本当は、有吉さんの変貌ぶりや、その後の叶わない約束をしてしまったことに対して思いっきり泣きたかった。国見君の時は電話越しでも、あんなにショックを受けたのに、今度は直接、有吉さんの変わり果てた姿を見てしまって二重の衝撃の強さに狼狽えるばかりだった。
 でも、お母様の前では気丈さを装わなければならないのが辛いところだ。
 今、有吉さんは幸樹の腕に抱かれているのだろうか?本当ならその事態は嫉妬すべきなのかもしれないのだけれど、そんな気持ちには到底なれない。
 幸樹が俺の元に戻って来たなら、そして俺の部屋で――いや、幸樹の下宿でも全く構わないのだけれども――二人きりになった時に、改めて幸樹の胸で泣けば良いことだ。
 二人とも上野教授のワインを呑んでなかったという安堵感ももちろん有ったけど、同時に二人だけズルをしているという罪悪感の方が今は強い。
 一般家庭用の階段の広さだったけど、俺は男としては小柄な方だし、有吉さんのお母様はとてもスリムで――それがもともとなのか、御嬢さんの有吉裕子さんを心配してのことなのかは分からないけれど――二人なら余裕で座れる。
「はい、裕子は内科しか受診歴が有りませんから」
 俺は伊達に菊地クリニックに通っていたわけではない。もっと重度な患者さんもたくさん見た経験が有る。といっても、有吉さんの『妄想』はその中でも異例中の異例だったけど。
「精神科か心療内科のクリニックの紹介がなくては、大きな病院は受け入れてくれませんよ。なので、救急車を呼んで下さい。有吉さんは……も……」
 「妄想」という言葉は、幸樹と俺は気軽に使っていたが、その「妄想」の中身は、躁錠以上に有吉さんには過酷なものだろう。それを肉親に言うのはとても気が引ける。
「いえ、時々、精神的な『闇』に囚われるようでして……それが、絶叫の正体です。それに拒食症も酷いですよね?救急車を呼んで下さい。それが一番の早道です。救急車の搬送なら病院はよほどのことがないと断りません」
 化粧をしていないお母様は――そんな気持ちの余裕もないのだろう――縋るような瞳で俺を見た。
「あのう、119番を押しますが、それから、池上さんに代わって戴けませんか?」
 精神病院に入院させるのは、家族と本人の同意が必要なことは、菊地クリニックで聞いたコトが有る。
「ご家族が電話なさる方が早いです。もし、お母様が話せなくなれば……俺……いえ、僕が代わりますから、それまではお母様がお話しして下さい。酷いようですが……。やはり、こういうことは、ご家族が連絡される方が話しは早いと聞いています。有吉さんには大至急、高栄養の点滴が必要かと」
 幸樹も確かそう言っていた。家族という絆の方がただの友人よりも病院関係者には強いことも知っていたし。
 お母様は意を決したように立ち上がりかけてフラリとよろめいた。お母様の心情を察すると心はとても痛い。お母様の腕を支えて応接間に戻り、各部屋に備え付けてあるらしい固定電話の受話器を手に取った。
 救急車のサイレンの音が待ち遠しいとこんなに思ったことはない。普段なら気にも留めないサイレンの音。有吉さんの『妄想』を止める薬が有ったらどんなに良いだろう。ただ、ワインに混入されていた薬物に直接効果が有りそうな解毒薬はやはり上野教授だけが知っていて、有効な手立てが見つからないのが歯がゆい限りだった。
 昼下がりの閑静な住宅街にサイレンの音が響き渡る。
 俺はお母様に座っているようにお願いしてから、誘導のために外に出た。住所を知らせてあったとはいえ、表札を確かめさせる時間も惜しい。
 救急車の赤いランプがこんなに頼もしく見えたことはなかった。たとえそれが一時しのぎにしかならなくとも。
 幸樹に抱き抱えられた有吉さんは、澄み切った表情で俺達を見て、唇に綺麗な微笑を浮かべた。有吉さんの痩せ衰えた姿を見た救急隊員の中の一人が搬送先の病院を探してくれている。
 救急隊員が俺達を見て、「一緒に乗りますか?」と聞いてくれた。もちろんお母様は先に乗っている。幸樹が首を横に振る。
「搬送先の病院が決まったら、教えて下さい」
 幸樹はそう言って、電話番号をお母様に教えている。
「いろいろとお心遣い有り難うございます」
 救急車の後部座席はかなり狭い。もちろん有吉さんの身体を載せたベッドが中央に有って、その横に一人か二人が乗れるほどのスペースしかない。
 幸樹が着いて行くことを断念したのも、二人分の余裕がないからだろう。
 近所の人が顔を覗かせている。なかなか搬送先の病院が決まらないせいだった。ただ、憔悴したお母様の顔を見て、皆痛ましそうな顔をしている。
 やっと病院が決まったのだろうか。救急車が走り出した。有吉さんの更に華奢になった腕が俺達二人に「さよなら」を告げるようにヒラリと翻る。白い蝶のような綺麗な仕草だった。
 それを見てしまうと、涙が勝手に溢れ出す。
「ゴメンな……遼にまで辛い思いをさせて」
 有吉さんの家はお母様がカギを掛けてしまった――それが当然なのだが――ので、入れない。救急車が路地を曲がったところまで見送って、俺達は帰途についた。
「そんなの……幸樹のせいじゃないよ。幸樹の方が有吉さんを慰めてくれていたんだから、貢献度は高いよ?」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔でそう言った。
「有吉さんには悪いけどさ、昨夜の内に遼に告白しておいて、ホントに良かった」
 幸樹が気を紛らわすように、苦い笑みを浮かべた。
「どうして?」

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                  こうやまみか拝