腐女子の小説部屋

創作BL小説を綴っています。ご理解の有る方【18歳以上】のみ歓迎致します 申し訳ありませんが書く時間を最優先にしたいのでリコメは基本的に致しません。 要望・お礼などは「日記」記事でお応えしますが、タイムラグがあることも多いです。

2018年11月

「蓮花の雫」<結光・視点>35

「今宵も迎えを遣わすが……それまで時が過ぎるのを一日千秋の想いで、釣り殿から見えたかがり火よりも強く焦がれて待っている」
 昨日通された頼長様が使っていらっしゃる場所で、櫛などを使って頼長様の御手で髪が結い上げられて首筋が露わになりました。
 一の女房殿である楓様も局に下がるようにとの御命令で本当に二人きりの東三条邸は豪奢な中にも今めかしさの漂う一廓で頼長様の薫物と二人の体温や汗の雫、そして零れてしまった白珠の痕が昨夜の逢瀬の激しさを偲ばせる頼長様の衣を素肌に纏っただけの私に朝ぼらけのやや冷たい空気と頼長様の薫物の香りに酔い痴れておりました。髪を掻き上げる丁寧な手つきや首筋を名残惜しそうに唇が滑っていく感触に素肌を震わせながら。
「私もです……。今日もひねもす頼長様への焦がれる想いと共に、火取りを見ればいつでも思い出してしまいます、一人であることを。
 しかし、北の方様の御不興を買うような真似は致したくありませんので……、宴のことは構えて無理強いをなさらないことを切にお願いする次第です」
 頼長様は私に烏帽子をかぶせて下さって名残惜しそうに首筋に唇を落とされました。
「そこは……。弱うございますので……。また……契りたく……なって……しまいます」
 頼長様の御指が未だ芯を作って絹を押し上げている場所に軽く触れて、背筋が撓るほど大仰に反応してしまいました。
「二日の逢瀬でこのようになるとは、先行きが愉しみだ……」
 陰陽道の忌み日などで爪を長く伸ばしている御方も多い中で、頼長様の爪は短くてその爪で絹を押し上げている私の胸の芯やその周りを――昨夜雪のごとく降りしきっていた桜の花のような色に染まった場所でした――確かめるように辿られて、唇からあられもない声が出るのを防ぐために唇を指で塞いでいると、頼長様はとても楽しそうに、そして愛おしそうにお笑いになった後に一枚一枚衣を着せ掛けて下さいました。
「妹御、芳子と申したな……。裳着を済ませているなら是非呼びたかったのだが仕方あるまい。『腰結い』の件と……。そして兄君への文を宜しく頼む」
 妹のことまで考えて下さったことへの感謝の念と頼長様への慕わしさが「泉川」のように心の中を流れていきました。しかし、兄君の関白忠通様への文のことを考えると「有らまほしき」歌が本当に出来るかとても覚束なかったのも事実でした。
「関白様は、和歌集に関してどの歌集がお好きでいらっしゃいますか」
 漢詩なら我が父上に推敲を頼むという手だてもありましたが、かの紀貫之殿も書き記しているように「切々とした心情を詠むなら和歌に限る」と読んだことが朝の冷気に冴え冴えとした頭でようやく思い出しました。
