後輩でもある久米先生に対して割と辛辣な口調ながらも丁寧に教えているのは知っていた。
それに以前は職員専用の喫煙所で――今はさらに不便な場所に移動されている――ナースの愚痴を聞きつつ病院内のウワサを収集していたということも。ただ、その時もナースの愚痴を聞いてアドバイスをする程度しかしていなかったと聞いている。今は仕事が忙しくてウワサの収集は止めているみたいだが。
恋人同士になってからは、親密な夜を共に過ごしている。経験値の差が圧倒的に開いているせいもあって、祐樹の方がイニシアティブを執ることの方が多いのは確かだ。
ただ、退屈なフランス映画に有りがちな――祐樹の居ない夜は家事をしながらテレビ番組や映画を流していることが多い――「女性家庭教師と教え子の夜のレッスン」めいた感じは全くないような気がする。
全てを教えるというのではなくて、お互いの感じる場所を一緒に探していくというスタンスと言ったら良いだろうか。
自分の場合、祐樹の前に経験したのは、絶対に日本に帰ることはないと思っていたので、祐樹に何となく似たアメリカ育ちの日系人と一度だけ関係を持った。その時は淡々とコトが進んで(何だ、こんなモノか)と思った。
祐樹との愛の行為は全くそういう想いを抱いたことはなかったし、愛の手管に甘く紅い海に溺れていくような感じだった。ただ、教えて貰ったわけでもないし、唇と喉で愛する行為については「聡ほど上手く出来ませんが……」と何度も言われた覚えがある。
祐樹には恋人に教えるのが楽しくて仕方ないという感じは全くないなと思う。
一人暮らしの時は全く料理を作っていなかった祐樹の初めて作ってくれた料理の味はともかくとして、その気持ちが嬉しかった。包丁(?)も思いっきりメスの持ち方だったし。
その後一緒に住むようになって自分が料理しているのを見て祐樹も作ってくれるようになった。コツのような物は教えたけれど、祐樹はほぼ独学で料理を作ってくれるようになった。
お互い相手に教えるというのが余りないような気がして、この例には当てはまらないなと思っていると、ドアのノック音が控えめに響いた。
「長岡様にお届けに参りました。お待たせして申し訳ありません」
コーヒーが届いたのだろう。長岡先生は床に無造作に置いた愛用のバックの中身をひっかきまわしている。
ホテルの宿泊した時にはレストランで食事をした場合、部屋にツケておいてチェックアウト時に清算出来るシステムだが、配達の場合はそういうシステムではなさそうだ。
「こちらがお話を伺っている立場ですのでお支払いします」
普段から財布は常に持って歩いている。手術の時はロッカーに入れて施錠しているが。
長岡先生が返事をする前に立ち上がってドアを開けて会計を済ませた。
「何だか申し訳ないですわ。
大したお話もしておりませんのに……」
正直祐樹の件については参考にならなかったのだが、自分の知らない世界を教えて貰えたし、貴重な時間を割いてくれたのも事実だったので。
「そのバック……大きすぎませんか?男性も持てるようにとか旅行用に使う大きさですよね?」
コーヒーとケーキ、そして砂糖とかミルクとかが載ったトレイを持って机に並べながら言ってみた。
たまたま一人で服を買いに行った時に、壁だと思っていた場所が魔法のように開き、そちらに招き入れられた覚えが有る。その時は内心驚いたが、スタッフ曰く「特別なお客様だけを通す客室で、良い物が入荷しましたので」とのことだった。確かに部屋は暖炉の炎を思わせるブランドカラーを基調にした壁とかソファーやクッションも同じブランドで統一されているリビングルームのような部屋だった。
そして、スタッフが捧げ持つように持って来たのが、色は違えども大きさは同じ大きさのバッグだった。全く買う積りなどないので固辞した覚えがある。「女性がパートナーと兼用でお持ちになることが多いです」とのセールス文句だったが、祐樹は「雨に濡れたらダメなバックって……持つ意味有るのですか?」と呆れた口調で言っていたし、そんな大きなバック、しかも祐樹曰くブランド物に目ざといナースの視線を集めるような代物は持ちたくないし、持つ必要も全く感じなかった。
「いえ、京都の百貨店にたまたま寄ったら、ゲストルームに呼ばれまして……。レアな色だからと勧められてついつい買ってしまいましたの」
長岡先生の今日のスーツは水色で、カバンの取っ手とベルト部分も水色、そして本体は桜色だった。
「それに、今は需要と供給のバランスが崩れていまして、毎日入荷しているかを確かめにいらっしゃる方が多いらしいですの。エルパトと俗に言われているようですが」
そう言えば自分が店内に居た時も「バーキンかケリーの入荷は有りますか?」とだけ聞いて帰って行った女性が8人居たなと思い出した。スタッフは「見て参りますので暫くお待ちください」と言ってバックヤードと思しき場所に入って引き返し「申し訳ございません」と頭を下げて言っていた。スーパーでたくさん売っている野菜などの場合は売り場で品切れだったとしても、店員さんに言えば出して貰えることが多い。しかし、バックの入荷数くらいは把握出来るだろうと内心思っていたのだが、今思うとあれは客を不快にさせないためのような気がする。
「エルパトとは何ですか?」
聞き慣れない単語だったのでつい聞いてしまった。コーヒーカップの湯気を唇に当てながら。
「エルメスパトロールの略らしいですわ。毎日行って在庫が有るかをパトロールするという意味です。
私の場合ゲストルームに入ってしまうと、何だか買わなくては申し訳なく思いまして……つい買ってしまいましたの」
ああ、あの部屋にはそういう心理にさせる効果が有ったのだなと思ってしまう。
ケーキを口に運んだら、大阪の同系列のホテルのよりは美味しかった。
長岡先生は可笑しそうに微笑んで自分を見ていた。
「田中先生に関する教授の悩み事を解決する手助けになりましたでしょうか?」
意外な言葉に内心で驚いた。この部屋に来てから祐樹のことは一切言っていないし匂わせもしていない。
男性心理について聞いただけなのにどうして分かってしまったのだろう?
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