勿論、飛行機に乗っている状態でインターネットショッピングが出来るわけもない。
 ただ、高校時代のネクタイのノットは今の自分ならごくごく普通のネクタイで再生出来ることを考えると手持ちのポケットチーフでもこの7ミリの長方形は作り出せるような気がした。
 幸いなことにレセプション用のネクタイと合わせたポケットチーフの色も白色部分が多い。
 偶然というか、祐樹との「披露宴」という幸せな想い出の有る白いネクタイにしか見えないがジャケットで隠れる場所に蒼い薔薇の柄のあるネクタイを選んだのは一種の験担(げんかつ)ぎだったが……、それにもう一手間加えられそうだ。
 雑誌の一部を脳裏にハッキリと刻んだ、いつも祐樹が褒めてくれる記憶力を総動員して。
 レセプション会場用に用意したジャケットとポケットチーフは生憎スーツケースの中だ。
 だからポケットに入っている木綿のハンカチとポロシャツの胸ポケットという代用品で試してみよう。
 手先は生まれつき器用だし、素材や面積の相違も考慮に入れて試すのは楽しい時間潰しになる。
 職業柄集中力は何分割も出来るけれども、他のことは一切シャットアウトして指先と胸元に専念しよう。
 その(ほう)が建設的だし、余計なことを考えずに済む。
 ……こんな感じだろうか?と試行錯誤の末に納得出来たのは46分32秒後だ。
 何だか妙な達成感と多幸感を感じるのは呉先生が厳選してくれた薬の副作用だけが原因でないと信じたい。
 取り敢えず、先程の手順を脳に強くインプットしておこう。そしてシャルルドゴール空港に降りて治安的にもマナー的にも大丈夫そうな所でスーツケースを開けてジャケットとシルクのポケットチーフを取り出してからユーロスターに乗ってもう一度確かめようと密かに決意をした。
 飛行機は快適だけれども手持ち無沙汰なのが妙に落ち着かない。
 また、普段の自宅に居る時の習慣で祐樹のことを考えると国際公開手術のことが漏れなく脳裏を(よぎ)ってしまって鬱々としてしまう。
 それよりもポケットチーフの白い部分だけを外に出す工夫とか、何ミリの正確な長方形を形作ったらレセプション会場に相応しい装いになるか考えている(ほう)が精神衛生上も好ましいだろう。
 最近は次期病院長選挙に備える関係上、強いて笑顔で居ることが多いし、他科の医師や看護師に会釈ではなく声を掛けての挨拶を積極的に行うようにしている。
 それ以前は凱旋帰国を果たしたとはいえ、一旦大学病院から出た身なので()(ざま)扱いだった。
 祐樹のように……いや、今の自分にとって祐樹のことを考えるのは止めよう……そう、元同級生の柏木先生のように大学卒で病院に入った生粋の大学病院育ちが「普通」だ。
 一度外の病院に出てしまうとか、他大学の病院から教授職になると遠巻きに眺められるというか、見えない空気の壁があるという感じだった。
 今は自薦・他薦で教授職のポストを狙う他大学出身の人も居ると聞いているし、他の大学では教授のポストを射止めた人も実在する。
 ただ、そういう恩恵に与ることが出来るのは志望する医師が少ない科だ。
 実際そういう科では通過率は高いと厚労省の森技官から聞いていた。
 少子高齢化が進む昨今では小児科や産科、自分も含め「人を治したい」という思いで医師になる人間が圧倒的なので、人の死亡原因を調べる法医学などは教授職にとにかく就きたいという人間には穴場らしい。
 逆に言うと志望する医師が多い外科や内科は狭き門だということなのだろう。
 いわゆる穴場でもウチの大学病院はまだまだ閉鎖的で、外様は小児科の浜田教授しか居ない。外様扱いを受けている自分という存在も居るが。
 浜田教授も東京大学病院から来た()(ざま)教授だけれども、お父様がウチの大学の教授だったせいで完全な余所者(よそもの)扱いは受けていない。
 それに自分とは異なって気さくな性格でナースにも気軽に声を掛けているし、逆に彼女達もリラックスした感じで話し掛けていたのは意外だった。
 小児科病棟に久方ぶりに赴いたのはハロウィンの催し物で祐樹が……。
 いや、それはそうと、狭い京都の街で錦市場(にしきいちば)や百貨店などで自分を見たと言っている看護師も多いらしい。
「香川教授は常に患者さんのことや手術や医局運営のことを考えていらっしゃると(もっぱ)らの評判です。真剣な表情で歩いていて、声をお掛けすることなど出来ないと皆が言っています」
 柏木先生の奥さんで、接する機会の多い手術室勤務の柏木看護師から言われたことがあって心の底から驚いた。もちろん表情に出してはいないが。
 食料品売り場や市場(いちば)を歩いている時は常に祐樹が喜んでくれる献立を考えている。
 もちろん病院に居る時には仕事のことを考えているのだけれども、黒木准教授が医局を表から支えてくれているので、よほどのことがない限り自分には事後報告しか上がって来ない。裏から支えてくれるのは言うまでもなく……。
 表情筋を余り使っていないからなのかも知れないなと自嘲の笑みを漏らしてしまった。




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