 それに、北の方様にも――いくら背の君の頼長様には何気ない風を装っていたとしても悋気の炎を燃やしていないとも限りませんので――ご挨拶のやまと歌を送るのはむしろ当然だとも思いましたので。炎の余り火にくべられてもそれはそれで致し方のないことです。
「大和歌なら『拾遺和歌集』がお好みだと漏れ聞いている。
 撰者は――我が直系の道長公の兄君の道兼公が憚られる手段で帝の御位から下ろし奉った方の――花山院ではあるが、道長公のゆかりの人々の歌が載っている上に心情表現と和歌の技法が素晴らしいと絶賛していたとか……」
 全ては伝え聞きのようなお話しに、このご兄弟の仲が疎々しいのを実感致しました。
 それに頼長様も、そしてお兄君も道長公の輝くばかりの栄華を――その頃には上皇様が政り事に与るようなことはございませんでしたし、藤原摂関家を脅かす存在は臣籍降下した御皇族である「源」姓――それも今の風潮のように遥か昔の帝の何代目に当たるなどと申している武門の誉れが高い家柄ではなく――物語の光る君のような帝とは近い方のみでした。
 取るに足らない身の上ではありますが、頼長様の「有らまほしき」世とは道長公の時代のようで、いささか不安を覚えたのも事実でした。
 ただ、頼長様と釣り殿で二人きりで夜を明かした時に伺った上皇様の近臣と呼ばれる御方には、色の道で親しくなさっているようでしたが。
「承りました。『拾遺』風に詠むように努めます。やはり自作の歌で私の心情を縷々申し述べたいのです。漢詩だとなかなか難しいかと存じますので」
 お話しを――これも後朝の別れなのでしょうが――交わしている間に頼長様は私の直衣を几帳面過ぎるほど綺麗に着付けて下さいました。
「それは夜桜の君に任せる。あとは、見事な笛の音も宴の席で所望致しても良いか」
 楓殿が見計らったように頼長様の愛でていらっしゃる鸚鵡の瑠璃の籠を持って参りました。
「夜桜の君、朝餉……美味しい」
 嬉しそうに羽根を――瑠璃と名付けたのも至極尤もでした――優雅に動かして先程の朝餉の御礼をしているようで、見ているとこちらも心が穏やかになりました。
 それに笛は上皇様の観桜の宴用に練習した曲が――頼長様の寂しげな瞳を拝見して「想夫恋」しかやんごとなき人々の前では奏でていませんでした――有りますのでそれほど難しいことではないと思いました。
「名残りは尽きぬが……。そろそろ。また今宵の逢瀬で……」
 頼長様は内裏に参られるので御座いましょう。私のような勉強中の身の上ではなく、しかも出仕する役人には綱紀粛正を厳しく命じられた御方だけに夜明け前のこの刻に参内するのも、むしろ当然です。そういう律義さも頼長様の慕わしさとなって心だけではなく愛の手管に馴染んできた身体までがかがり火に照らされた桜のような心持ちが致しました。
「頼長様……夜桜の君は私がお送り致します」
 控え目に声を掛けて来られたのは大江様で御座いました。











