「物凄く心配しているのですね、森技官は……」
恋人と一緒に居たいという気持ちは分かったので感心したのも事実だった。
だから、そう言ってみたのだけれども呉先生は何だか苦い薬でも飲んだ表情を浮かべている。
自分に告げた言葉以上に森技官の長文LINEには色々書かれていたに違いない。
自分だけかも知れないが全人類と祐樹という二者択一を神様から突き付けられたら一瞬の躊躇もなく祐樹を選ぶほど大切な恋人とのLINEも二三行で終わっている。
他の割と親しい人達も同じ程度で、それが普通だと思っていたけれども、世の中の人はスマートフォンの全画面に収まり切れないくらいの文章を綴るのが当たり前かもしれない。
自分の交友関係が狭いので世間の常識がイマイチ分かっていないのは自覚している。
「それが……。一人で行動していたら下心を持った人間に一々声を掛けられて、人の良い……、いやこれは同居人が勝手に書いて来た文面ですが……」
スミレの花のような顔を思いっきり歪めているので気分を害しているのだろう。
呉先生は一度心を許すと確かに親切だし親身に接してくれる人だが、誰に対してもそうとは限らないし、精神科の真殿教授とは怒鳴り合いの大喧嘩の末にこのブランチに「左遷」された過去を持っている。
どれだけ教授職の人間に不満を持っていてもその上司に向かって喧嘩を吹っ掛ける医師の方が稀な存在だ。
現に内科の内田教授は喧嘩という過程をすっ飛ばして医局クーデターを完遂させ、いかにも政治力のみで就いただけの教授を辞めさせて病院改革の闘士と自他共に認めさせている。
普段は温和で人当たりも良い人だけれども、最も難しい医局クーデターを周到・入念な準備を終えた後に一気に片を付けた経歴の持ち主だ。
その見事さは教授会の皆を震撼させた過去を持っている。
その点脳外科の白河教授は、准教授時代に、教授が狂気の研修医と表沙汰に出来ない金銭的な癒着があった。
そして、その狂気の研修医が自分の外科医としての腕が未熟なのを棚に上げて自分を妬んでいることを察知した祐樹が裏で色々と動いてくれていて、白河准教授に内田教授を紹介して医局内クーデターの正しい方法を教示したにも関わらず完遂出来なかった。
言うまでもなく准教授は医局内でナンバー2だし、狂気の研修医に対して明らかに甘い教授の態度とか医局に爆発しそうな不満が充溢していたと祐樹が言っていた。
祐樹は「夏の事件」と言っていて、被害者である自分よりも明らかに傷ついていたのであまり口にすることはない。
それでもクーデターは未遂に終わったのだから内田教授の手腕は見事だと思う。
ただ、自分も教授職で、医局内に目を配ってくれている祐樹がいる。そんな公私共々自分を支えてくれている祐樹という存在は涙が出るほど有難い。
それはともかく医局内に不満が満ちているなら改善に努めるだろうが、それでも無理な場合には教授職を辞す決心をするだろう、きっと。
有難いことに医局は上手く回っていて医局員たちは自分を慕ってくれているのでその心配はないだろうが。
「心配……というか……思いっきり杞憂だと思います、しかも思いっきり斜め上の……」
呉先生は言うまでもなく精神科医なので言葉も的確に操る人だが、今回は何だか抽象的過ぎる。内心首を傾げながら売り上げ数でギネスにも載ったフィナンシェを口にした。
バターの円やかな薫りが小さく漂っている。口の中に入れるとしっとりとした生地が溶けるようだった。
「……だいたい、同居人は心配し過ぎなのですよ!日本ならともかく海外は危険過ぎるとか!」
確かにその傾向はある。長岡先生御用達のバッグなど一般人でも知っている高価な物は別として、金目の物が入っていなさそうな大きな荷物をコンビニエンスストアの駐車場に置きっぱなしにして、店内に入って買い物を済ませて戻ってもちゃんとその場にあるのが普通だ。
自分の居たアメリカのLAだと99%無くなると聞いている。
「確かに荷物などは肌身離さず持っていた方が良いですけれども……?」
何だか呉先生の怒りの矛先はそちらには向いていないのだろうなと思いつつ言葉にした。
祐樹曰く「呉先生はうっすらと己の性的嗜好を自覚するハズの年齢の時にも『性的に淡白なだけ』とスルーしていたタイプです。貴方も高校の時に少数派の性的嗜好だと自覚されていましたよね?ですから相談する相手が物凄く限られています。出来るだけ相談に乗ってあげると良いですよ」とのことだった。
祐樹がそう言うならそれがきっと正しいのだろう。
「そういう意味での危険ではないのです……。同居人が驚愕の長文のLINEを寄越した理由は」
やはりスマートフォンの画面が全部埋まるほどの文章は呉先生も長いと感じたのだろう。自分が特殊でなくて何だか安心したが、どういう意味で危険なのだろうか……?
