「私達にとっては『久しぶり』の『デート』に浮かれてしまっていて……、医局を出る時に黒木准教授から伺った貴方への病院長からの伝言を失念してしまっていました。
 その後は私にとってはまだまだ敷居が高いあんなお店にお連れ下さったことも相俟って」
 官能の甘く熱い疼きで背筋が融けるかと思っている――多分表情や仕草には出ていないだろうが、目敏い祐樹なら気付いてもおかしくなかったし、それに二人きりで過ごした時間も相俟って自分の微細な変化を察知する祐樹のセンサーも上がっているので気付かれているかも知れないが――甘くたゆたうような心情から一気に「現実」へと引き戻された。
「黒木准教授が何と言って来たのだ?」
 患者さんの容態急変が真っ先に脳裏に浮かんだ。ただ、自分には連絡が入っていないのでそんなに深刻な事態ではないことだけは確かだったが。
「貴方が執務室にいらっしゃらないので、病院長は黒木准教授に伝言を頼んだようですね。
 斎藤病院長は病院の独裁者なので何でもアリな人ですから、貴方がいらっしゃらないと立場上黒木准教授が対応するのが道理だと判断して連絡を取ったようですよ。旧態依然のウチの病院では妥当な判断でしょうが……」
 斉藤病院長は祐樹と自分の真の関係を知っている数少ない病院関係者の中の一人ではあるものの「公的」な連絡は祐樹ではなく黒木准教授に入れたのだろうが。
 そして二人とも定時上がりであることは、病院長のPCの閲覧権限で当然把握しているだろうから黒木准教授から祐樹に伝えることも織り込み済みなのだろう。
「あの人は腹黒タヌキの異名通り――実際、古き良き時代の教授選とか病院長選挙などでは『票読み』に長けています。
 その昔取った杵柄で、私達の本の売れ行きというか、組織的に買い占める部数を計算して下さったのでしょうね。
 その結果、三百万部は堅いという事前の読みを知らせて下さったのです。
 だから、オー○ラでしたっけ?記念パーティは発売日直後に決行するとのお達しです。今キチンと伝えましたからね」
 タテマエはどうであれ、事実上は「二人の披露宴」であることに変わりない。そう思うと自然に笑みが零れてしまう。
 橋の上に戻ってゆっくりとした足取りで肩を並べて歩む最愛の祐樹の瞳を見上げた。
「そんなに早くか……。真実を知っている人に対してだけだが、二人してホテルの宴会場の雛壇に並んで座るという機会はそうそう巡って来ないだろうから……新郎新婦みたいな雰囲気になるだろう。何も知らずに列席する人達にとっては単なる三百万部突破記念パーティだが。
 少なくとも私は事実上の披露宴と捉えていて、その日を指折り数えていた。
 そんなに早くハレの舞台が実現されるのは、心の底から嬉しいイベントだな……」
 自然と弾む声と先程祐樹が褒めてくれた「生気に溢れる笑み」が更に瑞々しくなっていることを自覚しながら祐樹の輝く瞳を見上げた。
「披露宴ですか……。
 二人だけの『初夜』は――言語に矛盾が有るのは承知の上です――何度も済ませましたが、披露宴の後の夜の時間も文字通り『初夜』ですよね……。オーク○でしたっけ、スイートルームを予約して……、ただ、大学の名前というか斉藤病院長の鶴の一声で決まったイベントですから病院関係者とか、病院長が招待する人の宿泊とかも当然有るでしょうから、貴方の名前も私の名前も使えませんね。
 宴会場のスタッフと客室の人では連携が上手く取れているかは存じませんが、少なくとも京都在住とか職場がこちらのスタッフは職務上テレビをチェックしているでしょうし」
 確かに地震の時とかその後のドキュメンタリー番組で祐樹も自分も顔を覚えられている可能性はほぼ100%だろう。
 肩を落としながらお手上げのジェスチャーをした。
 宴会場の予約名は大学病院だが――そして京都の人間は一方的に顔と名前を知っているだけの人間には話しかけてこないことも経験上知っている。第二の愛の巣ともいうべき大阪のホテルの近くのご婦人方とは異なって――しかし、絶対に顔と名前を知られていることだけは確かだった。
 「披露宴」の後に着替える――少なくとも柏木先生の奥さんはそうしていたような気がする。その日は祐樹の「誓い」の方が涙が出るほど嬉しかったので記憶は曖昧だったが、今思い返せば、ドレスを脱いで皆へと挨拶をしていた。
 その点自分は「花嫁が幸せになるための4つのジンクス」を身に着けたままで祐樹と二人きりになれるというのに、客室が取れないのはとてもとても残念だ。
 ジンクスに頼らなくても祐樹の海よりも深い愛が移ろうことはないと確信を持って断言出来る今の自分だったが、それでもやはり折角準備したジンクス――しかも呉先生からは森技官から最初に貰った貴重な指輪まで借りているというのに。
 祐樹の長い指がパチリと乾いた音を立てて、夜の帷が下りようとしている空中に小さく響いた。
「何度でも『初夜』は迎えたいので……。
 良いことを考えました。聞いて頂けますか。そして私一人が交渉しても良いのですが、下手をすればケンカに発展する恐れが有るので、是非貴方にもご足労戴きたいのです」
 ケンカというからには相手は森技官しか居ないだろうが、森技官に何を頼むのだろうか。
 ただ「花嫁としての初夜」という生涯で一度きりしかない催しがおまけというかメインデッシュで付くのであれば祐樹のアイデアに全面的に従おうと心に決めてしまっていたが。










 リアバタに拍車がかかってしまいまして、出来る時にしか更新出来ませんが倒れない程度には頑張りたいと思いますので何卒ご理解頂けますようにお願い致します。
 
【お詫び】
 リアル生活が多忙を極めておりまして、不定期更新になります。
 更新を気長にお待ち下さると幸いです。
 本当に申し訳ありません。




        こうやま みか拝