最愛の人はどこか誇らしげなセピア色の口調とまなざしだった。杉田弁護士は極上の生クリームを心行くまで舐めたチェシャ猫のような表情だ。何しろ祐樹に「香川教授が今『グレイス』に来ていて、多数の男たちから奢られている」と知らせてくれたのは彼だった。「グレイス」で奢られるというのはアプローチして、出来れば「お持ち帰り」に持ち込みたいという下心の具現化だ。
「……うわ、それ……想像以上に、重い……」
ナツキは目を丸くしたまま、まるで胸に何かがストンと落ちたように息を吐いた。
「いや、重いって悪い意味じゃなくて、なんか……それだけ想ってたって、すごいなって……」
ナツキの視線は伏せ気味だが、その声は真剣だった。祐樹は何度か聞いたことのある最愛の人の独白の、その愛の重みをナツキの言葉で再確認して、一生この人を大切にして生きていこうとの決意を新たにした。
「一回でもいいから、って……なんか、それ、めっちゃ、愛じゃないですか……」
最愛の人は夜空に咲き誇る薔薇のような笑みを浮かべている。
「……そっか。じゃあ、今こうしてお二人で一緒にいるの、奇跡ですね」
ナツキは手元のグラスに目を落としながら、ぽつりと呟いた。
「今となってはむしろ、この人がアメリカに行ってくださったことが良かったと思います。私自身息を呑むほどに惹かれる容姿ですから、たとえば『グレイス』で会った場合絶対に口説いたと思います。しかし、私も若かったので、この人の性格を知る前に目移りしたような気がします」
杉田弁護士はまるで「全くその通り」と言いたげな笑みを浮かべている。
「しかし、本当に素晴らしいのは、外見ではなくその心だったのです。当時の私ならそのことに気づく前にお別れしていた可能性のほうが高かったです。アメリカに行った期間はお互いが成長を待つ『熟成期間』だったと思っています」
最愛の人の瞳は、ダイヤモンドの揺るぎない光が浮かんでいる。そしてその光は彼の目に浮かんだ涙の膜で乱反射しているように見えた。
「少し席を外します」
最愛の人は静謐な空気をまとってトイレへと消えていった。きっと涙を拭うつもりなのだろう。
「……なんて言うか……今日は先生たちに会えて本当に良かったです。僕も……なんだか中途半端なまま……ふらふらしてたなって……。ちゃんと頑張ってないと……いい出会いもないって分かりました。本当にありがとうございました!!じゃ、父さんや母さんの待ってる家に帰ります。……田中先生、香川教授によろしくお伝えください……」
ナツキは凛と背を伸ばして杉田弁護士と祐樹に頭を下げると店内から出て行った。彼とグレイスで再会したら酒を酌み交わすのもいいだろうと思った。
「……『熟成』ね。まさにその通りだね。あのタイミングではなかったら今みたいな落ち着いた関係性ではなかったように私も思うよ。この美味しい『響』21年モノみたいに時間を置いて醸し出された愛情か……。うん味わい深いね」
杉田弁護士は普段の飄々とした口調ながらも表情は真剣だった。
「お待たせしました」
最愛の人が席に戻ってきた。
「ナツキ君は帰ったのですね」
冴え冴えとした表情にどことなく涙の余韻が残っているかのようだった。
「あ、ピーチフィズをお願いします」
バーチェアにすらりと座るとバーデンにオーダーしている。
「あの名刺は貴方なりのナツキへのエールだったのですね。あの機転に乾杯です」
何度目になるか分からない乾杯を三人で交わした。
「それはそうと田中先生の恋人は普段から水も滴る優れた容姿だが、今は情事の甘い香りもしているような感じだが…?」
いきなりの話題転換に呑みかけの「響」を吹きそうになった。愛の交歓の甘い余韻はシャワーで洗い流せるわけもなく杉田弁護士は即座に見破っていたようだった。ナツキの前では大人の配慮で避けていた話題だったのだろう。
「え?」
顔を薄い紅に染めた彼はピーチフィズのグラスを倒してしまい。サマーセーターに中身を零している。しかも運が良かったのか悪かったのか先ほど祐樹が念入りに愛撫した尖りの片方に飛沫がかかり、あぶり出しのように慎ましやかな紅さとその小さな輪郭が、半ば透けて浮かび上がっていた。
「いやあ、絶品だね。ずっと鑑賞したいところだが、田中先生は隠したいと思うだろう?ここは良いから早く二人きりになりなさい」
杉田弁護士の厚意に頭を下げて椅子から立ち上がった。祐樹は二枚重ねで来ていたシャツを脱いで彼へと着せかけた。
「あ、チェックをお願いします。全員分を」
紅く染まったしなやかな指がクレジットカードをバーデンに渡している。
「香川教授、ごちそうさま。好意に甘えさせてもらうよ。いやあ、一人の若者の決意を見届けられて、いい夜だった。ああ、ナツキ君が『教授にもよろしく』と伝えてくれって言っていたよ」
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最新話、拝読しました。
ナツキくんが退場してしまって、まだ心の整理がつきません……。
最初は祐樹先生が教授に出会う前だったら口説いて関係を持っても顔も名前も忘れるような人という印象でしたが、
回を追うごとに、彼の聡さや優しさ、空気を読む力、そして不器用さに惹かれていきました。
祐樹先生や教授との場面では、ふと核心をつく一言があって、
彼の存在が物語全体にとても良い呼吸を与えていたように感じています。
退場が自然で丁寧だった分、余計に寂しくて。
もし可能であれば、少し先の未来でも、
彼がまたふらっと“グレイス”に顔を出してくれたら嬉しいです。
きっと読者の多くが、ナツキくんの再登場を願っていると思います。
kouyamamika
が
しました