「なんでも、日本人男性は西洋諸国の男性にとってとても魅力的なんだそうです。体毛も薄いし清潔だとのことで……。
だから、日本に比べて口説かれたり襲われたりする確率が高いとかで!!襲われるって……別に危ない場所には近づかないし、口説かれてもイエス、いやフランスなのでウイでしたっけ?それはどっちでも良いのですけれど!
誰がОKするかよ!!って思いました。本当に心配し過ぎですよね!!」
要するに嫉妬心が絡んだ心配を延々とLINEして来たのかと思うと何だか可笑しい。
確かに呉先生は可憐なスミレの花の風情なので何事にも冷静な森技官がムキになるのも分かる気がする。
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2023年10月
ファーストクラスの座席は寝心地も最高だったし、鈴木さんの救命も上手く行ってからは肩や背中に載っていた重い石のようなプレッシャーが雲散霧消したのも事実だ。
心地よい達成感は抱いていたけれども。だからそれほど疲れてはいない。
「分かりました。ゆっくりお茶を飲んで旅の疲れを癒します」
祐樹の言葉を聞くや否や運転席から出たレンフォードさんは後部座席の扉を開けてくれた。
一体築何年になるのか全く分からないほど、もしかしたら第二次世界大戦前、いや第一次世界大戦の時も建っていたとしても全く不思議でない建物だったが、独特の雰囲気を漂わせている。
「いらっしゃいませ。何人様ですか?」
金髪の美女が日本語に直すとそんな挨拶で出迎えてくれた。
「こんばんわ。一名です。出来ればテムズ川を見ることが出来るテラス席に座りたいのですが……」
イギリスやフランスでは人種差別が有ると雑誌で読んだことがある。
日本ではそこそこ有名なイケメン俳優さんでもトイレ近くとか厨房近くといった所謂「他の欧米人種からは見えないテーブル」に案内された」とかいう記事も芸能誌で読んだことがある。
祐樹は芸能雑誌などを買うのはお金が勿体ないので救急救命室勤務の誰かが買って休憩室に放置してある物しか読まないのだが。
だから日本人、いや多分イギリス人には日本人と中国、そして韓国の人と区別が出来ないだろうが、東洋人は「差別」される席に案内されるかもな……と覚悟はしていた。
ところがウエイトレス嬢はにっこりと微笑んで店内を通り過ぎて立派な暖炉や、いかにも座り心地の良さそうな椅子や年代物のテーブルが並んでいる室内を通り過ぎている。
外観を見た時は第一次世界大戦の時に建ったのではないかと思っていたが、豪華な調度などを見ると「太陽の沈まぬ国」と言われた大英帝国全盛期を彷彿とさせる店内だった。
それこそ、貴族様が正装をして四頭(だったと思うが定かではない)の馬が引く馬車で乗り付けてお茶を飲んでもおかしくない雰囲気だった。
シルクハットを被って金鎖の懐中時計をスーツのアクセントにしステッキを持った英国貴族と金髪の髪を上品に結い上げてドレスを着た伯爵夫妻とかそういう人がこの空間に居ても何の違和感がない。
「こちらがテラス席です」
ウエイトレス嬢が古のお貴族様の庭師などを使って蘭の花を栽培している温室のような扉を開けてくれた。
ロンドンの冬は寒いと読んだけれども、今は8月なので日本と同じ程度の気温だったし、湿度は高くない。
「有難うございます」
ウエイトレス嬢の手がテーブルを指さした。どうやらそこに座れということなのだろう。
視線を向けるとテムズ川が夕日にキラキラと輝いている。テラス席と同じ高さに川が広がっている。
