「宴の時刻まではまだまだ間があるので、しばらく休むが良い。さぞかし疲れたであろうから、用が有れば楓を侍らせておくので何なりと申せ。
 一人の方が気も楽であろう」
 この三日間が余りにも目まぐるしくて、しかも好きな学問三昧というある意味静か過ぎる境遇から左大臣様の御寵愛を受ける身になって死ぬ前には一度は入ってみたい程度にしか思っていなかった東三条邸の豪奢な様子や夢のように舞い散る桜の花を最上の場所で愛でつつ慕わしい御方と褥を共にしたという賑々しさも加わっていた私は二個のお餅をやっとのことで食べ終えてからは睡魔と密かに戦っておりました。
 その様子を見ていらっしゃったのでしょうか、頼長様は密やかな声でそうお告げになって几帳で幾重にも囲った場所へと抱いて運んで下さいました。
「ありがとう、ございます」
 恥ずかしいことに、睡魔に負けそうになった私の口は頼長様が可愛がっていらっしゃる言の葉を紡ぐ鳥の瑠璃にも似た感じでしかお答え出来ませんでした。
「私よりも、振り回された夜桜の君の方がより疲れているのは分かっておる。では、楓、後を頼む」
 直衣姿で颯爽と去る頼長様の後姿を見送った後は泥のように眠ってしまいました。
 瞳を閉じる前に映った頼長様のあらまほしき公達姿そのものを具現した後姿や一度だけ振り返って私を見下ろしてお笑いになったご容貌だけを胸と頭に刻んだまま。
 もはや慕わしく、そして聞き慣れた薫物の香りで目が覚めました。
「起きておったのか、そろそろ良い刻限である。良い楓、そなたは宴の場に参って万端に整っているかどうか見て参れ。ここは私が致すので」
 楓様は私にも目礼をした後に絹擦れの音も静やかに下がっていかれました。
「烏帽子が少し曲がっておる」
 頼長様が愛おしそうな笑顔を浮かべて寝乱れてしまった私の着衣を直して下さいました。
 若君を傅く乳母のような甲斐甲斐しさで、私も思わず笑みを浮かべてしまいました、夢の続きのようで。
「さて、参ろうか。そろそろ向こうでも客人がいらしているようなのでな……」
 その御言葉に冷水を浴びせかけられたような心持ちが致しました。客人の中に私が拙いながらも心を込めて詠んだ歌を送った御兄君の忠通様が含まれているかどうかを。
 御仲の悪さを何とか少しでも和らげようとした私なりには悲痛な思いを汲んで下されば良いのですが、こればかりは御兄君のお気持ち次第です。
 頼長様の後ろを歩む私の足取りは何だか薄氷を踏むがごときといった感じでした。
「内々の宴なので、そのように硬くなることもない。兄君のことは運を天に任せたようなものだ……。夜桜の君が申して駄目ならばそれはそれで詮無きこと。せっかくの私が愛でた夜桜の君の美しさが陰っては本末転倒というもの。
 そうそのように笑みを浮かべて座ってさえいれば良い」
 廊を歩くと次第に人の気配が満ちているのがはっきりと分かりました。
 ただ、軽々しい身分の者は早めに、それ以上の方はその人のお気持ち次第で宴にいらっしゃるのが普通だと、頼長様と初めてお会いした観桜の宴で知りました。
 ですから、今の時刻に集まって来て下さったのは――私の父を除いて――頼長様に日頃から親しくお仕えしている人達ばかりだと思うと少しは胸のつかえも下りるような気になりました。それに頼長様が宴の上席へ当たり前のように進まれますと、客人達も水を打ったように静まり返って居ずまいを正しておりました。ついでのように私を眺めていらっしゃいましたが、どことなく意味有り気な様子が気に掛かったのも事実でした。
「夜桜の君、私の横の座に。何はともあれ、御父君には私からご挨拶を」
 私邸で寛いでいる時や学問の手ほどきをして下さっていた時とはうって変わって畏まった感じの父君は私の顔を確かめるように一瞥した後に丁重な祝辞を格調高い漢文調で詠じるように申し上げているのも晴れがましくも恥ずかしく聞いておりました。
 なにしろ実の父とは申せ、このような「常ならぬ」祝い事に半ば無理やり巻き込まれたのでございますから。
「有り難く、忝く承った。返礼の代わりに盃を取らす」
 頼長様は言の葉の上では目下の者に仰る感じでしたが御声はしみじみとした、そして親しみを込めたものでした。
「有り難く承ります。
 また当家の娘の件もご厚意に与ることが出来て恐悦至極で御座います。御所望の品は、心当たりを探しておりますのでしばしの猶予を頂きたく存じます。
 そして末永く――慈しんで下さいますようにお願い致します」
 父上としては申したいことも多々有ったとは思いますが、誠の心情の発露という感じで結びの言葉を申し上げて下さいました。
 私は顔をやや伏せながら涙を堪えるのに必死でした。一抹の哀しさと、そしてそれを遥かに上回るうれし涙を。
「結光――これみつ――の君を決して不幸にはさせぬとお約束致します」
 頼長様が改まった感じで、かつ重々しく仰って下さったのも涙を誘ってしまいます。
 しかし、このような席で涙を流すのも忌むべきことなので、そっと顔を伏せました。
 父上が下がる気配がしてしばらくは涙を堪えることのみを考えておりましたが、頼長様は次々と挨拶に訪れる気の置けない客人らしき方々と気軽な感じで盃のやり取りをなさっていらっしゃいました。
「夜桜の君、この者の顔を見れば気鬱も晴れるかと」
 頼長様がそう仰ったので、笑みを強いて作った後に居ずまいを正して正面に座っている客人の顔を見た瞬間、己の目を疑いました。




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【お詫び】
 リアル生活が多忙を極めておりまして、不定期更新になります。
 更新を気長にお待ち下さると幸いです。
 師走の気忙しさにバタバタと過ごしています。風邪を引かないように頑張りたいと思います。しかし、火曜日は24℃まで気温が上がったのに、いきなりの平年並みはきついです……。
 
 
 

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時間がない!とか言っていますが、ふとした気紛れにこのサイトさんに投稿しました!
いや、千字だったら楽かなぁ!!とか、ルビがふれる!!とかで……。
こちらのブログの方が優先なのですが、私の小説の書き方が「主人公視点」で固定されてしまっているのをどうにかしたくて……。
三人称視点に挑戦してみました!
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        こうやま みか拝