 
 

気分は下剋上 学会準備編 191

「ま、田中先生、教授は真っ先に言うべき人をすっ飛ばしてしまったのも、マイノリティの底力ってのを咄嗟に判断したからさ。それに、医局で会えるアンタとは違ってオレは外科親睦会がなけりゃ手術室前の廊下ですれ違うだけだろ?
 それに、教授だってアンタに一番先に伝えたかったと思うぜ。なんせ、病院内で最も信頼してんのは間違いなく田中先生だからな」
 桜木先生が取り成すような表情を浮かべて祐樹の方を見ている。
 確かにその通りなのだが、手術室周辺で――そして自分の手術がつつがなく終わった後のモニタールームで祐樹の手術を見るために足を運ぶと桜木先生の姿を見ることも多かった――しか会わない桜木先生がここまで的確に把握していることに内心で驚いた。
「ああ、なるほど……。まあそれはそうですね……。伺った時には本当に、心の底から、魂消るほど……驚きましたが」
 壇上に残っていた清水研修医が含み笑いをしていることに気付いた。それまでは祐樹の凍り付いたような表情を息を殺して見ていたので、すっかり視界から消えていたので。
「その件については今ではなくても一から十まで話せると思うので。ゆ…田中先生の納得するまで」
 だから今は聞くなという目配せを必死で送った。祐樹しか気付かない程度の強さで。
「了解です。済みません、この場を乱してしまって」
 桜木先生とは――本当の関係には気付いていないことを祈りたい――祐樹が研修医時代からの知り合いだったし、ずっと手術室に居るわけだから祐樹の手技が自分と似ている点とか以前の医局内騒動などで祐樹がどれだけ動いたのかも知っているだけに、風穴を開けに来たのかもしれないな……と考えながらひたすら目の前のお客さんにサインをして握手をするという作業に勤しんだ。
「香川教授、田中先生この度はおめでとう。いやあ、こんな見事な胡蝶蘭を背景に白いテーブルクロス、そして薔薇の花が二人の男前を更に上げている……いや、二人の愛……じゃなく快挙を寿いでいるようだね」
 杉田弁護士が列の最後尾に並んでくれていたのは見て知っていたが――ちなみに長岡先生や久米先生達はずっと約束通り何周もしてくれていた――テーブルの前に立った瞬間に笑いを含んだ飄々とした感じで祝いの言葉を掛けてくれた。
 ただ、本人の人徳か話し方のせいだかは分からないものの、同じ内容を森技官が言ったら何か含みがあるのかと祐樹なら色めき立つレベルだが、杉田弁護士の言葉には隣に座っている祐樹も苦笑を浮かべているだけだった。
「わざわざご足労頂き誠に有難う御座います。いらして下さるとは思ってもいませんでした」
 正確に時を刻む体内時計がこの書店のサイン会の終了予定5分前であること、そして会場内にサインを終えた多数の人達が柱の周辺とか一般客の邪魔にならない死角めいた場所で未だこちらを見ていることも当然気が付いていた。
「いやいや、来たいから来た、それだけだよ。
 どうやら最後の一人みたいだが、未だ時間はあるだろう。あ、サインは『夫婦円満を祈ります』と先に書いて貰えれば有り難い。田中先生には『商売繁盛』とでも」
 ドラマの中に出てくる弁護士さんとは違って――と言っても自分達もドラマの中の医師とは異なっているという自覚は有る――飄々とした感じで言われてこちらも営業用ではない自然な笑みが浮かんでくる。
「私に商売繁盛を祈ってもそんなにご利益があるようには思えませんが」
 隣の祐樹もすっかり寛いだ雰囲気を醸し出しているのは杉田弁護士の人柄と最後の客という二つの要素からだろう。
「私にも『夫婦円満』なんてそんな恐れ多いことを書いて大丈夫なのですか?
 杉田師長が見たら失笑モノだと思いますが」
 彼女は病院総動員命令が病院長から下っているせいで、多分救急救命室で勤務中だろうが、束縛し合わない自由な夫婦というのが杉田弁護士の理想なので上手く行っていると聞いている。
「そのギャップが面白いんだよ」
 言われるままにペンを走らせて本を手渡した後に腕時計で時間を確かめるとやはり5分29秒残っていた。
 祐樹も苦笑を浮かべながら本にサインをして握手をしている。
「香川教授、待っている間にナースと思しきお嬢さん方の会話が耳に入ってね。立ってくれないか」
 有無を言わさない口調にわけも分からず立ち上がった。
「で、少し左に寄る。ああ、田中先生も立ってくれればもっと良い」
 何が何だか分からないが、促されるままに祐樹の傍に歩み寄った。祐樹も怪訝そうな表情を浮かべて椅子から立ち上がっている。
「田中先生は教授のウエストラインに手を回す……。いや、ベルトの位置ではなくて、一番細い部分だ」
 え?と思った時には祐樹の大きな手がウエストラインに回されていた。
 会場内が一斉に色めきたった感じで、スマホをかざしたり撮影したりする音と共に黄色い悲鳴まで聞こえて来た。
「何ですか?一体……」
 祐樹に腰を引き寄せられたままの状態で――それでも以前とは異なって笑顔を浮かべるだけの余裕は有ったが――杉田弁護士に聞いてみた。
 会場のあちこちで、はしゃぎ声とかハイタッチを決める妙齢の女性達の行動が不可解だったし、スマホなどで撮影され続けているのも謎だったので。











 
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 リアル生活が多忙を極めておりまして、不定期更新になります。
 更新を気長にお待ち下さると幸いです。
 毎日何かしらは更新出来るとは思いますが、私にも予測出来ない突発的なこともありますので早朝六時を目途にいらして頂ければ嬉しいです。
 我がままばかりで申し訳ありません。
 