川単体だと日本と同じ風情だけれども、石造りの大きな建物と調和してとても綺麗だった。
最愛の人とこのカフェに来たかったなと思ってしまう。それに日本では海岸沿いにこういった店は有るが、川に面している店は祐樹の知る限りない。
そんな風景を見ると異国情緒というかロンドンに来たのだなとしみじみと思ってしまう。
「紅茶をお願いします。アールグレイをストレートで」
ファーストクラスの機内食のお蔭で全くお腹は空いていない。だからお茶だけを注文した。
「イエス・サー」
微かに微笑んでウエイトレス嬢は機敏に身を翻していた。何となく溜め息を吐いて川面を見下ろした。
クッションの利いた椅子に座っている祐樹の座高分だけ高いけれどもカフェの建物とは同じ高さという点が日本と異なる。
少なくとも彼と良く散策する鴨川は見下ろす感じで川が流れている。
もしかして「前祝い」の日に最愛の人が言っていたのはこのことだったのかもしれないなと思った。
あの夜祐樹の母から贈られた指輪を彼がリフォームし、鴨川の河原に下りて祐樹が指に付けた。
その時の細く長い指の冷たい感触と極上の笑顔が脳裏にまざまざと浮かび上がった。
今テムズを渡る川風に当たっているさらさらとした空気の感触と異なって、湿度が高い京都の街との相違が却って懐かしい気がする。
鴨川だけでなく第二の愛の巣とも言うべき大阪のホテル近くの淀川でも堤防があって、河川敷は草野球などが行われるほどの広さがある。
台風の時など増水した場合は水没する前提で作られた場所だ。
テムズ川の場合そういう災害がないのだろうか?それともこのカフェの近くでは増水が起きないとか……?
夕日に煌めく川面を見詰めながら取り留めのないことを考えていると鈴木さんの救命に当たった疲労感と緊張感がすっかり消えていくような気がした。
こういう観光地めいた場所には最愛の人と来ることが圧倒的に多い。
彼と付き合う前はデート=欲望の発散だったので、ゲイバー「グレイス」近くのホテルに行く程度だったし。
だから、こんなロマンテックな場所に祐樹一人で座っていると無性に最愛の人のことを思い出してしまう。
先ほどとは異なる女性がティーカップを運んで来た。
お金を払った後にカップの中身を見、そして、おもむろに一口飲んであれ?と思った。
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それに一度弁護士になったらご両親とか親戚とか付き合いの有った人は皆『凄い』とか思っているでしょうし、ワーキングプアな状態であったとしてもあっさり辞めることとか出来ないでしょうね……。
さっきまで話していた龍崎さんは幸樹のお父様と一緒の階級(?)らしい。
それに、会話の中で本郷という単語がチラッと出たので龍崎さんも東大法学部を出ているんだろう、そういう人がたくさん居る中で出世するのは物凄く難しいだろうなってコトくらいは分かる。
上手い処世術っていうか空気を読む力に優れているとか色々と。
それがこの不況のせいかどうかで文科省の研究費が大幅に削られたことを恨みに思っているんですよね……。
大企業は新卒で採用するのは二浪・二留年がギリだと聞いているんで大野さんの場合は厳しいと思います。
同じように税金が回らなくなって研究を断念したのも大野さんのせいじゃないですよね。
それってやっぱり大学に残って研究者になって、博士課程を経て立派な研究者になって大学の教授が将来の夢で、その夢に向かって必死に頑張っていたのに、国のせいでその夢が頓挫してしまったんですよね?
