「はい、承ります」
祐樹が箸を置いて正面に向き直った。
「私は幸運だっただけかも知れないが、手術で患者さんの命を奪ったことはない。
祐樹に助けられた一件だけが『術死』として報告すべきモノで……。あの時は本当に救われたと思ったし……祐樹の咄嗟の判断力に頼ってしまうことになったけれども」
当時のことを思い出したのか祐樹の沈みかけの太陽のような笑みが朝日の鮮やかさで目を射る。
「ああ、有りましたよね。Aiセンター長に選ばれたのもそれが切っ掛けでしたし。
ただ、それが何か?」
日本の外科医の中では「人を三人殺さないと一人前の外科医ではない」というジンクスめいたモノがあるので、この数字は「金字塔」と称賛されることが多い。
「逆に祐樹は救急救命室で、最善は尽くしたものの救えなかった命がたくさんあるだろう?」
杉田師長は「来る者拒まず」の姿勢を貫いている今時珍しい名物ナースだ。本来ならば大学病院に搬送されるような容態の患者さんではない人も彼女に鶴の一声で決まってしまう。逆に言うと医師の方がそれに振り回されるわけなのだが、学生時代に――当然医師免許は持っていないので当事者ではなかったものの――そういう患者さんをたくさん見てきた。
「それはありますね……。12階からと思しき飛び降り自殺でほぼ心肺停止の状態、バイタルサインの最後の兆候が消えてないとかが直近の例です。最前は尽くした積もりなのですが、やはり救えませんでした」
運の悪い人間は2階から落ちても死亡するが、救急救命の現場では7階以上はほぼ絶望視されるのが現実だ。だから、12階と聞いただけで尻込みしない看護師――実際に彼女はそういう悪条件の中でも赫々とした戦果を誇る熟練のナースでもある。
「そういう現場経験が私にはない。立ち会ったことは当然有るが。
祐樹は医師として向き合っている分、その『無力感』は私の想像を上回るだろうし、その経験を手技に活かせることが出来ると思うのだが……。
二度とあんな思いはしたくないと」
状況が全く異なるだけに――DOA(亡くなって病院にご到着)レベルの救急救命室に搬送と、内科を経由したりあちこちの病院からの紹介書を持って病院にいらっしゃったりする生への希望に満ちた患者さんとでは――イメージしにくいかもしれないが、それでも同じ生命には違いない。
祐樹は深く頷いて自分の言葉を噛みしめるような感じだった。
「なるほど、そういうふうに考えれば良いのですね。
実際、地震の時は手の施しようのないご遺体まで搬送されましたし、藤宮技官はトリアージを極めて的確かつ冷静にこなして下さいましたが、それでも救える命が一つでも多い方が良いでしょうし、救って来たのも事実ですから」
祐樹の太陽のような眼差しが揺るぎなく輝いている。
「その延長線上に祐樹の神憑り的な手技が有ったわけで、あれには本当に驚いたが……。
あの時、私が出ようとするのを止めてくれただろう?
あれは術死の衝撃を私に味わわせたくない祐樹の愛情に満ちた思いやりだったと思っている。
当然リスクも考えていたハズだろうから。大きすぎるくらいのリスクを。そういうギリギリの場所で『気まぐれな医療の神様』が降臨なさると聞いている。
当然私もそういう場面に立ち会ったこともあるが、それは全て心臓関係の手術だった。
だから基本は同じだと考えるのだが?」
研修医だった祐樹を――今以上に言葉足らずで――救急救命室に助っ人として送り込んだのはそういう経験を積んでおけばよりいっそう外科医としての経験値が上がるからというのが主な理由だった。他の邪まな下心がなかったわけではなかったものの」
祐樹の真っ直ぐな眼差しが称賛の色を帯びて一際輝きを増した。
「そうですね。そう考えることにします。
貴方がいらして下さって本当に有り難いと心の底から思います。
プライベートはもちろんのこと、こうして教え導いて下さる偉大な上司としても……。
有難う御座います」
気持ちの切り替えが早いのも優れた外科医としての資質の一つだったが、祐樹の眼差しが更に力強さを増したのは決して気のせいではないだろう。
「いや、そんな大それたことは言っていないので。
ただ、私を含めて独り立ちした外科医としての壁に早くも直面してしまったのはある意味予想以上の速さだったからこちらも声をかけるタイミングが遅きに失してしまったようで、これからは気を付ける。
それに私は未だ祐樹の視線に呪縛されたまま幸せなプライベートも、そして仕事もこなしているからよりいっそう気付くのが遅れてしまったことはお詫びする」
最近は――独りで過ごす時間が多かったものの――プライベートに心が繋がっているようなある意味浮ついた気持ちがしていたので罪悪感もひとしおだった。
「いえ、思ってもいなかった人生でも記念すべきイベントが大きく二つも重なったのですから、貴方はそれで良いと思います。
何だか異なった視点から自分の手技を見直して行こうと気付かせて下さって有難う御座います」
深々と頭を下げられてしまって逆に面食らってしまったが。
