座り心地の良い椅子に座っているので視線は低い。
祐樹の筋肉質の長い脚がリズミカルに動いている。普段も職業柄か速足だけれども病院に居る時以上の速度だった。
それに顔を上げるとゆったりとした笑みを浮かべた端整な顔が待ち人を探すように動いていて、その「待ち人」が自分だと思うと天国にでもいるような気分だ。
祐樹の輝く太陽のような雰囲気もいつも通りで、明日の手術に臆しているとか緊張しているといった感じではないのも頼もしい。
このティルームの客はシャーロックホームズの兄のマイクロフトが創立した「ディオゲネス・クラブ」かと思うほどの静謐さだった。まさか、その架空のクラブのように「ゲストルーム以外で口をきいてはいけない」という規則があるとは思えないけれども。
その静かな雰囲気を壊さない程度の声量で祐樹に声を掛けた。
「祐樹……、ここだ」
手を振ると、祐樹の輝くような笑みがより一層深くなった。その笑みを見ることが出来ただけでもロンドンまで来て良かったと笑みを零してしまう。
「来て下さったのですか?とても意外で……そして、とても嬉しいです」
祐樹の声が普段以上に明るく弾んでいる。
その声や嬉しそうな表情を見ると春風、いや薫風かも知れないがそういう心地よい風に吹かれている気分になる。
向かいに座った祐樹が執事風のウエイターさんに紅茶を注文しているのを聞いて驚いた。
祐樹は煙草も銘柄は絶対に変えないタイプだ。呉先生によると、そういうタイプの人間は一度気に入ったらずっとその物や人に拘るとのことで。
「煙草の銘柄はともかく、教授を恋人に選んだからにはきっと一生愛し続けるでしょう」
力強く断言されて嬉しかった思い出がある。
ただ、イギリスは言わずと知れた紅茶の国なので、名物として飲んでおこうとしているのだろう、多分。まさか普段はコーヒー一辺倒の祐樹が宗旨替えをして呉先生の説を違えるということはないと思いたい。
「祐樹が紅茶を頼むのを見たのは初めてかも知れない……」
恐る恐る聞いてみる。
「イギリスの紅茶って驚くほど濃いですよね?その芳醇さがすっかり気に入りまして。
それはともかく貴方手術の予定がぎっしり詰まっていましたよね……?」
イギリスの紅茶は例外だったらしく一安心だ。
祐樹も海外旅行に行くとその土地の名物を一応は試してみるタイプだった。
シンガポールでは絶対に口に合いそうにない、ラッフルズホテルのシンガポール・スリングを呑んでいたし。ああいう甘い味は普段祐樹は好まないのに。
黒木准教授が祐樹のパソコンにダミーの手術予定を表示させてくれていたことが奏功したのだろう。そして全てが「祐樹に気付かれずにここに来る」という目的のためで、それが達成したのだから吐いていた嘘の種明かしをする時間だ。
敏い祐樹に今まで気取られずにいたのはまるで奇跡のようだったが、それはきっと自分の演技力のせいではなくて世界レベルの外科医の登龍門に挑むということに祐樹の集中力が絞られていたからに違いない。
「……実は、祐樹が正式に術者に選ばれる前から、内々の話として漏れ聞いていた。日にちも開催地も……。
それで黒木准教授と長岡先生に協力して貰って、手術のリスケジューリングをして……」
慣れない嘘の種明かしだったので説明が難しい。上手く伝わっているか全然分からないけれども、この時間の止まったようなティルームの雰囲気だと祐樹も疑問点は突っ込んで聞いてくるだろう。
それに自分の時のように患者さんの容態が予め開示されているわけでもないので、前もって考えなくとも良い。つまり、することもなく待機しているという状況だ。
祐樹は黒く輝く瞳を驚いたような光も宿していた。
「そこまでして下さって嬉しいのですけれども……。貴方の手術の予定……病院のパソコンで見ました。
いつも通りぎっしりと詰まっていたと記憶していますが?」
当然ながら他の医局員のパソコンにはダミーではなくて本物の手術予定が表示されている。そちらの方を見たらどうしようかと思っていたけれども杞憂だったらしい。
安堵の余り笑みを浮かべてしまった。といっても国際公開手術の術者に選ばれた後には清水病院長の病院でのリハーサルを兼ねた執刀医を務めていたし、他の医師のパソコンで見る暇はなかったはずだ。
「実は黒木准教授に頼んで祐樹のパソコンだけにはダミーの手術予定が表示されるようにして貰っていて……。ほら、ベルリンのリッツカールトンホテルに祐樹が来てくれた時にとても嬉しかったので……。同じように祐樹も思ってくれるかと……。
しかし、祐樹はもしかしたら邪魔だと感じるかも知れないとも思って……」
状況説明はともかく心情説明は上手く出来ない。
それでも祐樹と付き合いたての頃よりは随分とマシになっている。
もともと、自分の気持ちなど他人に話したいとも思っていなかった。それに自分の気持ちなど聞いてくる人も居なかったし……。
祐樹はその例外で、付き合い始めの頃気持ちを聞かれても碌に返答が出来なかったのも事実だった。
それはともかく、祐樹に支離滅裂な言葉はキチンと伝わっているだろうか?