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「え?出版ですか?論文集の端っこに載せて貰うだけでも光栄なのに!
あっ!痛っ!熱っ!!」
呉先生の慌てた声に書類を置いて足早に近づいた。
……何だか長岡先生を自宅に招いた時も同じようなことがあった。何だかデジャブを見ているような気がした。
コーヒーは沸騰したお湯で淹れると美味しさが増す。
「いたたっ!」
呉先生は直ぐ近くに水道の蛇口が有るのにどうして華奢な手を空中で振っているのか理解出来ない。
物心付いた自分が母と暮らしていた部屋と同じような蛇口をひねってお水を全開にした。
「流水で冷やすのが一番ですよ。
Ⅰ度の熱傷みたいですから。コーヒーは僭越ながら私が淹れます。
Ⅰ度の火傷は皮膚が赤くなるだけでⅡ度のように真皮まで到達していないので大丈夫ですよ」
……呉先生は赤くなった部位を流水に晒している。
医学部では当然皮膚科の講義もあるというのに何故手を振り回すという対処法しか知らないのか疑問だった。
零れたコーヒーをキッチンペーパーで拭ってからコーヒーを淹れることにした。
Ⅱ度の熱傷は所謂水膨れが出来て、Ⅲ度だと呉先生が怖くて見ることが出来ない事態になる。
しかし、そんな余計なことは言わなくて良いだろう。
「教授、お手数をお掛けして申し訳ありません……」
呉先生は萎れたスミレの風情で頭を下げている。
「いえいえ、どう致しまして。このお礼は入眠剤で返して貰うので大丈夫です」
さきほどLINEの通知音はきっと森技官だろう。
彼も問題の有りそうな病院に派遣の医師として潜入捜査をしている。
そういう要注意の病院は大学病院の病院長からの情報提供から発覚するらしい。
「ウチの病院からの派遣ということで行って頂きますが、皮膚科以外は絶対に駄目です」
異口同音に言われるらしい。
海千山千の大学病院長にはきっとそれ以外の科に派遣すれば患者さんの命に関わると優れた眼力で分かるのだろう。
本来ならば外科の領分なのだけれども、熱傷は皮膚なので患者さんが間違って受診するケースも多々あると聞いている。
Ⅲ度の熱傷は炎で焼けて患部が炭のようになったり、皮膚の色も赤茶色や黒色になったりする。
そういう患者さんが来ても森技官は冷静に対処出来るのか他人事ながら心配になってしまう。
普段は皮膚科大全という辞書みたいな分厚い本に写真が載っているものを持参して、患者さんと相談しつつ病名を決めるというマトモな医師なら恥ずかしくて出来ない「見せながら診療」を行っている。
そんな型破りな方法でも意外にも好評のようだと聞いた覚えがある。
ただ、Ⅲ度の熱傷は森技官ほどではないが呉先生も苦手そうなので黙ってコーヒーを淹れ終えた。
「皮膚の赤みも取れましたね?痛みは有りますか?」
実際のところⅡ度までが痛くて、Ⅲ度まで行くと神経まで熱が届いて焼き切れているせいで痛くはないが治療には時間がかかる。
「出版という俺なんかには畏れ多いことを聞いたのでつい手を滑らせてしまいました。もう痛みはないので大丈夫です」
呉先生が何故そんなに謙遜するのか分からない。
精神科学会の講師として色々な大学で講演歴も多々あるというのに。
「英語に訳したのは阿久田教授とその医局員ですから、まずは教授と相談なさってはいかがでしょう?
トレーは私が運びます。お菓子は適当に選んでこのカゴに盛れば良いのですね?
軽度とはいえ熱傷患者さんの手を煩わせることはしたくないですので……」
ロゴマークを見ただけでテンションが上がる洋菓子店の焼き菓子を形よく組み合わせてコーヒーカップと共に運んだ。
「LINEの通知が来ていました。森技官からではないでしょうか?」
華奢な手を痛々しそうに見ながら部屋を横切った呉先生はスマートフォンを取り上げている。
赤みも引いて痛みもないはずなのに……。
「仰る通り同居人からでした」
スマートフォンをスミレ色の溜め息を零しながら見ている。
白く華奢な指が画面をどんどんスクロールしている。そんなに長い文章なのだろうか?
