ミラー先生が興味津々といった表情を浮かべている。何年前に建ったかなど祐樹は知らない。最愛の人は教授会の後に恒例となっている斎藤病院長主催の呑み会で一度行ったことがあるような気がする。いやもしかしたら他のお茶屋さんと混同しているのかも知れないが。具体的なことは知らない祐樹は最愛の人に「ヘルプ」の意味のアイコンタクトを送った。
「詳しくは店側も把握していないようですが、1688年から1704年頃だと伝えられています。ただし、150年前に火災に遭ったので現在の姿に建て直したようですね」
笑みを帯びた怜悧な声が歓談の声で盛り上がっているレセプション会場にしっとりと溶けていく。
「大雑把に言って336年前の建物ですか?それは凄いですね。……申し上げにくいのですが、日本はアメリカ軍の空爆を全国的に受けましたよね?京都は炎上しなかったのでしょうか?」
ミラー先生が何処の国の人なのか聞いていないが、どうやら第二次世界大戦で日本の同盟国として戦ったドイツ・イタリア人ではないのだろう。尤もイタリアもドイツも独裁者の死によって空爆を受けていないと記憶しているが。
「そうですね。京都は奇跡的に空襲から免れた唯一の割と大きな都市です。実しやかに囁かれているのは今でいう世界遺産級の寺院や歴史的建造物があったからだという説です。ただ、アメリカ空軍上層部もそこまで考えていなかったという手記も発見されていますので真偽のほどは分かりません。日本全国では『戦争』は第二次世界大戦を指しますが、京都で最も大きな『戦争』、正確には内乱なのですが……それが起こったのは西暦1467年から1477年で、京都人はその内乱を『戦争』と表現します。つまり『戦後』は京都では1477年以後、日本全国の共通認識では1945年以後なのですから他の地方の人は混乱しますね」
その年に起こったのは確か「応仁の乱」だったなと大学受験の時の記憶を発掘した。最愛の人は京都市生まれの京都市育ちなのでそういう豆知識があるのだろう。祐樹は一応京都府だけれども日本海側で生まれて大学の時に京都市に下宿した。香川外科の医局には柏木先生や久米先生を始めとして京都市生まれ京都市育ちの人間が多いけれども、同級生は下宿組が圧倒的に多かった。
「大学入試に受かった中で最も偏差値の高い大学を選んだ」
その所為もあるのだろう、大学病院に残っている同級生は少ない。ミラー先生は可笑しそうな表情を浮かべている。
「そんな由緒の有る『お茶屋』で芸者さん遊びが出来るのですか?ちなみにそんなに歴史が有る店でしたら歴史的な著名人も来たのでしょうね……」
最愛の人は描いたように綺麗な眉を困ったように寄せている。
「誰かの紹介がなければ入店出来ない決まりでして……、日本の歴史をかじった人間ならば知っている人はいるでしょうが、世界的に有名な人はあいにく知らないです……」
ミラー先生はそれでも興味深そうな表情を浮かべている。芸妓さんや舞妓さん遊びは日本の大多数の男性の夢だと聞いている。祐樹は全く興味がないのは言うまでもないが。ミラー先生はもしかしたら芸者遊びよりも歴史を含む日本全体に興味を持っているのではないかなと推測した。日本人の作家が書いた「チーム・バチスタの栄光」シリーズも全部読んでいるっぽい人なので。
「明治維新の時に大活躍した人なのですが江戸城無血開城で有名な西郷隆盛が最も有名かと思います」
ミラー先生は目を輝かせている。
「おお!!映画『ラストサムライ』のモデルになった人ですよね!?そんな人が過ごした空間で過ごせるとはまるで夢のようです!!」
祐樹はタイトルだけ知っていて実際は観ていないが、家でテレビを流しながら家事をしている最愛の人は観ていたのだろう。何だか困った表情を浮かべている。
「確かに『ラストサムライ』のモデルになった人ですが、屋敷の中に神社の鳥居が有るというのはフィクションです