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2024年03月
小児科のナースが嬉々として「お化粧」をしようとしてくれたが、コンタクトレンズに縁のない祐樹は恐怖以外の何物でもなかった。
仕事柄、目を酷使しているにも関わらず視力は良いので。
同僚がコンタクトレンズを装着しているところを見て、あんな怖いことを事も無げに出来るなと内心では思っていたのだけれども、まさか自分の身に降りかかるとは思ってもみなかった。
小児科にわざわざ赴いてくれた最愛の人に頼んで事なきを得たのだけれども。
祐樹の知る限り最も器用な人だから。目が良い、いや眼鏡やコンタクトで矯正可能な視力でないと外科医は務まらない。
催し物は小児科だけではなくて他科の医師やナースなどからも大盛況で、少子高齢化社会のせいで患者さんが減っている小児科の収入に寄付という形で貢献出来た。
小児科の浜田教授は今年のハロウィンも大々的に開催したいと言っていた……。
祐樹にお鉢が回って来るかは全く分からないが。
小児科病棟の患者さんが喜んで観ているアニメは年によって変わるだろう。
祐樹がハマり役だと小児科の看護師の総意で選ばれた「現代最強の呪術師」のようなキャラクターとはタイプが異なるアニメとかその登場人物に適役な医師が選ばれれば良いと思っている。
小児科のイベントに参加したことで以前から懇意にしている内田教授だけでなくて、浜田教授と親しくなれたのは本当に良かったと思う、公私ともに。
「ややこしい話題は抜きにしてマンガやアニメのことを語りませんか?」という呑み会に両教授と最愛の人、そして祐樹の四人で行ったことも楽しい想い出だったし。
ちなみにその店で浜田教授が「心拍数200を超えると実際にはどうなりますか?」と真顔で聞いて来て、常に真面目な最愛の人はともかく、内田教授と祐樹は目を合わせたら爆笑必至だと肩を震わせていた。
専門性に特化した大学病院なので他科のことは詳しくない医師が多い。祐樹だって産科とか婦人科は全く分からない。
「『発作性上室性頻拍』をまず疑いますね。全身がだるくなり立っていられません」
真面目に答えていた最愛の人含めて物凄く可笑しかった。
「鬼退治」マンガでは心拍数200以上、体温40℃以上になれば戦闘力が爆上がりするという設定だ。その状態になったら身体に痣が出て人間とは思えない身体能力を手にすることが出来る。
教授職と親しくなるのは次期病院長選挙に出馬予定の最愛の人のことを思えば確実にプラスだ。
病院のことを考えたり教授達のことも思い出したり出来るのは手術が無事に成功して気が抜けたからだろう。
髪の毛は幾つもの部分に細分化されてヘアピンで留められたり毛束を捻られたり櫛で逆立てられたりして多分強度の異なるヘアムースなどで固められていく。
……何だか予想していたものよりも手が込んでいるような気がしたが「任せた」と告げた以上は黙っておこう。
「出来ましたよ!鏡を持って来ますね!!お気に召すと良いのですが……?」
