うっかり布地越しとはいえ、胸の尖りを晒してしまった最愛の人のリアクションも非常に気になった。そういう情事に触れられると、普段の最愛の人は顔を紅色に染めて目を伏せていた。しかし今夜はそうではなかったので内心、意外だった。
 祐樹と二人きりの時には、大輪の紅い薔薇が乱れ咲くように奔放に振る舞う最愛の人も、第三者の前では蕾のように慎みを纏うのが常だったのに、心境の変化でもあったのだろうか?もしあったとすればナツキの影響としか考えられない。
「そうですか。私達の時とは何だか隔世の感がありました。私はご存知の通り両親も既に鬼籍ですし、どうやら親戚もいないようです。少なくとも『例の地震』関連でテレビに出ても誰も名乗り出なかったということは亡き両親が親戚とトラブルを起こしたのか、一族が皆死に絶えてしまったのだと思います」
 杉田弁護士がチェシャ猫のような表情から意外そうな表情へと変わった。
「貴方の個人的なことは、杉田弁護士にも話していないのです。相談したのは……、『貴方とどう付き合うべきか?』とか、『これって身体だけの関係か?』などでした」
 祐樹の補足説明をする声は今の「グレイス」に相応しく、氷の解ける音よりも穏やかだった。今宵の「グレイス」はバカ騒ぎをする客も、そして良い男の目に留まろうとする高く艶めいた声を上げる人もいなかった。まるで、ロンドンの貴族が招待制で集う紳士クラブのようで――知る人ぞ知る愉しみを、言葉少なに分かち合うためだけの静謐な大人の社交場といった今夜の雰囲気だからこそかもしれない。
 最愛の人は、僅かに視線を逸らし、そしてゆるやかに頷いた。その頬に浮かんだ微笑は、カウンターに灯る間接照明のように静かで、しかし抗いがたい熱を秘めていた。祐樹が自分との関係に名を与えようとしたことや、それを杉田弁護士に語っていたという事実に、心の奥底から火がともるような悦びを感じている。そんな官能の(だいだい)色が、静かな炎のように、その瞳に、素肌に、ゆっくりと染み渡っていくのが祐樹には分かった。「グレイス」に来る前にマンションで愛の交歓をしたとはいえ、先ほどの交歓の余韻が肢体をじわりと溶かしたのではなく、祐樹が杉田弁護士に相談をしていたということを知ってからの反応のような気がした。
「――いえ、私の身の上話などは些細なことです。良く知りもしない親戚が名乗り出てくると、私の遺産が祐樹に渡らなくなりますから、むしろこのままでいいのです」
 静謐な声が大輪の白薔薇のように凛と響いた。
「遺産って……。私はむしろ、貴方よりも先に亡くなって、涙にくれる姿を見届けてからあの世に行きたいと思っています。しかし、それよりも、定年後は海辺のクリニックを二人で経営し、気が向いたら今は行くことが出来ないマチュピチュやウユニ塩湖といった場所に行くことを楽しみにしています。それら全てを貴方と二人でゆっくりと訪れたいですね」
 最愛の人と語り合った将来の夢だ。定年後は町にクリニックが三軒以上ある広大な海の近くに医院を構えて、旅行中は他のクリニックに患者さんを任せてゆっくりと二人で旅行するという、夢。ただ、最愛の人は間違いなく心臓外科学会の重鎮となるだろうし、祐樹だってそれなりの地位には就けるはずだ。だから実現するかどうかは、実際怪しいとは思っている。最愛の人には言っていないのだけれども。そういう二人の夢を共有することが大切だと今は思っていて、実現するかは別問題だと割り切っている。
「そうだったな」
 最愛の人は白薔薇さえ霞むような、遥かな未来を見つめる笑みを浮かべていた。
「私達の頃は、祐樹――あ!祐樹の実家のことを杉田弁護士に話してもいいのだろうか?」
 その細やかな配慮が嬉しい。
「もちろんです。特に隠す必要はないですから」
 最愛の人はセピア色の光を湛えたような笑みが、瞳にそっと灯っていた。
「祐樹はお父様を亡くされていて、実家にいらっしゃるお母様に私を紹介したいと言ってくれまして……。絶対に反対されると思い込んでいました。玄関先で塩をまかれて追い返されると覚悟して行きました。ところが、祐樹のお母さまは大歓迎して下さってとても嬉しかったです。私たちの頃は両親に言うというのが大きなハードルだったのですが、ナツキ君が直面している問題はさらに複雑になりましたね。もちろんDEI――つまり、多様性・公平性・包括性の推進という理想それ自体は素晴らしいと思います。しかし、時に誤って人を排除する構造を生んでしまうのですね。ナツキさんは、それすらも乗り越えなければならない……今夜は、本当に勉強になりました」
 最愛の人の静謐な声には、懸念がにじんでいるように聞こえた。
「その辺りはナツキくんから話があれば、きちんと相談に乗るつもりだから大丈夫だよ。京都にはね、人権派の弁護士の先生がたくさんいるのは事実だ。しかし、ナツキ君のゲーマーの友達のような反応は特にSNSで嫌というほど見るね。ヒロインとの恋愛が当然と思っている人たちには、あの手の『啓発描写』は裏切りにしか映らないんだよ」




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