祐樹には「貴方の読むスピードは秀逸過ぎる頭脳の賜物でしょうか、私が知っている人の中で最も早いです」と褒められている自分はどんな長文でも視界に入りさえすれば直ぐに読めるのだけれども。
「初めての海外での講演、しかもパリ大学で。おめでとうございます!」
いや、そんな短い文章では絶対にない。薫り高いコーヒーカップを手に首を傾げていると、呉先生は何だか物凄く複雑そうな表情だった。
「それが……『絶対に、何が何でもパリには一緒に行く!!臨時国会が開かれようとも法案作りを放り出してでも一緒の飛行機で行く!!』とのことです」
森技官は実家の産婦人科を継ぐよりも官僚になった方が絶対に良かったというのが祐樹と自分の共通認識だった。
私利私欲ではなくて天下国家のことを考えて仕事をしていることは付き合いが深まるにつれ明らかになったので。
薬害エイズなど何かと問題を起こしている厚労省だが、森技官が目指している厚労省初の独身の事務次官になったら、鎮静化するに違いないと踏んでいた。
祐樹の国際公開手術は出張扱いの仕事だ。
しかし、呉先生の晴れ舞台を見たいと思うのは恋人として当然だけれども、日本を良くしようと思って激務をこなしている森技官が「法案作成を放置してまで」パリに行くとはよほどのことだ。
一体何故なのだろう?
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革張りのシートに乗り込んで窓を見ると夕暮れの街が淑やかに上品に祐樹を迎えてくれている。
時差がマイナス9時間でフライトは14時間だったなと思うと随分遠くに来た気がする。
空港は何だか異空間のような感じで普通の道路を走っているとやっと日常的というか、人が暮らしているという実感がわいてきた。
運転席と後部座席を完全に隔てる窓を開けるボタンを押した。最愛の人と二人で乗った場合は絶対に押さないボタンだ。
運転手さんと会話するよりも指を付け根まで絡めてギュッと握ったりこっそりとキスを交わしたりしているので。
「ちなみに、レンフォードさんはどういう契約なのですか?時間制限などが有るのですか?」
日本のタクシーだと例えばコンビニに寄りたくなって運転手さんに頼んだ場合メーターは回っているので心置きなく買い物が出来ると長岡先生が言っていた。
祐樹はそんな贅沢な乗り方をしたことはないが。
このロールスロイスはどういう料金体系になっているかサッパリ分からない。そういう場合は聞くに越したことはない。
「本日と明日は田中先生の貸し切り、いや専属という契約です」
レンフォードさんは執事のような、いや背筋をピンと伸ばしている様子は英国紳士という感じだった。
貸し切りということは祐樹が好きに使っていいのだろう。
「どこかお勧めのカフェは有りますか?うっかり空港でお茶を飲み忘れていたので……」
ロールスロイスの移動も良いが、空港という異空間から出てすぐ乗ったのでイギリスの空気を吸った気がしない。
「ロンドンのテムズ川沿いのカフェで宜しいですか?パブもそろそろ開店の時間ですが……?」
招待状が来た時に術者だけにしかアクセス出来ないQRコードでアクセスしたサイトで飛行機やホテルを選択する画面があって、夕食はホテルで摂るという選択肢をポチっとしたハズだ。
祐樹自身も医局全体も何だか熱に浮かされたような、天国をフワフワと漂っている感じだったので詳しくは覚えていない。
ホテルで用意されていると思う、多分。
まあ、予約が取れていなかった場合はイギリス名物のパブでビールを片手に夕食を摂れば良い。
最愛の人がお勧めしてくれていたソースの要らないコロッケのようなものの具体名は機内で鈴木さんの容態を診に行ったりうとうとしたりしている間にすっかり忘れ果ててしまったのは大変残念だが、名物料理らしいのでメニューに載っていれば思い出すだろう。
機内では一切アルコールを呑んでないが機内食は鈴木さんの救命が済んでから美味しく頂いたので空腹は全く感じない。
