何だかSF映画の宇宙船の操縦席のような感じで各種映像が流れているモニターの中の第一手術室――言うまでもなく最愛の人の秀逸な手技が余すところなく披瀝されている――の前には数人の医学部生らしい感じのラフな格好をした人達が8人居るだけで、狂気の研修医井藤の姿はなかった。
 医局に出勤していないのは、白河准教授の医局クーデターを察知して戸田教授にリークした――しかも弁護士までが付いているそれも実家関係だと反社会勢力に片足どころか全身を突っ込んでいるような、それでも岩松氏の前では猫をかぶっていたに違いないが、戸田教授の前では法律のギリギリの範囲内での恫喝などお手の物だろうし、実際の戸田教授は呆れ果てるほどの小心者のようなのでかなりのダメージを与えたに違いないが――それでも戸田教授サイドであることには変わりがないので、納得出来る。その上祐樹や外で待っている呉先生のように病院に縛られる必要は井藤にはない。何しろ実家の動向からして「私立病院の院長様」という椅子まで約束されたのも同然だったので。
 井藤がここに居ないのは、一体どういうわけだろうと首をひねってしまう。
「よ、久しぶり。ご出世だね、田中先生。今日は助手じゃないんだな……。アンタの執刀が見たくて仕方がないんだが、香川教授があんなに見事過ぎる手技を披露してるんじゃ、出番は少ないだろうが」
 後ろから親しげな感じで肩を叩かれて思わず笑みを零した。
「桜木先生こそ、今日はオペではないのですか?お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
 モニタールームは図書館と同じく私語厳禁なのだが、それはあくまで建前で、国内外を問わず病院長自らが案内するような医学界の重鎮だとかそういうVIP扱いをされている人間が主に祐樹最愛の彼の手技を見学する時には遵守されているものの、学生しか居ない今の空間では「医師」というだけでかなり自由に振る舞える。
 桜木先生は悪性新生物――いわゆるガンだ――の手術職人で、病院内の出世とか院内政治などには全く興味を示さずに手技向上だけを頑なまでに目指している手術室の住人だった。祐樹も専門外とはいえ、桜木先生の手技を見たことはあったが目覚ましいまでの冴えたメス捌きで――といってもガンの手術と心臓の手術とでは基礎は一緒でも細かい手法が全く異なるのであくまで素人に毛が生えたような観察眼だろうとは思うが――目を瞠ったものだった。
「あまり元気じゃねーよ。昨日は八時間に及ぶ大手術を成功――多分な――させて、今日は経過観察のための休みだ。第一オペ室の香川教授の手技を見て元気を貰おうと思って来たものの……、何だ?あの体たらくはよ?」
 無精ひげが目立つ――病院内では知る人ぞ知る教授の影武者めいた存在なので、患者様やそのご家族との接触がないのでそういう格好をしていても問題はないのだろうが、大学病院の旧弊さとか悪しき因習の全くない通称香川外科では、執刀医や主治医が病状説明や手術同意書などの重要書類にハンコを貰うという、いわば「外向き」の仕事も当たり前のように行われているし、桜木先生のような「影の存在」は居ない――顔を不満そうな感じでモニターに向けた。
「え?ああ、そちらでしたか……」
 一瞬、最愛の彼の手技に不満――と言っても、桜木先生とか祐樹レベルでないと分からないほどの日本、いや世界レベルの高水準での話だろうが――があるのかと嫌な思いが脳裏を掠めたが、桜木先生の侮蔑の視線は第一手術室のモニターではなくて、第二手術室へと向けられていた。
「確かに酷いですね。執刀医の心身の動揺が手技にありありと出ています。それに助手や道具出しの看護師との呼吸も合っていませんね……」
 ともすれば第一手術室の画像へと視線を向けそうになる――実際チラリと見たが、手技の冴えは相変わらずで、あの静謐かつ荘厳で神聖な場所に祐樹が居ないのは自分で言いだしたこととはいえ何だか不当な扱いを受けているような不満すら感じる――のを無理やり第二手術室のモニターに集中した。手術着のせいでかなり印象が変わっているものの、執刀医は白河准教授で第一助手は河上医局長だったが、隣のモニターに映し出されている流れる水のように清冽な感じさえする手技とは異なって、心身の動揺が手技に反映しているのか――高度に細分化された大学病院の内部では専門外なので物理的に不可能なものの――あれなら祐樹がこなした方がまだマシなレベルのような気がする。
 そして、桜木先生は自分の手術がない空き時間――教授でも可能なオペとか――にモニタールームを完全占拠する傍若無人な勢いで祐樹最愛の彼の手技を見ていることも相変わらずのようで、だったら狂気の研修医井藤のことも心の片隅にでも残っているかも知れない。三度のご飯よりも手術が好きな桜木先生らしく、趣味もサッカーや野球観戦――ちなみに祐樹も最愛の彼も特技は有っても趣味と呼べるようなモノは持ち合わせていないが――ならぬ「手術観戦」という徹頭徹尾仕事に生きている感じがする「手術室の住人」だったし、最愛の彼が凱旋帰国を果たした時の未遂に終わった医局クーデターの時も桜木先生と当時は学生だった久米先生の貴重な証言が決め手になったのも事実だった。
「ウチの教授の手技を、ほぼ連日食い入るように見つめている暗い感じの人間にお心当たりは有りませんか?」
 桜木先生は無精ひげから手を離して、彼には珍しい真面目かつ神妙そうな表情を浮かべている上に目が泳いでいる。教授の権威など――いや、もしかしたら斉藤病院長すらも――手技一つで見限ってしまう実力に裏打ちされた傲岸さは祐樹などにはむしろ好ましく思えたし、桜木先生が祐樹最愛の彼の手技を高く評価してくれているのは素直に嬉しいが、手術の職人というあだ名に相応しい頑固一徹な不遜な表情が削いだようになくなっているのが妙に気がかりだった。











どのバナーが効くかも分からないのですが(泣)貼っておきます。気が向いたらポチッとお願いします!!

相変わらずの体調不良で二話更新出来るかどうか微妙です。
大変申し訳ありません。




最後まで読んで下さって有難う御座います。
                            こうやま みか拝