「ウチの病院のサイトに、精神科所属の医師の顔写真は載っていましたっけ?」
 最愛の人が淡い笑みを浮かべて頷いている。誰が聞いているかも分からない職員用の食堂で呉先生を揶揄する医師二人は、たとえ親真殿派ではなくても呉「教授」に反対するはずだ。
 二人で暮らしているが、書斎は最愛の人の個室のようなもので、祐樹は許可なく入らない。逆に呉先生が精神科医師にはあるまじき行為の、眠剤やけ飲みをして眠っていた祐樹の個室に最愛の人は入ってこないという暗黙のルールが出来ている。
「まだ確定ではないので詳細は伏せますが、呉『教授』率いる精神科にあまり好ましくない医師が紛れ込むのを防ぐために顔と名前を一致させたいのです」
 祐樹の頭の中には、職員用の食堂で耳にしたあの声――呉先生を侮蔑的に笑った医師二人の顔が、まだはっきりと浮かんでいない。記憶の地層の奥深く、それこそ白亜紀あたりに化石のように眠っている映像を掘り起こすには、最愛の人の書斎にある大画面のパソコンが必要だった。
「祐樹、だったら書斎に行こう!」
 最愛の人が弾むような足取りでキッチンを横切っている。祐樹も後に続こうとして椅子から腰を上げ、歩もうとした時だった。
「……それこそ、スマホで済む話ではないのですか?」
 口調は軽いが、その音声には「写メ送信事件」の根に持ち度数が濃厚に滲んでいた。祐樹は心の中で天を仰いだ。「国家機密でもあるまいし」と突っ込みたかったが、森技官だって不安を押し殺そうとしているのだとの結論に至った今、慈悲の心で接するのがベストだろう。
 呉先生は祐樹が写メと敢えて呼ぼう――その撮影のためにテーブルに置きっぱなしになっていたA4の用紙そのものには一瞥もくれず、ぞんざいに手に取ると、「親真殿派」「備考欄」の文字にだけ視線を這わせ、スミレ色のため息を零している。
「写メって……。あれは清水研修医だからですよ」
 半ば呆れて言い返し、祐樹は最愛の人の先導で書斎に向かった。後ろから森技官の、「芝居のラストを台無しにされた老魔法使い」のような、くぐもった嘆声が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
「祐樹、森技官はああいうテンションではないと多分自分を保てないのだと思う……。だから私達は大目にみるか、スルーするかだろうな」
 最愛の人が祐樹の思考とシンクロしたような内容を怜悧な声で告げてくれた。
「それは私も先ほど気付きました」
 書斎のデスクにツバメのように腰を下ろした最愛の人の指先が踊るようにキーボードを打つ。微塵も迷いのない動きは、まるで楽譜のない演奏のようだった。祐樹はそのしなやかな白い指の奏でる音に、ひどく静かな高揚感を覚えていた。祐樹なら、大学病院のサイトは当然のようにブックマークに入れている。しかし、最愛の人は必要な時に必要なものを検索する――まるで無駄を一切排除した、洗練された美意識のようでもあった。「調べる」という行為一つ取っても、二人のスタンスには確かな違いがある。それが妙に愛おしく、そして少しだけ誇らしいと、祐樹は思っていた。
「……先ほど森技官と開いた時もそうだった。システムが古いせいだろう」
 諦めたように背もたれにしなやかな背中を預けている。
「ああ、どうせ経費節減と呪文を唱えていればどこからかお金が降ってくると思っている事務局長がシステムを新しくする経費をケチっているのでしょう」
 祐樹の毒舌に最愛の人が小さな笑みの花を空中に咲かせている。
「それよりも、あのう……貴方に謝らなければならないことがあります。暴力は絶対に許されないとおっしゃっていましたよね。私は久米先生が思いっきりズレたことを言ったりしたりした時、ついつい手が出てしまいます。今後は慎みますので」
 本当は足を使った覚えもあったが、最愛の人の逆鱗に触れそうでついつい過少申告をしてしまった。祐樹が、国際公開手術の成功者として日本心臓外科学会に金字塔を残した。次に医局内で招待状が来るのは久米先生だろうというのが医局の一致した意見だ。祐樹自身も心からそう願い、応援していた。そんな久米先生は、祐樹に対してだけは子犬のようにまとわりつき、頭を軽く叩かれるところまでが彼の中では様式美――いや愛情表現の一環になっているらしい。たまに足が出ることがあるが、それもぽよんとしたお腹限定で、本人もくすぐったそうに笑っているだけだった。
 彼は涼しげな切れ長の目を見開き、そして細く長い首を傾げて祐樹を見上げている。驚いているように見えるが、どこか笑いを堪えているような不思議な表情だった。
「祐樹が久米先生の頭を叩いているのは、実は何回も見ているのだ」
 むしろ照れくさそうな笑みを浮かべている。医局に最愛の人がいる時はやはり張りつめた空気になるので祐樹も久米先生の頭など叩かない。医局を通りかかった際にまたま見たか、あるいはドアをスライドさせる前に数秒とか数分、ガラス部分から覗いていたのかもしれない。だとしたら照れた笑みも納得だ。
「え?法律的にも倫理的にも許されないとおっしゃっていましたよね?」
 パソコンの画面と同様に祐樹の頭も何だかクルクルと回っているような気分になった。




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