『彼女は勉強家としても知る人ぞ知るといった人なので、当然教授のご高名もこちらが紹介するまでもなく知っていました。その上原稿を実際に見たいとかねてから聞いていたので一読した後に勝手に送ってしまいましたが、問題はなかったでしょうか』
祐樹と比較すればの話しだが、自宅の滞在時間も圧倒的に多い。家事などをこなしながら落ち着いた感じのテレビの番組を選ぶことも当然多かったので、彼女が出ているクイズ番組を観ていた、あくまでも他人事のように。ただ、知的好奇心旺盛な女性という印象を受けていたのでその反応は妥当だろうな……と思ってしまう。
「それは全く構いません。専門家にお任せした以上はこちらが下手に口出しをしない方が物事も上手く回る程度の経験則は持ち合わせていますので」
自分にとっては常識だと思っていたが、厚労省詣でとかその他ごく僅かながらも日本での同業者の人脈も出来た今となっては割と投資とか資産運用を――といっても海外で一手術ごとの収入を得るレベルの外科医とは文字通りケタが違う運用額だったが――自分でも干渉したがる医師が多いことに気付かされてむしろ内心では驚いていた。といっても他人のお金のことなので口に出しては何も言わなかったが。
電話の向こうで安心したような感じの一呼吸の間の後に咳払いの音が微かに聞こえてくる。
『流石は世界の香川教授ですね。
当然といえばそうなのですが、彼女も是非ゲストに呼びたいとの意向でした。最新の心臓バイパス術についても質問が有るそうですよ。まあ、番組の中では本の話題でしょうが……。局からの依頼は斉藤病院長経由の方が良いのでしょうか?それとも直接教授の方にお話しを持って行くように致しましょうか……』
斉藤病院長は当然、日経新聞の「ワタシの履歴書」執筆依頼を今か今かと待ち構えている状態だったので高木氏と直接話したがるだろう。医学部長兼病院長という「名士」ではあるが、大学の学長の座を虎視眈々と狙っていることは研修医ですら知っているほどの野心家――といっても大学病院に勤務してそれなりのポジションに居る人間には野心がない人の方が少数派なのも事実だったが――の一面も持ち合わせているので尚更のこと。
「是非斉藤病院長経由でお願い致します。斉藤も話したがっているようですので……この機会に。
そして、出版記念パーティか何万部記念だかの判断は全て一任致しますが、オー○クラのパーティの件も何卒宜しくお願い致します」
斉藤病院長の歓心を買う――今まではこれ以上の世間で言うところの出世には全く興味がなかったが、自分が病院長になれば心臓外科の教授職のポストが空くという盲点といえば盲点に気付いた今となって話はまた変わって来た、何しろ年齢的にはそれほど変わらない祐樹がこの病院の教授の座に就くにはそれ以外の方法はないのだから――ポイント稼ぎにも絶好の機会なのでその点は念押ししておこうと思った。ただあの宴会場の荘厳さとシックな感じが融合した場所に祐樹と二人で座って皆の祝福を受けるという方が自分にとって大切なのは言うまでもなかったが。
『承りました。ではそのように致します。そろそろ具体的な日にちを決めなければなりませんね。
当然ながらマスコミ各社からも問い合わせが殺到しているのが現状でして……。どう断れば良いかと頭を悩ませるという最近では稀な良いお話しを頂いて、しかも原稿は予想を遥かに凌駕した出来の良さで――いえ、文才の有る医師の方々が多いのは経験から存じ上げていますし、こう申し上げるのは失礼かもしれませんが――』
恐縮したように言葉を切った高木氏だったが、自分の文章ではなくて祐樹が激務を縫って書き上げてくれた部分を褒められていることくらいは自分でも分かったし、最愛の祐樹が激賞される方が自分的にも天に上るほど嬉しいのは言うまでもない。
「いえ、その点は全く気にしてはいません。直すべき箇所などが有れば是非ご指導を頂ければと思います。可能な限り応えますので……」
自分よりも病院に対して愛着心が多い祐樹にしては珍しく、折鶴勝負という「医局の威信」が掛かった催し物よりも優先して久米先生まで動員しての「推敲」という名のでっち上げ作業に没頭してくれてはいた「作品」だったが、祐樹だって文才は人並み以上持ち合わせてはいるものの、素人なので専門家の指導を仰ぐ方が良い程度は自分でも分かった。
自分にとっては一言一句たりとも変えたくない祐樹の「珠玉の作品」だったが、それはあくまでも個人的な事情であることは重々承知の上だった。
清水研修医が予想以上に期待に応えてくれている今となっては久米先生にも頑張って貰わないとならないと「祐樹ならば」判断するだろうな……と思いつつ薔薇色に弾む気持ちが誰も居ない執務室一杯に広がっていくような気がした。
外科開催の折鶴勝負の前に祐樹と二人だけの密かな勝負にも「絶対に」勝たなければならなかったし、楽しい緊張感で心が夢のように張りつめている。
柏木先生の奥さんなら手術控室も自分が頼めば快く貸してくれる感触だったので空間には不自由していないが、今この喜びを分かち合いたい唯一の恋人が不在なのも却って大きな歓びに想えるのも人間の気持ちの複雑さというかシンプルさに震えてしまう。
普段の激務の合間を縫っての原稿作成とか諸々が重なって一緒に居る時間が激減したのも事実だったが、気持ちが通じ合っていると確信が持てるようになってからはむしろ不在の時間も蜜のように甘くて切ない味がするのも我ながら現金なものだと甘い笑みを浮かべてしまった。
それにテレビ出演がほぼ決まったという幾重にも重なりあった幸せを噛みしめつつ受話器を握り直した。掌には滅多に出ない汗が出ているのを受話器が教えてくれている。
