「『伊勢物語』の有名な句がありますよね、杜若(かきつばた)を詠んだ和歌……。5・7・5・7・7の一番上の文字だけを拾うと『かきつはた』になるという在原業平の句が」
 一際見事な紫色の花を薄紅色の指で愛でるように辿っている最愛の人が祐樹の(ほう)へと振り返った。国宝――だと記憶しているが定かではない――「見返り美人図」よりも遥かに魅惑に富んだ姿だった。
「ああ『から衣 着つつ慣れにし (つま)しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ』だろう?濁点はカウントしない風習があったので、杜若(かきつはた)を織り込み、かつ京の都に妻を残して旅をしている寂しさを詠んだ句だろう。
 しかし、杜若が身近になければ……またはテストに出なければ絶対に分からないだろうな」
 そういう言語の使い方というか密かに他の意味を織り込んでいる点は凄いと思う。今でも匿名掲示板などでは縦読みの文化が残っているのはそういう伝統が綿々と続いていたのだろう。
「ただ、同行した人達が旅行用に干したご飯の上に感涙の涙を零してふやけてしまったという点が……。それだけ泣いたらそうなるのだろうか?と高校の教科書に突っ込んでいた記憶が有ります」
 祐樹は滅多に食べないけれど、救急救命室でカップ麺を食べる同僚も多い。お湯も沢山入れないと食べ頃にならないし、三分や五分を待たなければ美味しく出来ない。ちなみに待っている最中(さいちゅう)に救急車直通の電話が鳴って、中断を余儀なくされて伸び切った麺と冷えたスープを泣きそうな表情で食べている久米先生の表情は見物(みもの)だった。
 根っからの庶民育ちの祐樹とは異なりお坊ちゃん育ちの久米先生だから惜しげもなく処分するかと思って見ていたのだけれどもキチンと完食しているのはある意味立派な行為だろうと感心はしたものの。
「平安時代の貴族は良く泣く――いや鎌倉時代の『徒然草(つれづれぐさ)』にも『上人(しょうにん)感涙(かんるい)』という一節が有ったので貴族とかそれに準ずる知識人も含めて――涙するというのは普通のことだったのかも知れないな……。
 ただ『伊勢物語』には誇張が入っていると個人的には思っているが」
 「上人の感涙」……記憶をスキャンしてやっと出て来た。
「ああ、丹波(たんば)に出雲大社を勧請(かんじょう)して皆で見に行こうという話になって出掛け、狛犬の向きが普通ではないことに気が付いた偉いお坊さんが(きっと深い由緒が有るに違いない)と涙を流して皆に告げ、神社の人に聞いたところ近所の悪戯(いたずら)っ子達が動かしていたというオチの話でしたよね。
 偉いお坊さんの感涙は無駄になったというエピソードでした。確かに、どんな素晴らしくてとても有難い由緒が有っても今の常識では泣かないですから……。
 『徒然草』は確か鎌倉末期の作でしたよね。同じく鎌倉時代作とされている『宇治(うじ)拾遺(しゅうい)物語』だったと思いますが、お寺の稚児(ちご)が桜の散っているのを見て泣いているところを通りかかった僧が最高敬語でもある『せ給ふ』『させ給ふ』を子供の動作に使っていて混乱した覚えが有ります。
 その稚児が偉い貴族の子弟だったらまだ理解出来ましたけれども、桜の散っているのを見て『田舎の両親が育てている麦の花が散ってしまって、収穫高が落ちることを嘆いている』みたいなことを答えた点から農村出身だと分かったので尚更に。
 『源氏物語』とかだったらその場に居る一番偉い人の――例えば帝とか光源氏など――動作に『せ給ふ』『させ給ふ』とか、動詞に『召す』などを付けるのは高校で習いました。
 今の映画などでも『神の思し召し』みたいに『神様のお考え』みたいに訳しますよね。
 そういう偉い人とか神様でもないのに何故だろうと不審に思ったことが有って、古文の先生に聞いてみたのですがはぐらかされました……」
 杜若の群生している場所から歩み去ろうとしている最愛の人は、薄紅色の唇に複雑そうな笑みを浮かべていた。
 彼の若干薄い肩に腕を回して引き寄せて口づけを交わした。そういう笑みを浮かべることは珍しいので、どうしてもその唇の感触を祐樹の唇で覚えておきたかった。
「古文の教師が明確に答えなかったということは……」
 指の付け根まで絡ませて歩き出す。
「何ですか?教えて下されば嬉しいです……」
 彼の笑みが共犯者のような感じに咲いている。
「一つは古典文法が『源氏物語』の時代、だいたい西暦千年頃を基準にしていて、鎌倉時代だと200年くらい時代が異なるという点だな」
 時代が変われば言葉も変わる。「呪いが廻る戦い」のアニメやマンガでも千年前に実在したとされる人物の指を食べてしまった主人公が『器』として共生(?)している。その千年前の「呪いの王」が「うざっ』」とか言う場面や同じく千年以上前の別の人物(?)が「きっしょっ」と言ったのは違和感を抱いたけれども、共生している脳から記憶を取り出すことが出来ると説明が有って納得した。
 ただ、最愛の人の説明だと教師が教えてくれそうな気がした。きっと異なる説が有るのだろう。
「言葉が変わるのは理解出来ます。今から200年前だと江戸末期なのできっとタイムスリップしても言葉は通じないでしょうから……。
 しかし、古文の教師が説明を避ける理由にはなりませんよね?」
 繋いだ指を強く握ると最愛の人は花よりも美しく笑みを浮かべている。




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