晴れやかだけれども心配そうな響きも混じる声がした。
「有難う御座います。パーティなどのハレの場にはそれほど参加することもないですから、助かります」
何だか普通のドライヤーではなくて二枚の細いアイロンのようなもので髪の毛を固定されているのは何となく分かっていた。
どんな髪型になっているのかは全く分からないが、そういう場所にも慣れていると思しきルイス君の方がきっと正しいのだろう、多分。
丁寧な仕草で差し出された大きめの手鏡を受け取って確認する。
「如何でしょう?」
……うーん、どうなのだろう?自分では全く分からない。
ツンツンと凝った感じに毛先が立っているのがまず落ち着かない。
ハロウィンのコスプレの時は直毛の白髪のウイッグにアイマスクを着けたので自然と髪が逆立っていた。
それはまだ許容範囲だったのだけれども……。
「……凄いですね。プロの人に頼んだみたいです……」
笑顔を繕ってルイス君の厚意にだけは感謝した。
レセプション会場にこの髪型で行って、挨拶の後に最愛の人に忌憚のない意見を聞こう、いや彼の場合祐樹のことで否定的な感想は全く抱かない。
鬼門のハズの手術会場に何故か居た森技官も当然出席するだろうから、彼の辛辣な意見の方がまだ参考になるような気がする。大笑いされるかも知れないけれども……。
まあ、そうなってもそれはそれで仕方ないので洗面所に行って髪の毛を出来るだけ目立たないように水で何とかしようと密かに決意した。
「着替えますね。髪型に合えば良いのですが……」
ルイス君が軽やかに身を翻してハンガーに掛けてくれていたスーツ類を持って来てくれた。
「田中先生のネクタイとかスーツ類にも合わせた積もりなのですが……、髪型……」
そこまで気を遣って貰っていたとは知らなかった。
「有難う御座います」
着衣を脱いで最愛の人がレセプション会場用に買ってくれた物を手早く身に着けていく。
彼のクレカで支払ってくれたので正確な金額は知らないけれども高価だったことだろう、少なくとも祐樹の経済観念では。
もしも手術に失敗したらこの服の出番はなくなっていた。そちらの方が勿体ないことこの上ない。すごすごと尻尾を巻いてホテルに戻るという事態にならなくて本当に良かった。
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スーツケースも羽根が生えているように軽く感じるのはもう直ぐ祐樹と会うことが出来るからだろう。
イギリスの貴族の館というよりも、テレビで観たベルサイユ宮殿の絢爛華麗さが際立った廊下を歩んでティルームに着いた。
「ようこそいらっしゃいました。奥のお席へご案内致します」
いかにも英国貴族の執事然としたウエイターさんが慇懃な口調と仕草で入り口から奥まった席へと誘ってくれた。
かつて太陽の沈まぬ国として世界中に植民地を持っていたイギリスは差別主義が今でも根強く残っていると読んだ覚えがある。
東洋人の自分は隅っこの目立たない席とか、厨房の近くに案内されても文句は言えないと思っていたのだけれども……?