祐樹と比較すればの話しだが、自宅の滞在時間も圧倒的に多い。家事などをこなしながら落ち着いた感じのテレビの番組を選ぶことも当然多かったので、彼女が出ているクイズ番組を観ていた、あくまでも他人事のように。ただ、知的好奇心旺盛な女性という印象を受けていたのでその反応は妥当だろうな……と思ってしまう。
「それは全く構いません。専門家にお任せした以上はこちらが下手に口出しをしない方が物事も上手く回る程度の経験則は持ち合わせていますので」
自分にとっては常識だと思っていたが、厚労省詣でとかその他ごく僅かながらも日本での同業者の人脈も出来た今となっては割と投資とか資産運用を――といっても海外で一手術ごとの収入を得るレベルの外科医とは文字通りケタが違う運用額だったが――自分でも干渉したがる医師が多いことに気付かされてむしろ内心では驚いていた。といっても他人のお金のことなので口に出しては何も言わなかったが。
電話の向こうで安心したような感じの一呼吸の間の後に咳払いの音が微かに聞こえてくる。
『流石は世界の香川教授ですね。
当然といえばそうなのですが、彼女も是非ゲストに呼びたいとの意向でした。最新の心臓バイパス術についても質問が有るそうですよ。まあ、番組の中では本の話題でしょうが……。局からの依頼は斉藤病院長経由の方が良いのでしょうか?それとも直接教授の方にお話しを持って行くように致しましょうか……』
斉藤病院長は当然、日経新聞の「ワタシの履歴書」執筆依頼を今か今かと待ち構えている状態だったので高木氏と直接話したがるだろう。医学部長兼病院長という「名士」ではあるが、大学の学長の座を虎視眈々と狙っていることは研修医ですら知っているほどの野心家――といっても大学病院に勤務してそれなりのポジションに居る人間には野心がない人の方が少数派なのも事実だったが――の一面も持ち合わせているので尚更のこと。
「是非斉藤病院長経由でお願い致します。斉藤も話したがっているようですので……この機会に。
そして、出版記念パーティか何万部記念だかの判断は全て一任致しますが、オー○クラのパーティの件も何卒宜しくお願い致します」
斉藤病院長の歓心を買う――今まではこれ以上の世間で言うところの出世には全く興味がなかったが、自分が病院長になれば心臓外科の教授職のポストが空くという盲点といえば盲点に気付いた今となって話はまた変わって来た、何しろ年齢的にはそれほど変わらない祐樹がこの病院の教授の座に就くにはそれ以外の方法はないのだから――ポイント稼ぎにも絶好の機会なのでその点は念押ししておこうと思った。ただあの宴会場の荘厳さとシックな感じが融合した場所に祐樹と二人で座って皆の祝福を受けるという方が自分にとって大切なのは言うまでもなかったが。
『承りました。ではそのように致します。そろそろ具体的な日にちを決めなければなりませんね。
当然ながらマスコミ各社からも問い合わせが殺到しているのが現状でして……。どう断れば良いかと頭を悩ませるという最近では稀な良いお話しを頂いて、しかも原稿は予想を遥かに凌駕した出来の良さで――いえ、文才の有る医師の方々が多いのは経験から存じ上げていますし、こう申し上げるのは失礼かもしれませんが――』
恐縮したように言葉を切った高木氏だったが、自分の文章ではなくて祐樹が激務を縫って書き上げてくれた部分を褒められていることくらいは自分でも分かったし、最愛の祐樹が激賞される方が自分的にも天に上るほど嬉しいのは言うまでもない。
「いえ、その点は全く気にしてはいません。直すべき箇所などが有れば是非ご指導を頂ければと思います。可能な限り応えますので……」
自分よりも病院に対して愛着心が多い祐樹にしては珍しく、折鶴勝負という「医局の威信」が掛かった催し物よりも優先して久米先生まで動員しての「推敲」という名のでっち上げ作業に没頭してくれてはいた「作品」だったが、祐樹だって文才は人並み以上持ち合わせてはいるものの、素人なので専門家の指導を仰ぐ方が良い程度は自分でも分かった。
自分にとっては一言一句たりとも変えたくない祐樹の「珠玉の作品」だったが、それはあくまでも個人的な事情であることは重々承知の上だった。
清水研修医が予想以上に期待に応えてくれている今となっては久米先生にも頑張って貰わないとならないと「祐樹ならば」判断するだろうな……と思いつつ薔薇色に弾む気持ちが誰も居ない執務室一杯に広がっていくような気がした。
外科開催の折鶴勝負の前に祐樹と二人だけの密かな勝負にも「絶対に」勝たなければならなかったし、楽しい緊張感で心が夢のように張りつめている。
柏木先生の奥さんなら手術控室も自分が頼めば快く貸してくれる感触だったので空間には不自由していないが、今この喜びを分かち合いたい唯一の恋人が不在なのも却って大きな歓びに想えるのも人間の気持ちの複雑さというかシンプルさに震えてしまう。
普段の激務の合間を縫っての原稿作成とか諸々が重なって一緒に居る時間が激減したのも事実だったが、気持ちが通じ合っていると確信が持てるようになってからはむしろ不在の時間も蜜のように甘くて切ない味がするのも我ながら現金なものだと甘い笑みを浮かべてしまった。
それにテレビ出演がほぼ決まったという幾重にも重なりあった幸せを噛みしめつつ受話器を握り直した。掌には滅多に出ない汗が出ているのを受話器が教えてくれている。
リアバタに拍車がかかってしまいまして、出来る時にしか更新出来ませんが倒れない程度には頑張りたいと思いますので何卒ご理解頂けますようにお願い致します。
こうやま みか拝