        こうやま みか拝

「気分は、下剋上」<夏>後日談 5

「呉先生と森技官は一体何が好きなのだろう?」
 生真面目な表情でレシピブック――祐樹の母から貰ったもので、最愛の人がとても大切にしてくれている――を大切そうにめくっている人の隣へとワイングラスだけを持って移動した。こういう「日常」的な時間は心の底から寛いでいるのが分かるので祐樹の心も少しは浮上する。しかも最愛の人の手の込んだ料理とワインが有ったので尚更だった。
「貴方の得意な散らし寿司が良いのではありませんか?焼き鮭とイクラや大葉とか焼き海苔などをふんだんに入れたのは滅多に食べられませんから。それにあれだとゲストの箸の進み具合によって私達が遠慮することも出来ますよね?」
 しごく真面目な表情で頷きながら涼やかな切れ長の目を大きく見開いているのも。
「そう言えば、お客様を呼ぶのは…………この前の呉先生はノーカウントで…………初めてだな……」
 怜悧で端整な表情が曇ってしまっているのが痛々しくて見ていられない。
「呉先生はお客様というよりも押し売りの商人のようでしたから。それとも富山の薬売りというか……」
 時代劇も――祐樹は高齢の患者さんとのコミュニュケーションツールとして――観ている最愛の人が少し枯れかけの薔薇の花のような笑みを浮かべた後に取り繕った感じで咲き初めた薔薇の笑みに変わったのも。
「そうだな……。四人分だと融通が利く料理の方が良いのだろうな……。コンソメスープだったら野菜を星形とか色々な形に切って中に入れれば見た目も綺麗なのだが」
 料理の話をしている時は以前と同じくとても楽しそうな笑みを見せてくれたが。
「散らし寿司ですからね……。ああ、コンソメではなくて出汁と昆布のお吸い物にして別に煮た人参とか大根とかを綺麗な形に切って最終的に混ぜるというのは如何でしょうか?
 星形とか円形などの形を作るのは任せて下さい。貴方には劣りますが、あの二人よりは遥かにマシだと思いますし……感心させる自信は有ります」
 努めて快活そうな笑みと口調を繕っていることは自覚している。
「……ああ、なるほど。吸い物だと油分が少ないが、綺麗なことは綺麗だろうな。冷めても美味しいのを工夫する。後は肉か魚だろうか……」
 愛しそうにページを繰る最愛の人の細く長い指を――何事もなく動いてくれるのが何よりだったが――奇跡を見詰める信者のように眺めた。
「散らし寿司に鮭が入っていますからね、肉の方が良いでしょう。奇をてらって馬刺しとか?」
 もちろん突っ込み待ちの冗談で、案の定最愛の人は一瞬首を傾げた後に、小さな声で笑ってくれた。
「あの二人はそういう生々しいモノは食べられないだろう?筋金入りの血液アレルギーのようだし。
 お造りだと大丈夫なのだろうか」
 真剣に悩み始めた感じで年期の入った――祐樹の母が使っていた一般的な大学ノートなので――ページを繰るワインのせいでやや紅く染まった指を見詰めた。
