呉先生はフットワークも軽いし、祐樹や最愛の人に親身に接してくれるのでよほどの用事がない限り協力してくれるとは思っていた。しかし、何処(どこ)と具体的に聞かれると返事に窮してしまう。何しろ事態は流動的な上に主導権は内田教授が握っているのだから。そもそも柳田先生の奥さんと山看護師のご主人を病院に呼んだと最愛の人がパソの画面での「筆談」で教えてくれたが、たとえば山看護師のご主人が東京などに出張中で駆けつけられないということも充分あり得る。配偶者の不倫よりももっと優先順位が高い「家族の死に目」の際だって間に合わない人を多数見てきた。救急救命室に搬送される患者さんのご家族に「全力は尽くしますが、極めて厳しいです。ご覚悟をお願いいたします」と言ったことも多々ある。その際にスマホで「何故来られないのっ!!」と取り乱している人もたくさん居た。
「とりあえず、香川教授の執務室にいらしてください。ちなみになのですが、配偶者が駆けつけた場合に精神科医が留意する点を教えて頂ければと思います」
 どう考えても旧館とはいえ病院に居る呉先生の(ほう)がお互いの配偶者よりも早く合流出来るだろうが。ただ、呉先生との会話は脳外科の白河教授に開頭手術でもしてもらって、脳みその代わりに何が入っているかを知りたいレベルの山看護師とのストレス満載の答えとは月とスッポンだ。祐樹としてはもう少し会話していたいと願ってしまう。執務室に残して来た最愛の人のことは気になるものの、彼は祐樹よりも遥かに気が長い性格だし生真面目(きまじめ)だ。山看護師の馬鹿な発言にもごくごく誠実な返答をしていた。不倫という不誠実な行為に対しての嫌悪感は抱いているようだが、祐樹ほどメンタルは削られていないような気がする。
『そうですね。性行為の動画も証拠として押さえているのでしたよね?』
 呉先生も最愛の人と同じくプライベートな空間で「そういう」単語を口にするのは恥ずかしがるタイプの人だ。ただ、今は職場に居るので気持ちも仕事モードなのだろう。
「はい。かなり生々しい画像が有りますよ。といっても顔ははっきりと映っていないのですが」
 スマホ越しに水の音がしたり何かを片付けているような気配が漂ってきたりするのは呉先生が不定愁訴外来を閉める作業をしながら通話しているのだろう。
『定点カメラで撮ったのなら仕方がないと思います。しかし、黒子(ほくろ)とかアザといった配偶者しか知らないモノはきっと写っています。そういう生々しい映像を見ると、人によっては激しいフラッシュバックに見舞われます。PTSDが代表的ですが。精神科の医局に居た時に(うつ)病の患者さんの主治医だったことがあって、普段は置き物というか身じろぎもしないでベッドに寝ているだけだったのです。その患者さんは、ご主人と不倫相手の性行為をいきなり見てしまったのが切っ掛けで鬱病になったのです』
 不倫相手との性交渉をいきなり見てしまうというのがどのような状況だったのかいまいち分からない。杉田弁護士から聞いた興信所を雇って密会場所と時間を特定してもらって所員と一緒に突入するといった場合には心の準備も出来ているだろう、多分。それでも精神的なショックを受けるらしいが。
「その女性は何故そんな悲惨なことを目撃してしまったのですか?」
 どの程度の愛情が有ったのかまでは分からないが、一生を共にしたいと思っていたのだろう。祐樹だって生涯に亘るパートナーの誓いを交わした最愛の人が祐樹以外の人間と性行為をしている現場を見たら逆上してしまうか死にたくなるかの二択だろう。彼はそのようなことは絶対にしないだろうが。
『夫婦共働きだったそうですが、出張の予定が早まってご主人に予告していた日ではなくて一日前の深夜に帰宅したら自宅にご主人が不倫相手を連れ込んでいたんです。ご主人はきっと寝ているだろうから気配を殺して寝室に入ったせいでその行為をばっちりと目撃してしまったのです。その記憶がフラッシュバックした時だけは発作的に自殺しようとしたり暴れたりしました。話で聞くのと映像を見るのでは精神的なショックも異なります。だから、その配偶者さんたちに不用意に画像を見せるのは止めた方が良いと思います。重度の鬱病やPTSDは良くて年単位、悪くすると一生治らないですから』
 精神科医ならではの視点に感心した。やはり呉先生を呼ぶという最愛の人の判断は正しかった。専門性に特化した大学病院では、他科の知識はさほど必要がないので世間様が思うほどの知識量でない医師が圧倒的だ。祐樹も精神科や産婦人科の知識は素人(しろうと)よりも若干詳しいというレベルだ。詳しく聞いたわけではないが内田教授も同様だろう。最愛の人は卓越した記憶力の持ち主なので、どの科の知識も豊富に持っている。しかし、当たり前だが専門医の意見が尊重されるので、呉先生を敢えて呼んだのだろう。
「そうですね。有難うございます。とても参考になりました。今、内田教授は頭に血が上っている状態だと思いますので細かな配慮が出来ない可能性が高いです。ですから精神科医としての見地からアドバイス頂ければとても助かります」
 自然と頭が下がった。




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