祐樹が億の一の確率で失敗したらというネガティブな思いは呉先生との会話でかなり薄まった。ただ心の中からすっかり消えてしまわないのは性格のせいだろう。
呉先生の言う通り人に話すことで随分と楽になるのだなと――今までは祐樹以外の人間に心の奥底にある思いを全て吐露したことはなかった、そんなに濃い人間関係を構築してはいなかったので――しみじみと実感した。
「ああ、すみません。もうそんなに経ちましたか?
……この後黒木准教授とのアポイントメントが入っていまして。教えて下さって有難うございます。呉先生を介して森技官の良きアドバイザーになって下さい。私からもお願い致します」
長岡先生が驚いたような表情を浮かべている。
「何か?」
ネガティブな感情が表情に現れていたのだろうか?それとも祐樹が術者に選ばれたことへの喜びとか誇らしさが漏れてしまっていたのかも知れない。
「いえ、教授の体内時計は、どんな時計よりも正確さを誇りますでしょう?それが機能しないほど田中先生のことが気掛かりなのですわよね。
分かりました。森技官とは私だけでお会いしますし、教授の手術のリスケジュールも明日にでも試案を作ってメール致します。
田中先生の優れた手技は岩松の病院でも評判になっておりました。教授もご存知のように優れた医師なら報酬にも糸目をつけないという方針で経営しておりますでしょう?その外科医達が脱帽するような手技は語り草になっておりますもの。ですからきっと田中先生は大丈夫だと確信しております。
岩松の病院にもアメリカやフランスで執刀経験を積んだ医師も、そしてその中には国際公開手術の成功者すら居ります。その先生方が絶賛していたと聞いております。
それに田中先生は物凄くポジティブな性格ですわよね。ですから外科医にとっての檜舞台でもきっと臆することなく挑めると思いますの。ご心配なさるお気持ちは痛いほど分かりますが、きっと大丈夫ですわ」
確信に満ちた口調で断言されると――しかも二回も大丈夫と言われている――きっと祐樹なら成功してくれるという気持ちがますます大きくなった。
以前は手術室が一室しか使えないなどで祐樹の才能が、くすんでは大変と思って自分が厚労省に行く際の同行者として祐樹を選び、東京に行く日の午後、祐樹は岩松氏の病院で密かに執刀経験を積んでいた。
それがそんなに評価されていたというのは初めて聞いたような気がする。祐樹は岩松氏の病院内で褒め言葉を聞いていたのかもしれないけれども、夜には厚労省の研究会やディスカッションなどに気を取られていて話しそびれたのかも知れない。
祐樹が同行すると言ってくれたのは、一人で厚労省に行った時に当時の厚労省ナンバー2が何をとち狂ったのか自分みたいな人間にセクハラを仕掛けてきた。キスまでされたという事態に呆然となって京都へ帰って告白したら、祐樹が森技官に土下座をしようとしてまで森技官のアイデア通りに行動して倍返しをしてくれた過去がある。
そういう不測の事態に備えてのボディガード役と祐樹は笑っていてくれた。
そう言えば祐樹から愛情も、そして時間も沢山貰っているような気がする。
祐樹はずっと自分にとっては太陽だ。初めてキャンパス内で祐樹を見た時にもそう感じた。
しかし、恋人となって以来はその輝かしさが増したような気がする。
燦々と浴びせられる祐樹の愛情を受け続けていたのだから、今度は祐樹にお返しする番だろう。
「森技官は祐樹とは仲の良い喧嘩友達でして、皮肉や毒舌を吐く時が有るかも知れません」
森技官も当然、相手によって態度を変えるし、ТPОは弁えているはずなので長岡先生に対しては好戦的な言動はしないだろうが念のためだ。
「そんなのは全然平気ですわ。だって、教授もご覧になったバーキンヒマラヤを持って銀座などを歩いていますと、羨望の目で見られることもあります。
しかし、中にはそれだけで腹が立つ方もいらっしゃるみたいで、言いがかりと申しましょうか、いきなり喧嘩腰で話しかけて来る人も一定数は経験致しましたもの……。
そういう方々を相手にしておりますので免疫が出来たと思っておりますのよ?」
祐樹が値段を聞いて絶句していたバッグだ。
確かに割と良いマンションを買うことの出来る金額をバッグにポンと払えるという御身分は周りから見て羨望と立腹の源なのだろうなとも思ってしまう。
長岡先生は医師としての給料の他に実家からの仕送りを受けているし、婚約者の岩松氏も太っ腹なのでそういう暮らしが出来る。
ただ、それは大前提として、内科の内田教授が相談するほど優秀な内科医になるための努力とか勉強の成果でもあった。
「では宜しくお願い致します」
すっかり冷めたコーヒーを飲み干してキッチンスペースに二客運んで手早く洗って水切りラックの上に置いてから部屋を辞去した。
少しでも内田教授の医局員の手間を省きたかったし、快く頼みを引き受けてくれた長岡先生への感謝の意味も込めて。
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