「お造りは聞いてないのですが、バーベキューの、勿論焼く前の肉ですが……あれもダメだそうです。
 店員さんとかに焼いて貰ったのは平気らしいですが。あくまで森技官の話なので呉先生は知りませんが」
 心の底から不思議そうな表情を浮かべる最愛の人に同意の笑いを返した。
「その境目が良く分からないが、しっかり火の通った肉なら大丈夫なのだろう?吉○家には良く行くと聞いているので、あんなに何時間も煮込めば大丈夫なのかとも思えるが。
 いや焼肉でもしっかり火を通したのを供されるのは平気だったら、醤油味のサイコロステーキが良いかもしれないな。これも大皿に盛って好きなだけ食べるというスタイルで」
 他愛ない話をしている時の最愛の人は平静で静謐な感じの微笑を浮かべている。
 その笑みがこれ以上凍り付かないように祐樹も細心の注意を払って「普段通り」の笑みを浮かべ続けた。
「そうですね。柚子と胡椒を貴方独自のブレンドで振ったサイコロステーキも絶品ですからね。
 ああ、柚子はデザートのシャーベットと被るかもしれませんよ。あの砂糖に漬け込んだ柚子の皮は絶品ですが。程よい甘味と皮の噛み心地が最高に美味しいですので是非あの二人にも味わって戴きたいですが……」
 細い眉を楽しそうに寄せて唇にも小さな笑いの花を咲かせている最愛の人が、何だか触れたら壊れてしまう錯覚を覚えるほど儚くて、見ている祐樹を内心狼狽させてしまうほどだった、気のせいかも知れなかったが。
「ステーキに使うのは塩味を利かせた分だし、ステーキの香りの方がより濃厚なのでそんなに柚子の香りはしないので大丈夫だろう。あと何を用意すれば良いのだろう?あの二人に心の底から満足して貰うためには……」
 吉野○が常連との――いや、あの店はあの店なりにとても美味だとは思うし、味の素のような人工調味料は祐樹の舌を信じるなら、入ってはいない――恋人なのでそんなに多彩な料理を出さなくても充分満足してくれるとは思うが。
「和食というカテゴリーからは外れますが……以前カニクリームコロッケを呉先生が食べたがっていましたし、私も大好きなので是非リクエストしたいです。貴方のカニクリームコロッケを一度食べたら他の店のは食べられなくなりますので」
 料理の腕を褒められるのは――手技の冴えは世界中の外科医が知っているので他の人間も称賛を惜しまない――最愛の人が最も喜ぶことの一つだったし祐樹がリクエストするとよりいっそう笑みが深くなることも知っていたからここぞとばかりに言い切った。
「分かった。それならカニクリームコロッケもたくさん作れるし、ああいう料理は量に比例して美味しさが増すので、祐樹も楽しみにしておいて欲しい」
 極上の笑みの花を咲かせる最愛の人の唇にそっと唇を重ねた。
 もう、どこにも絡め取られないように祈りを込めて。