奥まった席というのはもしかしたら厨房で出来た料理をウエイトレスさんが受け取る場所に近い席かも知れない。別にそういう席に案内されても自分としては全く気にしないのだが。
「いえ、実は本日の宿泊客と待ち合わせをしておりまして。この席に座っても宜しいでしょうか?」
祐樹を一刻、いや一秒でも早く見つけることが出来る入り口近くの席を指で示した、婉曲に断られるかもしれないなと危惧しつつ。
意外そうな表情を一瞬浮かべた彼は笑顔になった。
「お望みのままに」
あっさりと許可されて拍子抜けした気分だ。このホテルもアメリカ大統領とイギリス首相などが会談をする場所としても有名だ。
そういうホテルに勤務していたら今自分が腕に抱えている外交官特権の麻袋は見慣れた物なのかも知れない。きっと優遇されるのはそのせいだろう。
頭の中に入っているホテルの見取り図を参考にエレベーターを降りた祐樹が歩いて来た場合に最も目に留まる席に座った。祐樹はホテルでエレベーターしか使わないことを知っていたので。
エレベーターといえばドラマ「白い巨塔」で教授総回診の時に教授職だけがエレベーターに乗り当然のように扉を閉めていた。そして、その扉の向こうへと消えた教授を深々とお辞儀した後に脱兎のごとく非常階段を駆け上るという描写がされていた。
あれには何の意味があるのか全く分からなくて隣に座ってコーヒーを飲んでいる祐樹に聞いた覚えがある。
「下っ端はエレベーターを使うなということでしょうね。
いかにも旧態依然とした国立大学という感じがしますね。
いや、体育会系のノリなのかも知れませんね。根性論が幅を利かせている感じなので。
エレベーターよりも階段の方が早く着くと見せつけるアピールですかね。
ご存知でしたか?警察の機動隊所属の人はロープを伝って屋上から地面に降りる訓練の時に軍手とか手袋などは着用不可で、素手で降りて肉刺をこさえたり酷い人は裂傷を負って血だらけになるらしいです。
何か意味が有るのかとその患者さんに聞いたら『昔からの慣習で、軍手を着けるのは軟弱者だと怒られます』と言っていましたよ。
機動隊の前身は何でも『警官の華』とも呼ばれていて警察官の中でも特別視されているとか。隊員の皆さんも軍手を敢えてしないことが誇りだそうです、よ?」
輝くような笑みに呆れたといったニュアンスを浮かべて教えてくれた。
医学部は文系学部と異なって講義や実習などで拘束時間は長いにも関わらず体育会系の部所属率は高い。勉強しつつ身体を鍛えている同級生は凄いなと思って見ていた。
ちなみにお遊びサークルに入っている同級生は居なかった。
「そうなのか?しかし、息を切らせて座り込んでいる医師が居るだろう?少なくともドラマの中では。
体力は患者さんと向き合うまで取っておいた方が合理的だと思うのだが」
薄紅色の回想に耽っているとスマートフォンのプッシュ機能がLINEの新着を知らせてくれた。
もうそろそろ祐樹が降りて来てもおかしくない時間だ。
一応画面を確認してからアプリを開いた。
「明日の待ち合わせ時間ですが、どうしても外せない緊急の案件が入りまして。医学部棟に着く正確な時間は決まり次第またLINEさせて頂きます。勝手を申して済みません」
森技官は恋人の初の海外学会発表を聞くためにきっと無理して時間を捻出したに違いない。
そして、その成功を心の底から喜びあっている時に水を差すような仕事が入ったのだろう。
自分としては祐樹の手術時間に間に合ってくれれば良い。祐樹への妬み交じりの野次の応答要員として居てくれさえすれば充分だ。
「承りました。国際公開手術に間に合わなくなるという可能性は有りますか?」
それだけ聞けば充分だろう。
どんな緊急の案件といっても森技官のイギリス出張の目的は国際公開手術の視察だ。それに主催者側の挨拶回りや日本でも似たような催しを行っても良いかを打診することなので手術には絶対に来るだろうし。
「いえ、何としても手術開始には間に合わせます」
即座に返信が来た。将来の事務次官との呼び声の高い森技官らしく色々な仕事が降って来るのだろう。
「分かりました。返信は遅れるかも知れませんが、正確な時間が決まりましたらお知らせください」
スマートフォンをポケットに仕舞って、メニューを良く見もせずに注文した紅茶が運ばれてきていたことに気付いた。
祐樹を待って気もそぞろな時にでも置いてくれたのだろう。
