「別に私はガンジーのような非暴力主義者ではない。祐樹が久米先生の頭を叩いているのを見た時、その行為を彼自身が喜んでいると判断したので、敢えて干渉しようとは思わなかった。医局員全員も、あれは『愛のあるイジり』だと理解していると柏木先生が言っていた」
柏木先生は医局長でもあり、最愛の人の元同級生なので、祐樹が職務で不在の夜は時々呑みに行っていると聞いていた。医局のことも話題にのぼるのだろう。
「――ただ、呉先生をどうしても説得したくて……。私が法的かつ倫理的な立場から怒ることで、心理的に優勢に立てると思ったのだ。だから、慣れない『芝居』をしてみたのだが……不自然だっただろうか?」
まるで、芝居の出来を監督に尋ねるモデル出身の主演俳優のような最愛の人の表情と言葉に物凄く驚いてしまった。
「あれは演技だったのですか?私はてっきり本当に貴方があれほど怒っていらしたのは、暴力は絶対に許さないという信念から出た、本音とばかり思っていました。そういう価値観をお持ちなら、たとえ久米先生が内心望んでいるとはいえ、暴力は暴力なので、そのお詫びと今後は自制するということを伝えたかったのです」
祐樹の声は、ほんのわずかに掠れていた。怒りの熱量も言葉の刃も、あまりに真に迫っていて、てっきり本気だと信じていた。それになにより最愛の人が「芝居」をしたのは祐樹の知る限り初めてのことだった。最愛の人は、ほんのわずかに緩んだ。細く形のいい眉尻にかすかなしなりを見せ、唇の端に満足げな笑みの影が差す。
この人がこれほどまでに成長したことは祐樹の想定外だった。初めて会った時から付き合い始めの頃は表情もまるで読めずに真意を探りたくて焦れたものだった。そしてその後祐樹にだけ満面の笑みを向けてくれることが多くなった。最近では次期病院長選挙に備えて他の教授にも医局員にもごくごく自然な笑みや適切な言葉をかけていることは知っていた。しかし、空気が凍るほどだったあの怒りの発露が、まさか芝居だったとは……。祐樹は、最愛の人の成長曲線のあまりの速さに、ひそやかな感動を覚えていた。
「祐樹がそう受け取ってくれるということは合格点なのだろうか?」
最愛の人は息を詰めて祐樹を見上げている。
「合格どころか――百点満点です。迫真の演技にブラボー、いやスタンディングオベーションのために立ち上がった一人目でも構いませんが、それほど圧巻の演技でした」
祐樹の声に惜しみなき敬意を感じたのか、最愛の人はまるで大輪の薄紅色の薔薇が咲き誇ったような笑みを浮かべている。
「貴方が、あそこまで『計算された怒り』を見せるとは思ってもみませんでした。……しかし、その力があったから、呉先生もようやく決意をしたのですよね」
最愛の人の大輪の薔薇のような笑みがさらに深くなった。ただ静かに、満ち足りた舞台終演後のような沈黙が流れていた。あのキッチンという名の即席舞台で、主演男優賞にふさわしいのは最愛の人に決まっている。無駄にスベり倒した森技官では決してない。
「祐樹、精神科の医師一覧がやっと表示された」
その怜悧な声に祐樹もモニターを注視した。
「どうして呉先生のいないところでという条件を出したのだ?」
モニターに映る医師は皆「理知的・誠実」という仮面をつけたような、よそ行きの顔をしていた。だが、祐樹の脳の中――白亜紀にでも埋まっていそうな記憶の層には、呉先生を揶揄し、嘲笑していたあの二人の顔が確かに存在している。しかし、モニターの画面と、その記憶がどうしても一致しなかった。
「いつのことか忘れましたが、職員食堂で『クレーム外来に飛ばされて、出世を諦めるなんてバカだよな。オレはそんなバカの二の舞になんて絶対にならない』『その通りだ。教授に喧嘩を売るなんて自爆行為だろ?なんでそんなことをするかね?教授のどんな無茶振りでも『おっしゃる通りです』とスルーすればいいだろう?それが出世に繋がるのだからな。あーホントにバカだよな。クレーム外来に飛ばされていい気味だ』みたいなことを言っていました。しかも思いっきりあざ笑う表情でしたので、恐らく本心でしょう。その二人は呉『教授』の返り咲きを快く思わないばかりか、妨害行為をする恐れもあります。だからこそ何とか特定して……」
最愛の人のしなやかな腕が祐樹の首に回され、唇にやや冷たい彼の唇が重ねられた。まるで唇で祐樹の言葉を受け入れた上で封印するようなキスだった。
「ああ、なるほど……。祐樹は呉先生の心を守りたかったのだな。しかし、呉先生はそのような言葉では絶対に傷つかない。言われ慣れ過ぎていると本人が笑って言っていた。ただ、そういう不満分子を医局に置くことが出来ないという祐樹の危惧も尤もだ。それで、この中の誰なのだ?」
最愛の人が細く白い指をモニター画面の方へと向けている。
「……それが、この『よそ行き』の顔では判断が付かないのです」
最愛の人も納得したように若干細い肩を竦めている。
「ほかのページも同じような『仮面』で統一されていますよね?」
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