 
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「気分は、下剋上」<夏>後日談 4

「お帰り、祐樹」
 玄関のドアを開けて靴を脱いでいると背後から声を掛けられた。普段と同じような、ただどこか影の有る表情に心が痛んだ。
「ただ今戻りました」
 心、いや魂の痛みを押し殺して口づけを交わした。
「今日は一緒に帰れなくて済みませんでした。相変わらず、とても美味しそうですね」
 室内着に着替えてからキッチンに入るとテーブルの上には分厚いステーキに花型に切られた人参とカリフラワーのソテーが目にも鮮やかに並んでいた。そしてカボチャのスープとサーモン入りのサラダに黄金色のドレッシングがかかっていて、美味しそうな彩りに溢れたテーブルの上は事件以降も変わっていないのが救いと言えば救いだったが。
「患者さんから松阪牛を頂いたので。ステーキにしてみた」
 あの日以来、一日も休むことなく見事な手技を発揮していて、病院長から厳重な箝口令を敷かれていたこともあって事件を知らない人には「いつも通りの」最愛の人だった。
 ただ、無理をしてそう振る舞っていることも何となく分かってしまうので、祐樹としては心が痛んで仕方がない。
「そうですか……。こんな分厚いステーキなら、一度冷凍してしまうと解凍して一時間は寝かせないと美味しくないので……頂いた本日中に焼いてしまうのが一番ですよね」
 椅子に腰を掛けるとガーリックの香りが程よく漂ってくる。
「ステーキで思い出しましたが、森技官と呉先生へのお礼にこのマンションに招いての食事会を提案されて、勝手にイエスと返事をしてしまいました。
 何でも呉先生は貴方の手料理をもう一度食べたいと熱望しているそうなので」
 分厚いステーキをナイフで切ると中からとても美味しそうな肉汁がジュワっと出てくる。
「そうなのか?お店とかではなくて、私なんかの手料理で良いのか?」
 脳外科の元研修医の悲惨な末路は――自業自得だと祐樹的には思うが――最愛の人には聞かせたくはなかったので森技官に一人で会いに行った。その件について最愛の人も「祐樹がそう言うのなら」と快く了承してくれたのだが、御礼の件は気にしていたのを知っていた。
「はい。呉先生がこの部屋に泊まって下さった時に貴方の手料理に胃袋を掴まれたようですね。まあ、このステーキの美味しさでも――といっても、このような焼き方がレアなのはお気に召さないかもですけれど――気持ちは充分に分かりますけれども」
 口に入れると薄っぺらい肉とは異なる重厚な美味しさが舌の上を弾けるような感じで広がっていく、程よい噛みごたえと共に。
「そうなのか。そんなことで御礼になるならお安い御用だが……。
 ああ、レアだと見た目が気になって食べられないとかだろうか、あの二人は……。良く医学部を卒業できたな」
 テーブル越しに最愛の人が可笑しそうに唇を綻ばせているのがとても印象的だった。
「それは、私もしみじみと思います。
 ただ、森技官は究極の負けず嫌いな性格ですし、呉先生も割とその傾向があるので必死に耐えたのでしょうが。
 森技官は貴方の手術をモニター越しに見ただけで気分が悪くなるのに、それよりも生の内臓に触れる機会もある学生時代のカリキュラムを良く乗り切ったなと、ある意味その精神力に乾杯したいです。芳醇な赤ワインが恋しい味ですね。このステーキには……」
 他意なくそう言うと、最愛の人が笑いの花を唇に咲かせたまま椅子からしなやかに立ち上がった。
「赤ワインなら一応、準備はしてあるので、二人で一本開けようか」
 白く長い指にワインのボトルが握られている。
「そうですね。このバターとガーリックと肉にはワインが良く合うと思いますので。
 ワインオープナーは貸して下さい。私が開けます」
 狂気の研修医が付けた傷は――少なくとも肉体的に――すっかり癒えていたものの、仕事中以外の力仕事は祐樹が率先しているのが現状だった。未だ精神的に完治したとは言い難いので。
「分かった。では私はワイングラスを用意する」
 手術着ほどではないが、今着ている最愛の人の室内着も割と身体のラインが綺麗に出て、背中から細い腰、そしてその下の丸い双丘までがくっきりと見えてしまって動悸が早まる。
「乾杯」
 ワイングラスに満たされたルビーの紅さに似たワインを呑みながらステーキを食べるとよりいっそう美味さが際立って、その向こうに最愛の人が静かな佇まいでワイングラスを傾けている様子とか、花よりも綺麗に咲き誇った唇の中に赤いワインを呑んでいるのも物凄く綺麗だった。
「で、先方は土日希望だそうです。この週末辺りは如何ですか?」
 人参のバターソテーの甘味を舌で楽しみながら聞いてみた。呉先生のご機嫌を――やむを得ない事情とはいえ――損ねてしまった森技官の焦る気持ちも痛いほど良く分かったので、ダブルデートを早く実現させる方が良いだろうと日程をなるべく早く決めたい。
「ああ、そちらは祐樹に任せる。食事は洋食が良いだろうか、それとも和食……」
 楽しそうな表情であれこれとメニューを考えている最愛の人の笑みを見るだけで幸せな気分にはなったが、やはり魂のどこかが欠けた痛みが祐樹の中には紛れもなく存在していて心の底から楽しむ気にはなれない。
 ただ、自分に課せられた罪だと思って甘受していく覚悟だったが、最愛の人をあんな目に遭わせてしまった。
「森技官は意外に和食が好みらしいので、和食の方が良いのでは?料理に合わせた日本酒も吟味しましょうか……」
 カボチャのスープの仄かな甘味と丁度いい塩加減を舌の上で味わいながらそう提案した。











