『香川教授の心身が危険ならば、斉藤病院長に掛け合って数日間、いや、ほとぼりが冷めるまでウチの病院に何らかの口実――当然教授のポジションに相応しい公開オペとかそういう催しを用意致します――で東京にお呼び立てすることも可能かと存じますが……。
ウチの警備員を総動員してお守りするのは大前提ですが』
岩松氏は隙あらば、祐樹最愛の彼とついでに祐樹自身をヘッドハンティングする好機を狙っていることを、持ち前の豪放磊落さで広言しているが、そういう下心は今の心の底から心配している切迫した感じの声からは微塵も伝わって来なかった。滅多に直接会うことはないものの、祐樹最愛の彼の人柄については長岡先生経由で聞いているだろう――そうでなければ大切な婚約者に性的嗜好が特殊とはいえ――高価なものがとんでもないところに転がっていたりカオスという言葉では表現出来なかったりする自宅マンションの出入りを、前者が主な理由だろうが……許すハズもないので。
最愛の彼も長岡先生のことはプライベートで「困った妹」に接するようにまめに面倒を見ているのも事実だった。
「まあ、それは考え付かなかったわ」
長岡先生が一瞬デスクに身を乗り出してスマホの集音部分――多分彼女は気付いていないだろうが――に淡いピンクの口紅を付ける勢いかつ比較的大きな声で言ったので、岩松氏の鼓膜が心配だった。いや、それ以前に世界的に認められた外科医の証しでもあるベルリンの国際公開手術の術者に指名された時にはスケジュール調整が充分可能な時期に招待状が届いたが、今回は唐突過ぎて土日祝日を除く全ての日に最低二件も手術をこなす彼にとっては無理な相談だろう。
戸田教授のような執刀医としての責任を放り投げてわが身の安全――祐樹も呉先生のアドバイスを受け入れて最愛の彼には名言していないが――を計るような安直な責任感の持ち主ではなかったので。
「お気持ちは大変有り難いのですが、執刀を待ち望んでいる患者さんがいらっしゃる限りウチの教授は責任を全うしますよ」
長岡先生は細い身体がさらに細くなるほどの盛大なため息をついている。婚約者の話に一瞬は乗り気になったものの、祐樹よりも医師としての付き合いが長いだけあって、彼の公人としての性格と仕事熱心さを知悉していただろうから。
『そうですね……。香川教授の性格だと名誉よりも、目の前の患者さんを優先するでしょう、失言でした。忘れて下されば嬉しいです』
私立病院の実質的な経営者として――歳はまだまだ若いものの――祐樹が所属する大学病院とは異なった、いわば実業家としての苦労も積んでいるだけあって岩松氏は人を見る目も確かだ。
「はい。ご配慮有難う御座います。角松弁護士なのですが、どんな感じの弁護士でしたか?副院長からご覧になって」
ふと思いついて聞いてみた。旧知の杉田弁護士も京都に事務所を構えているので烏丸弁護士事務所は知っているかも知れないが、以前「弁護士と言っても個人営業だから有名な人とか司法試験の同期合格者とは皆知り合いだが、それ以外は知らない人も多い。相手方の訴訟代理人になれば当然調べるが」などと言っていたことがあったので。それに杉田弁護士はウチの病院の訴訟代理人――といっても祐樹の医局とは全く関係がない――を受任した経験があるくらいなので旧国立大学病院が嫌ういわゆる「人権派」とか「赤い弁護士」ではない。ただ、井藤の家もブラックに近い灰色ではあるもののケタ違いの資産家――でないと、私立の総合病院を地価の高い東京に建てられるハズもない――なので、京都に何故か多い人権派とかそういう感じの弁護士でもなさそうだったが。
『そうですね……。クライアントのためには多少汚い手段を使う――いや、弁護士は皆そういう部分が有りますが――のも全く厭わないタイプに見えました。
私は病院の評判に関わりますからそういう弁護士は使いませんが、銀座のバーで良く見かける反社会的勢力御用達の弁護士に似た感じはしました』
今は社会全体が反社会的勢力――要は暴力団だ――の撲滅が官民共になびいているが、それでもまだ棲息しているらしいし、杉田弁護士から聞いたところによると暴力団の依頼を受けたら――金払いは良いらしいが――善良な市民からの依頼は不思議なことにすっかりなくなってしまうそうだ。
そして当然ながら弁護士だって商売なので、収入がなければ生活費すら事欠く有様になるそうで、その点こき使われているといっても毎月の給料は保証されている祐樹のような職種では想像し辛いが、そういう依頼人ばかりを引き受けているうちに朱に交われば赤くなるとの故事成語のように物腰や服装まで「その筋の人」のようになってしまう人も多いとか杉田弁護士から以前に聞いた覚えがある。
そう言えば、狂気の研修医井藤を当然のように叱責した河上医局長への抗議に戸田教授の元に弁護士の一団がやってきたらしいが「たかが」医局クーデターの計画のリークでも執刀予定もキャンセルしてどこぞに雲隠れしてしまう戸田教授の呆れた小心振りではまるで暴力団のような弁護士達の来襲は耐え難い苦痛だったのかもしれない。あくまで推測に過ぎないがかなり説得力はありそうだ。