アルコールも最愛の人と暮らしている部屋で呑む習慣はない。
第二の愛の巣とも言うべき大阪のホテルなど、デートに出掛けた時は一緒に嗜む程度だった。
ドラマでは晩酌を毎日欠かさずするという人を観たことがあるが、救急救命室を夜中の3時に上がって部屋に帰る毎日を過ごしている祐樹には遠い話だった。
「今はアルコールではなくてイギリス名物の紅茶が飲みたいです。もし宜しければご一緒に」
イギリスのご当地話でも聞きたくて本気で誘ってみた。
ちなみにレンフォードさんは祐樹の好みでは全くないので、あくまでも茶飲み話(?)の相手として、だ。
石作りの建物の多さに驚きながら車窓を見続けた。
「いえ、お誘いは有り難いのですが、謝絶しろという規則ですので悪しからずご了承下さい」
祐樹はハイヤーに乗ったのも数えるほどだし、タクシーもそんなに使わない。
タクシーの運転手さんをお茶に誘ってもきっと同じ返事だろう。
「そうですか?では待っていてもらうことになりますが……」
森技官が病院長経由で振って来た最愛の人と二人で犯人捜しをした時に「愛人生活」をしている女性の心理が全く分からなかった。
主治医を務めた患者さんの中には奥さんと愛人が病室で鉢合わせをして、普段はおっとりのんびりした奥さんが大声で「ここは貴女のような人が来る場所ではないです。分を弁えなさいっ!!」と金切り声で怒鳴っていた。
奥さんの意外過ぎる一面を垣間見た思いがして女は怖いなとそっとその病室を後にした思い出がある。
入院時や手術前説明・手術同意書などにはご家族も呼ぶのが通例なので正式な奥さんとはそこそこ付き合いがあるが、愛人とは接点がない。
なので検索して良さげな本を選んだ。
その小説のヒロインは愛人生活をしていたが、微かに別れの気配を感じて「次の恋人は自分で探す!しかも今よりももっと良い生活をさせてくれる人と」と決意し、金払いの良さそうな人とデートを重ねるといった話だった。
そのパトロン候補に運転手付きの車でデートをして「2時間くらいで終わるからまた迎えに来て欲しい」と運転手さんに言ってヒロインを興醒めさせた男性がいた。
今の祐樹はお抱えの運転手ではないものの、それに似た立場だ。
待たせても良いのだろうか思っていると、広い駐車スペースに車が入って行った。
「本場のロンドンの紅茶を是非ご賞味下さい。テムズ川沿いのテラス席もあるお店ですので。
日本からの長旅はさぞお疲れでしょうから」
実際のところ全くといって良いほど疲れていない。座席は適度なクッションが効いていたし、日本人としては高身長な祐樹でも寝心地は最高だった。
といっても鈴木さんのことが気になったので一時間置きにエコノミークラスまで診に行った。
ただ隙間時間でも墜落睡眠で熟睡出来てアラームや呼ばれたら完全覚醒する特技を持っているので全く苦ではなかった。
救急救命室の畳が敷いてある休憩室で座布団を枕にして誰かが放置したか寄付したか分からない毛布で墜落睡眠しても平気なのだから。
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いつも拙作を読んで下さって本当に有難うございます!
頑張って調べたのですが、致命的なミスが(泣
今日判明したのですが、関西空港からヒースロー空港直行便はJALでは出ていません……。ヒースロー空港に着くフライトを調べていた時に伊丹空港(国内線メイン)→ヒースロー空港と書いてあって(最近は伊丹からも国際線運航しているんだ?でも関空も書いてあるからこちらに祐樹を乗せよう)と軽く考えていました。しかし!JALのサイトを良く見たら、今は伊丹空港→東京乗り換え→ヒースロー空港でした(号泣
慎んでお詫び申し上げます。
こうやまみか拝
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