 
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気分は下剋上 学会準備編 190

「子供にもモテますね。嫉妬の範囲が広すぎて困ってしまいます」
 一瞬の隙をついて祐樹が笑いの混じった声で囁いてきて、僅かに頬が紅くなった。
「香川教授、田中先生おめでとう御座います。ますますのご清栄をお祝いにこうして参上した次第です」
 脳外科の一団が壇上に上がって、白河教授の祝福の言葉と同時に医局員全員が深々と頭を下げた。何だか物々しい雰囲気に一秒だけ呆気に取られた後に笑顔を返した。
 こういうふうに二人への祝福は個人的にとても嬉しくて目の前にある薔薇の花よりも心が幸せ色に染まっていく。
「有難う御座います。買って頂いただけでも嬉しいのに、わざわざいらして頂いて大変光栄です」 
 その光景を、人もまばらな感じのB列――病院関係者かつ義理で参加しただけの人――が驚きを隠せない表情で見ているのを視界の隅で見ていた。多分、明日のウワサの格好のネタになるのだろうが。
「いえいえ、我が医局の復権の機会を与えて下さった――あんな不祥事を起こしてしまった前科が有るにも関わらず――教授と田中先生にはお礼の言葉をこうして申し上げに参ることは当然だと思っておりますので。
 サインの前に『我が盟友の』と書いて頂ければ幸いです。いや、盟友だと少しおこがましい感じもしますが……」
 頭の中で適切な言葉を探している感じの白河教授が、何だか長考の構えのような印象を受けたので慌ててその言葉を書いた。何しろサイン会の列はまだまだ長かったからいつでも会える白河教授に時間を費やすわけにもいかない。
「身に余る光栄です……有難う御座います」
 何度もお辞儀をしながら隣の席へと向かった白河教授は祐樹にも頭が上がらない様子を会場内へと見せつける感じだった。
 まあ、その方が祐樹の病院内の評価が上がるので大歓迎だったものの。
「香川教授、この度はおめでとうございます。まさか白河教授に直々に声を掛けて頂けるとは思っても居ませんでした。しかも救急救命室の北教授にまで掛け合って下さるとは……」
 自分の順番が来るまで静かに待っていた清水研修医が感激したような声を弾ませている。
 救急救命室勤務から――北教授は白河教授を個人的に指導していた過去もあり仲は良いらしい――外して貰えたのだろうか。
「有難う御座います。それよりもお父様の病院からこんな素晴らしい胡蝶蘭を贈って頂いて……。ただ、真殿教授の方は大丈夫ですか?」
 清水研修医のお父様は斉藤病院長の「親友」なので、院内政治にも長けているだろうが、ご子息がそうだとも限らない。それに会場内には精神科のメンズナースの姿も見えたので、精神科には居辛くなるのも本意ではない。私服を着ていても筋骨隆々さなどで異彩を放つ一群だったので直ぐに分かる、精神科のメンズナースは。ナースから直接、真殿教授に伝わることは可能性としては少ないもののウワサとして流したのが上に行くこともまま有ったので。
「ああ、その点は大丈夫です。昨夜父から斉藤病院長に直接申していると聞いていますので。
 それに、私は外科医としての実績を積んでから実家の病院に戻りたいとしみじみ思えるようになりました。香川外科には久米先生もいらっしゃるので……。次善の策として脳外科に拾って貰えればなぁと考えていた時に白河教授からのお誘いが有ったので、父を巻き込んでみました。ドキュメンタリー番組でも私のユニットが放映されていましたので父は宣伝効果も抜群だと大変喜んでいました。
 こんな胡蝶蘭を贈るくらいでは香川教授や田中先生の御恩返しにならないかと思いますのでどうかお気になさらず」
 清水研修医は一度深々と頭を下げると祐樹の前に歩み寄っていった。
「桜木先生がこんな場所までいらして下さるとは思ってもいませんでした。有難う御座います」
 俗に言う出世とは縁のない――その点では自分と大変良く似ている――手術職人の自分の手技に確固たる自信に裏付けされた頑固な顔に珍しく笑みを浮かべている。
「いや、礼には及ばない。というか、アンタが病院長になるっていう話を叶えようとオレも出来るだけのことがしたくて、な……」
 ガタンと音がしたので隣を見ると椅子から腰を浮かせた恰好の祐樹が驚いたような表情を浮かべていた。
「おっと、田中先生には知らせていなかったのか……。まあ、この病院一丸となっての出版騒動が済むまで、それどころじゃねえと香川教授も考えたんだろ。
 根回しだけは外科の親睦会で済ませただけの話で、田中先生を決してないがしろにしたわけじゃないってことを分かって貰えれば嬉しいんだが」
 祐樹の方を見て取り成すように言ってくれる桜木先生に心の底から感謝した。
 確かに真っ先に伝えるべきなのは祐樹にしたかったものの、病院長選挙まで10年以上の時間が有ったのも事実で、先にこの出版に派生して起こる様々な事柄を二人で乗り切ってから話そうと思っていたのも事実だったので。
 サイン会の檀上の上で祐樹が我を忘れたような表情を浮かべている。その唇がどのような言葉を紡ぐのか内心息を殺して待った。
 桜木先生は意味有り気な感じで祐樹と自分の顔を交互に見ていたのも、この爆弾発言の行方が気になってのことだろう、多分。
 ただ、祐樹に先に言っておくべきだったと深く反省しながら。










 
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