伝統と豪華さを感じるエレベーターの扉が開いて、そちらに視線を遣ると太陽の光よりも輝く祐樹の眩しい存在に鼓動が跳ねた。
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着物だって救急救命室で暇潰しに観る時代劇では帯に煙管を差したり襟口に大きな懐紙や書物を入れていたりする。襟口といっても帯に近い部分だが。
アカデミックガウンも学生が余計な荷物を手に持つことがないようにポケットというか収納部分は工夫されているのだろう。何の映像かは忘れたが、オックスフォード大学の卒業式がテレビの画面に映し出されていて、卒業証書を巻いた筒状の物しか学生が持っていない場面を見た覚えがある。
その映像には女性も複数人映り込んでいたものの、誰一人としてハンドバックは持っていなかったと記憶している。お化粧用品とかハンカチなどはきっと内部のポケットに分散させて身に付けていると考えた方が妥当だ。
ちなみに時代劇は割とパターンが決まっているので救急車からしか繋がらない専用電話機の音が鳴ったら一瞬の躊躇なくリモコンのスイッチを切ることが出来るので気に入っている。
そんなことを考えながらスコーンを食べ終わって濃い目の紅茶も飲み干した。ルイス君は祐樹が見ても充分に及第点に達する器用さで櫛とかヘアムースと思しきもの数種類、そしてヘアピンと思しき物などを手際よく机に並べている。
ちなみに最愛の人の精緻な器用さが最高到達点で、手技は勿論のこと日常生活でも目を瞠るほどだ。
そういう意味では一般的というか世間の常識としての器用さという概念と確然とした相違が有ることも自覚していた。
外科医以外に対してはごくごく正常な器用さの物差しを持っていると自己判断していたけれども。
ルイス君も良い外科医になるだろうなと微笑ましく見ていた。
ちなみに、ヘアムースは祐樹が自宅以外の場所で愛飲している缶コーヒーほどの大きさだ。
自宅では世界一美味しいコーヒーを最愛の人が淹れてくれるので買って飲む必要は全くない。
そのコーヒーをわざわざイギリスまで運んでくれた彼に感謝だ。基本的には無神論者だけれども、都合の良い時には神様や仏様に祈るといういい加減な宗教観を持っている祐樹は朝のコーヒーで神様からの加護を貰ったようにも、いやそれ以上に最愛の人の心尽くしに背中を押されたという気になった。
普段の祐樹でないような万能感を手技の時に発揮出来たのはきっと後者のご利益の賜物だろう、きっと。
最愛の人も水溶性のヘアムースだかジェルを使って前髪を後ろに流して出勤の支度をしているのは当然知っている。何しろ朝は身支度などで慌ただしい。洗面台を二人で同時に使うことも多々あったのだから。
ただ、最愛の人が使っていたのは一本だけで、こんなに多くはなかった。
何故、何種類も必要なのだろうかと素朴な疑問を抱いた。
しかし、手技を成功させた後に万雷の拍手を浴び、手術スタッフと健闘を称え合ったり京都での祝祭を約束したりして手術着を脱いでシャワーを手早く浴び着替えを終えてこの部屋に戻って来るまでにルイス君が手早く用意をしてくれたのだと思うと厚意を無碍に出来ない。
最愛の人のように秒単位で正確な体内時計を持っているわけではないし、医学部棟から寮までどの程度の距離が有るかなどは全く分からないが……大急ぎで往復してくれたことは想像に難くない。
「どのような髪型をお望みですか?」
……そんなことを聞かれても祐樹は全く分からない。
「そうですね。派手過ぎずに、ほどほどでお願いします。それ以外はお任せで」
何故数本も使うのか全く分からないし、ヘアピンなどは女性が使う物という認識しかない。TPОに詳しそうなルイス君に委ねる方が良さそうだ。
「承りました。田中先生は額の形が綺麗なので、前髪で隠すのが勿体ないです……」
紅茶茶碗やスコーンの載っていた皿を片付けたルイス君が櫛で試す感じで髪の毛を弄っている。
優れた容姿に全く無頓着な最愛の人と異なって、自己客観視は出来ている。といっても、彼が無自覚という点が好まし過ぎて愛おしいのだけれども。
「そうですか?有難う御座います。宜しくお願いします」
ルイス君は張り切った感じの笑みを浮かべている。
髪を切りに行く場合を除いて、祐樹の髪に触れるのは最愛の人くらいだ。ただ、別に他人に触れさせたとしても問題のない部位だと判断した。
去年の小児科のハロウィンの催し物の主役に選ばれて、人気アニメの登場人物に扮したことは有った。
