特筆すべきは最愛の人の麗しい筆跡のみで、祐樹には縁のない名前の羅列に過ぎない。森技官が、あたかも国家機密のように大切に抱えていたその紙を、祐樹はテーブルに広げ、何の演出もなくスマホで撮影し、LINEで清水研修医に送信した。一応「極秘でお願いします」とだけ添えた。清水研修医にはそれで通じるだろう。何しろ彼は、京都一の私立病院の御曹司に相応しい政治力を持っているし、視野も広い。そして何より、呉「教授」待望論者だ。
 確か清水研修医は救急救命室勤務だったはずで「凪の時間」になったらLINEに気付くだろう。大学病院の「出島」と評される救急救命室は独自のルールがあり、スマホも休憩室に置きっぱなしにしている医師も多い。しかし、祐樹は最愛の人との個人的な関係を隠すために何重にもロックをかけているし、清水研修医も同じことをしている。久米先生のように大人向けの恋愛シュミレーションゲームに勝手にログインできてしまうような無防備なことはしていない。ちなみに清楚な顔なのに胸がやたらに大きいセーラー服のキャラの好感度を上げると一枚一枚脱いでいくといったゲームで、祐樹は暇つぶしに好感度ゼロに下げ久米先生をイジったこともある。そのことに気付いた久米先生は怒ってはいたが、目はむしろキラキラしていた。まるで、「田中先生が自分のスマホを気にかけてくれた」こと自体が嬉しくてたまらないとでも言うように。
 そんな無防備なことを清水研修医は絶対にしない。そういう確信があって祐樹はLINEで送信した。しかし、そのコピー用紙を「国家機密」のように扱っていた森技官はなぜか露骨に不機嫌だった。まるでお気に入りの駄菓子を勝手に半分こにされた子供みたいだった。いや、名画の上にコーヒーをこぼされた鑑定士というほうが適切かもしれない。
「……あの、せめて『写メ』と呼んでください」
 聞こえるか聞こえないかのような声で呟いていた。その目元には「これは歴史的瞬間なのですよ?」と言いたげな憤りと哀愁がうっすらと漂っていた。祐樹は写メでもスクショでもどうでもいいだろと思いつつ最愛の人の背中を見ると、淡々と洗い物を続けている。森技官もその姿を見て諦めたように口を閉じた。普段は冷静沈着かつ臨機応変な森技官がこんなに芝居がかっているのだろうかと思いをはせた。この場の主役の一人でもある最愛の人が食器を洗い中なので、何となく待機時間中という雰囲気だった。
 森技官は、本当は焦っているのかもしれない。普段なら、ここぞとばかりに誰かの論理の穴を突き、皮肉で一刀両断するのが森技官だ。しかし、呉「教授」計画を最愛の人と祐樹が口に出した時から、揶揄も嘲笑も足りていない。代わりにあるのは、「呉教授待望論」という名の紙芝居を、声高に、そして大スベりをかましつつ演じ切ろうとする姿勢は違和感を覚えた。あんなふうに熱っぽく語る森技官を、祐樹はこれまで一度も見たことがなかった。あの芝居っけたっぷりに語った姿はもしかして不安を押し隠しているからではないだろうか。
 もし、恋人の呉先生が教授になれなかったら?もし、森技官の策略の糸よりも、真殿教授の院内政治のほうが強力だったら?そして、もし――森技官だけでは呉先生を守りきれなかったら。
 そんな「万が一」を言葉に出来ずに飲み込んで、いつもの毒舌の代わりに、芝居めいた演出で包み隠しているのだろう。祐樹はそっと息を吐き、笑う代わりに最愛の人が淹れ直してくれた世界一美味しいコーヒーを飲んだ。ならば祐樹はせめて笑わずに付き合おう。それがきっと最愛の人の望みでもあるのだから。
 スマホをチェックしたが清水研修医の「既読」はつかない。しかし、この時間は救急搬送される患者さんも多いのでスマホどころの騒ぎではないのかもしれないなと思っていると、手を洗い終えた最愛の人がしなやかな動作で祐樹の隣に座った。
「――さて、確かに梶原先生以外は親真殿派に見えますが」
 最愛の人は、まるで冷静に症例を読み解くときのような研ぎ澄まされた声で語りだした。
「呉先生は梶原先生から直接不満を聞かれたわけですよね?他の医師とはそういった類いの話はしたことがないだけですか?」
 呉先生は戸惑ったスミレといった感じだった。
「はい。不定愁訴外来にまで来てくれるような『奇特な』医師は、梶原先生だけですから」
 祐樹は職員用の食堂で聞いた精神科らしき医師の呉先生への揶揄めいた口調を思い出した。「しょせんは、クレーム外来に飛ばされた身の上だろう」と言っていた。「クレーム」と「呉」を掛けているのは、言うまでもない。しかし、真殿教授と大声で口論となりながらも、大学病院に残ることが許された精神科の医師は呉先生一人だけだと聞いている。そして、そこには斎藤病院長の思惑が絡んでいる上、不定愁訴外来を受診した入院患者さんの愚痴のうち、明らかに病院側の不手際だと判断された内容は、呉先生から斎藤病院長に報告されていることなどを考えると呉先生の教授就任を病院長はむしろ歓迎するのではないかと思った。



--------------------------------------------------
最後まで読んで頂き有難うございました。
二個のランキングに参加させて頂いています。
クリック(タップ)して頂けると更新のモチベーションが劇的に上がりますので、どうか宜しくお願い致します!!

にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
にほんブログ村



小説(BL)ランキング
2ポチ有難うございました_(._.)_






本記事下にはアフィリエイト広告が含まれております。






















































腐女子の小説部屋 ライブドアブログ - にほんブログ村




PVアクセスランキング にほんブログ村