッセーを読んだのですが、とある女流作家が料理を習って帰ってご主人に出したらしいです。
一口食べて『君は人に出す前に自分で味見をしたのか?』と烈火のごとく怒られたそうです。
貴方にはそういう危なっかしい点がないので安心して美味しい料理を頂くことが出来ます」
切れ長の目を瞠っている。フォークとナイフを手に取って軽やかに動かしている。
「我ながら良く出来ていると思う……。隠し味に醤油を入れたのが良かったみたいだな……。
それはそうと料理をしながら味見をしない人がいるのか……。そちらの方が不思議だ」
切れ長の目を見開いたのはそういう理由らしい。
「居るみたいですね……。
それはそうとやはり貴方の料理はとても美味しいです。生地もパリッとしていてとても鰯と調和しています。
お暇の有る時で構いませんのでまた焼いて下さいませんか?いえ、今度は一緒に作る方が良いかも知れないですね……。とにかくクセになる味です」
正直な感想を述べると最愛の人は花よりも綺麗に鮮やかに微笑んでくれた。
「家で寛ぐ前に散歩しませんか?穴場を見付けたので」
食事の片づけをしながら座ってコーヒーを嗜んでいる最愛の人に聞いてみた。
「穴場?それは楽しみだな……。この近くなのだろう?」
弾んだ声が燦々と日が射すキッチンの中に一層の煌めきを添えるようだった。
「そうです。私も昨日見つけた……いや感じたのですが?」
テーブルを拭く祐樹に最愛の人が長い首を優雅に傾けている。
「見つけた」というのはきっと彼の想定内だっただろうが「感じた」というのは何だろうと考えているのだろう、多分。
「だったら着替えなくても大丈夫だろうか?」
いそいそと立ち上がって祐樹を見上げる仕草も魅惑に満ちている。
「あ、祐樹少し待って欲しい」
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誕生日プレゼントを下さった方、そしてお祝いのコメントを下さった方、本当に有難うございます!!
私には小説の他に何も期待していらっしゃらないと思いますので、毎晩ちまちまと書きますね!!
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そして最後まで読んで下さって有難うございます!
こうやまみか拝
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コーヒーの良い香りが寝室にまで漂って来て祐樹は目が覚めた。
今日は土曜日で、そして何時だろうかとベッドヘッドの時計を見ると12時15分を指している。昨日は普段と同様に救急救命室勤務を終えて3時に帰宅した。
つまりは9時間近く眠っていたわけで……、そう判断した瞬間に飛び起きた。
最愛の人は祐樹の激務を慮って敢えて起こさなかったのだろう。
そして、もしかしたら朝食も無駄にしたのかも知れない。
最愛の人の愛の籠った手料理は一度たりとも無駄にしたくない。
最短の時間で身支度を整えると慌ててキッチンへと行った。
「お早うございます。思いっきり寝過ごしました」
祐樹は睡眠時間が短くても大丈夫な体質なのに、今日は熟睡していたらしい。
「祐樹お早う。そろそろ起こそうかと思っていたところだ。
きっと疲れが溜まっていたのだろう?私も11時頃に起きて、祐樹が目覚めそうになかったので、ブランチの用意をしながら祐樹のことを考えていた」
咲きたての薔薇が朝露に濡れていて、今日初めての太陽に照らされているような笑みで告げられる。
襟ぐりの深い部屋着を着てエプロンを着けた最愛の人に近付いて「おはよう」のキスを交わした。
どうやら最愛の人も今朝はゆっくりと起きたらしくて安心する。そして無駄な朝食の支度もしていない点も。
今日明日の休みはどこにも出掛けずにこのマンションで過ごそうと決めていた。
「上手く出来ていれば良いのだが……。何しろぶっつけ本番で挑んだので……」
最愛の人が真剣な眼差しでオーブンを見ている。
「上手だろうが失敗作だろうがお腹を下さない限り何でもいただきますよ」
彼は紅色の花のような笑みを浮かべているが眼差しには真剣とか緊張そのものといった光を宿している。
何にでも真面目に取り組む人なだけに料理の完成度が気になって仕方ないといった感じだった。
どんな料理なのだろうか?「
確かにお腹を下して、しかも日曜日までに完治しないとなると執刀医として差し障りが有るな……。
充分に火を通したからその心配はないだろうが……。レシピではあと10分くらいで焼きあがるので、コーヒーを飲んで待っていて欲しい」
キッチンのテーブルの上には今から使われると思しき食器とカトラリーしか置かれていなかった。
オーブンを使っているということは洋風の食事だろう。サラダなどの副菜類は既に作って冷蔵庫に入れてあるに違いない。
「何か手伝いましょうか?」
多分「気持ちだけで充分嬉しい」など、そういった返事が返って来ると予測していた。何事にも器用な最愛の人が、出来上がりを気にしているという点で祐樹にも料理名は内緒らしいので燕のように身を翻した最愛の人のウエスト部分の衣服の窪みを惚れ惚れと眺めて待っていた。
「いや後はオーブンから出して切り分けるだけなので大丈夫だ。
それにしても、祐樹なら安心してこのコーヒーカップが出せるな……」
漆黒の液体が満たされているカップを受け取りながら彼の独り言のような言葉に内心首を傾げた。
「どういう意味ですか……?」
カップはエルメスの青色の楕円形に穴が開いていて鎖のように繋がっている模様の入った物だ。
ちなみに彼への贈り物を買いに店舗に赴いた時に同じ意匠のブレスレットか何かを見た覚えが有る。
「これは食器としてはかなり薄いだろう?長岡先生や呉先生に出したらうっかり割ってしまうか罅が入るリスクがかなり高いので怖くて出せない。今は廃番になっているので新しく買うことは不可能なので……」
苦笑を浮かべている最愛の人はよほど懲りたのか若干華奢な肩も竦めている。
「長岡先生はともかく呉先生も、ですか?」
長岡先生の稀にみる不器用さは知っている。しかし呉先生はその域までは達していないような気がするのだが。
「呉先生は特に真殿教授の話題になると我を忘れてしまうので、目の前に有る物を真殿教授と思い込んでしまって……、乱雑に扱うとか、ついうっかり力加減を間違えるなどはあるな……」
祐樹は不定愁訴外来に行ってコーヒーを出して貰う立場なのでそこまでは知らなかった。
精神科の真殿教授とは過去に大喧嘩した犬猿の仲らしくついつい語気にも手にも力が入ってしまうのだろう。
「そうなのですね……。あ、十分経ちましたよ?」
コーヒーを味わって飲み干して壁の時計を見ると11分が経過していた。向かい合ってコーヒーカップを手にしていた最愛の人の表情が真剣みの帯びた怜悧な表情へと変化した。
一体何を振る舞ってくれるのだろう?
「種明かしとまでは申しませんが、せめてヒントだけでも……?」
椅子から立ち上がってオーブンの方へと歩む最愛の人の白く長い首が何かの花芯のようでとても綺麗だった。
「ヒントも内緒だ……」
怜悧な声で返されて溜め息を一つ零した。まあ、数十秒後には判明するのだろうから気長に(?)待とう。
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誕生日プレゼントを贈って下さった方には作品でお礼を言いたくて。ただ、物で返すよりも作品でと思っています。
しかし、家庭でアクシデントが勃発しまして。
贈って下さった方や日頃読んで下さっている読者さまに「誕生日企画」(二・三話ですが)をお送り致します。
最後まで読んで下さいまして有難うございます。
こうやまみか拝
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