アニメの登場人物というのは日本人離れ、いや世界中探しても居ないような髪色の人が多数存在する。「鬼退治」アニメでも桜餅の食べ過ぎという医学的には全く根拠のないが、ピンク色と裾の方は緑色という登場人物も普通に居るので。
また、炎の色のような金色に毛先の一部分が赤色という人気キャラも存在して、救急救命室の凪の時間に観た考察系YouTubeでは「代々妊娠中の嫁に炎を見せて髪の色を変える伝統的な儀式があった」と観た覚えがある。
確かに「妊娠中の女性に火事を見せると『赤あざ』の子が出来る」という言い伝えがある。しかし、その真意は妊婦に動揺を与えてはならないというほどの意味だ。火事という異常事態だと精神も波打つののだろう。
未だアニメになっていない部分だけれども「鬼退治」マンガでは「あざ」が特別な意味を持っていて、ある意味憧れの対象だ。人工的にでも「あざ」を出したいという切実な気持ちの表出だと考察されていた。
それはそうと、祐樹の扮した登場人物も白髪にサファイヤよりも綺麗な目の色、そして多過ぎる毛の量を誇っていて、目の周りには付け睫毛や瞳にはカラーコンタクトという「試練」が有った。
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仕事が増えてしまったので更新滞っています。誠に申し訳ありません。
リコメもままならないという……。
新しい仕事に慣れたら、元のペースに戻ると思います。
あと、時間が有る時に頑張って更新致しますので、ちょくちょく覗きに来て下されば嬉しいです。
こうやまみか 拝
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「お口に合って本当に良かったです!
日本の方は繊細な味付けを好むと聞いていますので、とても心配していました」
ルイス君は安堵したように笑みを浮かべている。
この英国貴族の邸宅の趣味の良い主人の私室みたいな空間に居るのがルイス君ではなくて最愛の人だと良いなと高望みをしてしまう。
「いえ、千年の都である京都とは異なって東京の味は割と大雑把な感じを受けます、あくまでも個人的な感想ですが」
最愛の人の執務室で一緒に食べる患者さんからの差し入れのランチは見た目も綺麗だ。尤も向かい合って微笑を浮かべている人の方が祐樹の目を強く惹くのは言うまでもない。
「そうなのですか?とても参考になります。
あ!クロテッドクリームの上からジャムを載せて召し上がったら更に美味しくなります」
ジャムか……。イギリスに来てからママレードは美味だと知ったけれども見た感じ甘そうだなと若干悩んだ。
ただ、勧められているので少しだけ味見をしておこう。
「あ!このクロテッドクリームの味と絡み合って本当に美味しいです!」
多分苺だと思われるがベリー系のジャムの酸味と甘みの絶妙なバランスと、クロテッドクリームのコテっとした部分を上手く相殺している感じだ。
「スコーンはまず何も付けずに食べて、その後クロテッドクリーム、そしてジャムをというふうに味を変えていくのがこちらでは一般的です」
嬉々とした感じで説明をしてくれるルイス君は何だかとても嬉しそうだ。
アフタヌーンティーセットは何度か食べたけれどもそういう複合的な食べ方をしていない。
該博過ぎる知識を持っている最愛の人もジャムとかクロテッドクリーム単体で食べていたと記憶している。
「そうなのですね。参考になります。ちなみに、スコーンを始めとしてジャムもクロテッドクリームもとても美味しいので、どこで売っているかお伺いしても良いですか?」
是非とも最愛の人と一緒に食べたい味だ。
「え?それほどお気に召して頂いて光栄です。
これらはウチの大学で作ったり売ったりしている物なのですが、良かったら持って帰られますか?
術者用にまだまだ準備はありますので……」
若干罪悪感めいたものを抱いてしまうけれども、これも国際公開手術を成功させた術者としての報酬の一環として受け取っておこう。
幸いなことにジャムもクロテッドクリームも小さな瓶に入っている。
「有り難く頂きます。出来れば二人分お願いしたいのですが……?」
お安い御用と言わんばかりのルイス君の反応だった。
後で二人きりになった時に美味しい物を食べることも楽しみの一つなので。
会場に森技官も何故か居て……祐樹が野次を気の利いたジョーク交じりで返す手間を