「化学変化が万が一起こって、大切なゲストだけでなく我が病院の優秀なスタッフ、そしてホテルのタブーだと聞いています、火事・食中毒――と言っても実際に火の粉が上がるかは分からないのですが――有毒ガスが出てしまわないか計算しています。
もうかなり以前になりますけれども主婦がお風呂場で二種類の洗剤を混ぜてお亡くなりになった痛ましい事故が有りましたよね。
あのように二種類以上の物を混ぜると危険な反応が起こることもありますので、一応念のために計算しておかなければならないのです……。
金や銀がシャンパンの中に入って化学反応を起こしたら大変ですよね。これだって二種類以上の混合ですから」
祐樹が実際に立式した上で解いているのは金と水銀を混合した場合だったが、ホテルのスタッフは分からなかったらしく、まるで日本から出たことも学んだこともないアラビア語を眺めるような呆然とした顔だった。それに「混ぜるな危険」と今では書いてある洗剤は塩素系の洗剤と、酸素系の物でそれを混ぜてしまうと硫化水素が発生するのは事実だが、祐樹のミスリードでは「二種類のモノを混ぜればまずい」との誤解を与えるためだろう。咄嗟にそんな口から出まかせが出てくるな……と感心してしまう。
「……はあ……。なるほど……無残なことが起こったお風呂場みたいに有毒ガスが出る危険性が有ると……」
ホテルマンは――しかもここは日本有数の観光地だけに――語学には堪能なのだろうが、理系科目の化学はサッパリらしかった。
そうでなければ祐樹の書いた元素記号が金や銀はともかく水銀だと露見してしまっていたハズだからだ。
そういえば、友達と呼べる人も居なかった高校時代の同級生が――といって別に独りで居たほうが気楽だったので気に病んだことは一度たりともない――ビジネスマン向けの雑誌に載った自分の略歴と名前を見て連絡を取ってくることも稀に有る。ある程度理系の勉強をしなければ大学に受からない国公立と異なって早稲○大学やK応義塾大学など私立大学に進学した人達は会社のグローバル化に合わせてビジネス英会話には苦労しているそうだが「理系の勉強は赤点さえ取らなければ良いし、一夜漬けをして終わったら頭から飛んで行く」と高校時代にも言っていた通り、化学とか物理など高校時代で止まっているのだろう。
そしてこのホテルのスタッフさん達も。
「もう少し計算してから参りますので、もう少々お時間を頂いて宜しいですか?
火災というか爆発とか異臭騒ぎが起こった場合、私達の記念パーティも台無しになりますし、このホテルも新聞沙汰、いやニュースかも知れませんが、とにかくメディアにマイナスのニュースが流れるのはマズいのではありませんか?」
尤もらしいウソをつくのは祐樹も得意だった。しかも真剣かつ真摯な表情で熱心に言い募るのだから聞いている方も説得力が有り有りなのだろう。
もしここに理系出身の森技官が居たら鼻で笑い飛ばすような化学式だろうが。
そういうのを真似なければ病院長の道のりは遠いことは分かっていたが、自分にはこんなハッタリのような真似は出来そうにないので祐樹の爪先を煎じて飲みたい気がした。
「承りました」
恐れ入ったような感じでドアを閉めかける年長のスタッフに裕樹の言葉が「象牙の塔」の住人のような重々しく響いた。
「金や銀の粉も粉塵爆破が起こるような――え?粉塵爆破もご存知ないのですね。まあ、大学の専攻が異なるので仕方ないのかも知れませんが。
例えば小麦粉有りますよね」
中年の温和そうかつ腰も低い男性がきょとんとした表情を浮かべていた。ドアを半分だけ開けたままで。
「コムギコというのは、厨房に山ほど有る……食材のことですよ……ね?」
何だか異国語のような発音で聞いてきた。確かに小麦粉だろうと片栗粉だろうと空中が真っ白に成る程度撒き散らした上で火を点けると爆発する。ただ、そんなバカなことをしない上に、ある程度の理系の知識がなければ分からないのだろう。
「そうです。宙に舞う細かい粉も実は大変怖いのです。
あいにく金と銀の粉がそうなるかどうか存じ上げないので……。
しかも、明日のパーティではローソクの灯りも使う予定ですよね。ですから万が一にも爆発が起こらないように実験をしていたのです。
ほら」
祐樹が最も舞っている場所にライターの火を躊躇なく近付けた。
「ね、小麦粉と異なって爆発しないでしょう。そういうのを実験していたのです」
中年のスタッフは感嘆しきりという感じで頷いていた。どうやら祐樹の舌先八寸で丸め込まれたらしい。空中に撒いた小麦粉が爆発するのは本当だが、それはそもそもが小麦粉は可燃物だからで、金や銀はそうではない。
ただ、そんなふうに言いくるめるのかと思うと――何しろ、二人でシャンパンタワーを見ながら金や銀の粉を身体だけではなく鮮やかな薔薇色に咲き凝った心にもふんだんに浴びている気持ちだったのは自分だけではないような気がする――頼り甲斐が有り過ぎて惚れ直してしまう。
「教授、田中先生ご存分にご検証下さい。お二人のことですから大丈夫だと思いますが、そちらに消火器が御座いますので万が一、いやもっと低い確率でしょうが……とにかく非常時にはお使い下さい」
感嘆しきりといった感じの表情を浮かべてドアを静かに閉める。
その瞬間、祐樹がやや小さ目な、しかし心の底から楽しそうな笑い声を立てた。
自分もつられたようにドアの向こうに聞こえないようにだけ気を配って声を立てて笑っていた。
金と銀の粉が舞い散る二人きりの空間で、眼差しを絡み合わせて笑い合える宝石のような時間に束の間酔いしれた。
--------------------------------------------------
二個のランキングに参加させて頂いています。
クリック(タップ)して頂けると更新のモチベーションが上がりますので、宜しくお願い致します!!![]()
にほんブログ村
小説(BL)ランキング
ノベルバ様
↑
もしくは、現在ノベルバ様で「下剋上」シリーズのスピンオフ作品を書いております。
もし、読みたいという方は是非!!
こちらでもお待ちしております。
https://novelba.com/publish/works/884955/episodes/9398607
↑ ↑
すみません!試したらノベルバ様のトップページにしか飛べなかったので、「こうやまみか」と検索して頂ければと思います!!