それに井藤の父親と思しき井藤幸一氏もダークな商売なだけに「そっち」関係にも知り合いは多そうだし、接点はあるような気がした。
その点祐樹最愛の彼だったら――医局の中に弁護士を差し向けるような人間は存在しないが――「そっち」関係の弁護士が来たとしても「普通」の弁護士との差が分からずに対応して、独特の隠語なども真顔でどういう意味か聞きそうだし、相手が毒気を抜かれる可能性の方が高い。
その上数多い患者さんの中にはその道で名の通った大幹部も居た――案社会的勢力とはいえ病人になってしまえば平等の意識がはたらくらしく病院の汚名にはならないのが不思議と言えば不思議だった。ただ医師の間の都市伝説かもしれないし祐樹や祐樹の同僚や大学の元同級生でそんな病院に勤務している人間はいないものの、拳銃の傷とか指を詰めるなどの「そっち」側の風習で怪我をした場合は提携先の病院があるとかは聞いている――がボディガードなどは最愛の人が頑として断った過去が有ったし、大幹部の方も神妙に最愛の彼の指図通りに従ったという逸話まで残していた。
祐樹が岩松氏と話している間に長岡先生は角松弁護士の名刺部分のファックス用紙を含めて関係した書類を手際よく並べてクリアファイルにまとめてくれている。まあ、長岡先生らしく手際よくといっても転んだり人を避けたりしたわけでもないのに三回も書類を宙に散乱させるというハプニングは有ったが、祐樹の記憶通りの枚数が挟まっている上に、付箋紙は販売しているようだがクリアファイルは長岡先生御用達のフランスの老舗ブランドでは販売していないらしく、祐樹には有り難いごく普通の事務用のクリアファイルだったが。
「あまりお役に立てなくて申し訳ありませんでした。ただ、私達に出来ることが有れば喜んでお手伝い致しますので是非声をお掛け下さいませ」
岩松氏との電話を切って、時計を見ると呉先生と約束した時間が迫っている。
慌てて辞去の挨拶をするとモニタールームに急いだ。呉先生も手術アレルギーというか血を見るのが大嫌いなので嘔吐などはしていないだろうな……と心配しつつ。
それにクリアファイルに収められた厚生年金などの戸田教授の実の妹の井伊玲子さんの情報は森技官に渡ってこそ意味があるので、呉先生に直接手渡す方が確実だったし。
ウチの警備員を総動員してお守りするのは大前提ですが』
岩松氏は隙あらば、祐樹最愛の彼とついでに祐樹自身をヘッドハンティングする好機を狙っていることを、持ち前の豪放磊落さで広言しているが、そういう下心は今の心の底から心配している切迫した感じの声からは微塵も伝わって来なかった。滅多に直接会うことはないものの、祐樹最愛の彼の人柄については長岡先生経由で聞いているだろう――そうでなければ大切な婚約者に性的嗜好が特殊とはいえ――高価なものがとんでもないところに転がっていたりカオスという言葉では表現出来なかったりする自宅マンションの出入りを、前者が主な理由だろうが……許すハズもないので。
最愛の彼も長岡先生のことはプライベートで「困った妹」に接するようにまめに面倒を見ているのも事実だった。
「まあ、それは考え付かなかったわ」
長岡先生が一瞬デスクに身を乗り出してスマホの集音部分――多分彼女は気付いていないだろうが――に淡いピンクの口紅を付ける勢いかつ比較的大きな声で言ったので、岩松氏の鼓膜が心配だった。いや、それ以前に世界的に認められた外科医の証しでもあるベルリンの国際公開手術の術者に指名された時にはスケジュール調整が充分可能な時期に招待状が届いたが、今回は唐突過ぎて土日祝日を除く全ての日に最低二件も手術をこなす彼にとっては無理な相談だろう。
戸田教授のような執刀医としての責任を放り投げてわが身の安全――祐樹も呉先生のアドバイスを受け入れて最愛の彼には名言していないが――を計るような安直な責任感の持ち主ではなかったので。
「お気持ちは大変有り難いのですが、執刀を待ち望んでいる患者さんがいらっしゃる限りウチの教授は責任を全うしますよ」
長岡先生は細い身体がさらに細くなるほどの盛大なため息をついている。婚約者の話に一瞬は乗り気になったものの、祐樹よりも医師としての付き合いが長いだけあって、彼の公人としての性格と仕事熱心さを知悉していただろうから。
『そうですね……。香川教授の性格だと名誉よりも、目の前の患者さんを優先するでしょう、失言でした。忘れて下されば嬉しいです』
私立病院の実質的な経営者として――歳はまだまだ若いものの――祐樹が所属する大学病院とは異なった、いわば実業家としての苦労も積んでいるだけあって岩松氏は人を見る目も確かだ。
「はい。ご配慮有難う御座います。角松弁護士なのですが、どんな感じの弁護士でしたか?副院長からご覧になって」
ふと思いついて聞いてみた。旧知の杉田弁護士も京都に事務所を構えているので烏丸弁護士事務所は知っているかも知れないが、以前「弁護士と言っても個人営業だから有名な人とか司法試験の同期合格者とは皆知り合いだが、それ以外は知らない人も多い。相手方の訴訟代理人になれば当然調べるが」などと言っていたことがあったので。それに杉田弁護士はウチの病院の訴訟代理人――といっても祐樹の医局とは全く関係がない――を受任した経験があるくらいなので旧国立大学病院が嫌ういわゆる「人権派」とか「赤い弁護士」ではない。ただ、井藤の家もブラックに近い灰色ではあるもののケタ違いの資産家――でないと、私立の総合病院を地価の高い東京に建てられるハズもない――なので、京都に何故か多い人権派とかそういう感じの弁護士でもなさそうだったが。
『そうですね……。クライアントのためには多少汚い手段を使う――いや、弁護士は皆そういう部分が有りますが――のも全く厭わないタイプに見えました。
私は病院の評判に関わりますからそういう弁護士は使いませんが、銀座のバーで良く見かける反社会的勢力御用達の弁護士に似た感じはしました』
今は社会全体が反社会的勢力――要は暴力団だ――の撲滅が官民共になびいているが、それでもまだ棲息しているらしいし、杉田弁護士から聞いたところによると暴力団の依頼を受けたら――金払いは良いらしいが――善良な市民からの依頼は不思議なことにすっかりなくなってしまうそうだ。
そして当然ながら弁護士だって商売なので、収入がなければ生活費すら事欠く有様になるそうで、その点こき使われているといっても毎月の給料は保証されている祐樹のような職種では想像し辛いが、そういう依頼人ばかりを引き受けているうちに朱に交われば赤くなるとの故事成語のように物腰や服装まで「その筋の人」のようになってしまう人も多いとか杉田弁護士から以前に聞いた覚えがある。
そう言えば、狂気の研修医井藤を当然のように叱責した河上医局長への抗議に戸田教授の元に弁護士の一団がやってきたらしいが「たかが」医局クーデターの計画のリークでも執刀予定もキャンセルしてどこぞに雲隠れしてしまう戸田教授の呆れた小心振りではまるで暴力団のような弁護士達の来襲は耐え難い苦痛だったのかもしれない。あくまで推測に過ぎないがかなり説得力はありそうだ。
それに井藤の父親と思しき井藤幸一氏もダークな商売なだけに「そっち」関係にも知り合いは多そうだし、接点はあるような気がした。
その点祐樹最愛の彼だったら――医局の中に弁護士を差し向けるような人間は存在しないが――「そっち」関係の弁護士が来たとしても「普通」の弁護士との差が分からずに対応して、独特の隠語なども真顔でどういう意味か聞きそうだし、相手が毒気を抜かれる可能性の方が高い。
その上数多い患者さんの中にはその道で名の通った大幹部も居た――案社会的勢力とはいえ病人になってしまえば平等の意識がはたらくらしく病院の汚名にはならないのが不思議と言えば不思議だった。ただ医師の間の都市伝説かもしれないし祐樹や祐樹の同僚や大学の元同級生でそんな病院に勤務している人間はいないものの、拳銃の傷とか指を詰めるなどの「そっち」側の風習で怪我をした場合は提携先の病院があるとかは聞いている――がボディガードなどは最愛の人が頑として断った過去が有ったし、大幹部の方も神妙に最愛の彼の指図通りに従ったという逸話まで残していた。
祐樹が岩松氏と話している間に長岡先生は角松弁護士の名刺部分のファックス用紙を含めて関係した書類を手際よく並べてクリアファイルにまとめてくれている。まあ、長岡先生らしく手際よくといっても転んだり人を避けたりしたわけでもないのに三回も書類を宙に散乱させるというハプニングは有ったが、祐樹の記憶通りの枚数が挟まっている上に、付箋紙は販売しているようだがクリアファイルは長岡先生御用達のフランスの老舗ブランドでは販売していないらしく、祐樹には有り難いごく普通の事務用のクリアファイルだったが。
「あまりお役に立てなくて申し訳ありませんでした。ただ、私達に出来ることが有れば喜んでお手伝い致しますので是非声をお掛け下さいませ」
岩松氏との電話を切って、時計を見ると呉先生と約束した時間が迫っている。
慌てて辞去の挨拶をするとモニタールームに急いだ。呉先生も手術アレルギーというか血を見るのが大嫌いなので嘔吐などはしていないだろうな……と心配しつつ。
それにクリアファイルに収められた厚生年金などの戸田教授の実の妹の井伊玲子さんの情報は森技官に渡ってこそ意味があるので、呉先生に直接手渡す方が確実だったし。
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こうやま みか拝
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