祐樹の執刀数からいってまだまだ後のことだろうと漠然と予想していた「ある境地」に早々と到達してしまったのは逆にそれだけ外科医としての天稟に恵まれているということでも有ったし、その降り注ぐ太陽のような眼差しに惚れ直してしまったが。
内心の鬱屈を晴らしたせいで祐樹の輝きに満ちた眼差しとか佇まいにも揺らぎがなくなった感じだった。
「いや、そういう壁に当たるのは経験則からしてまだまだ先のことだと思っていたので、こちらこそ気付くのが遅くなって本当に申し訳ない」
頭を下げようとしたら、祐樹の長くて男らしい指が顎に添えられた。それだけで弾む心が抑えきれない、現金なことに。
「私は少しでも早く他ならぬ貴方の傍らに立ちたいのですが……。その成果は貴方からご覧になって上回っているのですね?アメリカ時代も含めて」
確かめるように、そして祐樹自身に言い聞かせるようにいつも以上に力のこもった声だった。
自分の経歴は祐樹も熟知しているので、アメリカ時代にしか「執刀医」を見て来なかった――帰国してからはずっと自分が執刀医を務めていたのは祐樹も知っているし、後進の指導もして来なかったのも事実だった――のにわざわざ声に出してまで確認して来るまで追い詰められていたのかと思うと、そしてその内心の懊悩を誰にも悟らせずに明るく振る舞っていた祐樹には頭が下がる思いと同時に誇らしさがこみ上げてきた。
ただ、この場面では絶対に絡み合った眼差しを逸らしてはならないことも理性では分かっていたので極上の微笑みを浮かべた。
どう言葉を紡ごうかと考えながら。
祐樹が箸を置いて正面に向き直った。
「私は幸運だっただけかも知れないが、手術で患者さんの命を奪ったことはない。
祐樹に助けられた一件だけが『術死』として報告すべきモノで……。あの時は本当に救われたと思ったし……祐樹の咄嗟の判断力に頼ってしまうことになったけれども」
当時のことを思い出したのか祐樹の沈みかけの太陽のような笑みが朝日の鮮やかさで目を射る。
「ああ、有りましたよね。Aiセンター長に選ばれたのもそれが切っ掛けでしたし。
ただ、それが何か?」
日本の外科医の中では「人を三人殺さないと一人前の外科医ではない」というジンクスめいたモノがあるので、この数字は「金字塔」と称賛されることが多い。
「逆に祐樹は救急救命室で、最善は尽くしたものの救えなかった命がたくさんあるだろう?」
杉田師長は「来る者拒まず」の姿勢を貫いている今時珍しい名物ナースだ。本来ならば大学病院に搬送されるような容態の患者さんではない人も彼女に鶴の一声で決まってしまう。逆に言うと医師の方がそれに振り回されるわけなのだが、学生時代に――当然医師免許は持っていないので当事者ではなかったものの――そういう患者さんをたくさん見てきた。
「それはありますね……。12階からと思しき飛び降り自殺でほぼ心肺停止の状態、バイタルサインの最後の兆候が消えてないとかが直近の例です。最前は尽くした積もりなのですが、やはり救えませんでした」
運の悪い人間は2階から落ちても死亡するが、救急救命の現場では7階以上はほぼ絶望視されるのが現実だ。だから、12階と聞いただけで尻込みしない看護師――実際に彼女はそういう悪条件の中でも赫々とした戦果を誇る熟練のナースでもある。
「そういう現場経験が私にはない。立ち会ったことは当然有るが。
祐樹は医師として向き合っている分、その『無力感』は私の想像を上回るだろうし、その経験を手技に活かせることが出来ると思うのだが……。
二度とあんな思いはしたくないと」
状況が全く異なるだけに――DOA(亡くなって病院にご到着)レベルの救急救命室に搬送と、内科を経由したりあちこちの病院からの紹介書を持って病院にいらっしゃったりする生への希望に満ちた患者さんとでは――イメージしにくいかもしれないが、それでも同じ生命には違いない。
祐樹は深く頷いて自分の言葉を噛みしめるような感じだった。
「なるほど、そういうふうに考えれば良いのですね。
実際、地震の時は手の施しようのないご遺体まで搬送されましたし、藤宮技官はトリアージを極めて的確かつ冷静にこなして下さいましたが、それでも救える命が一つでも多い方が良いでしょうし、救って来たのも事実ですから」
祐樹の太陽のような眼差しが揺るぎなく輝いている。
「その延長線上に祐樹の神憑り的な手技が有ったわけで、あれには本当に驚いたが……。
あの時、私が出ようとするのを止めてくれただろう?
あれは術死の衝撃を私に味わわせたくない祐樹の愛情に満ちた思いやりだったと思っている。
当然リスクも考えていたハズだろうから。大きすぎるくらいのリスクを。そういうギリギリの場所で『気まぐれな医療の神様』が降臨なさると聞いている。
当然私もそういう場面に立ち会ったこともあるが、それは全て心臓関係の手術だった。
だから基本は同じだと考えるのだが?」
研修医だった祐樹を――今以上に言葉足らずで――救急救命室に助っ人として送り込んだのはそういう経験を積んでおけばよりいっそう外科医としての経験値が上がるからというのが主な理由だった。他の邪まな下心がなかったわけではなかったものの」
祐樹の真っ直ぐな眼差しが称賛の色を帯びて一際輝きを増した。
「そうですね。そう考えることにします。
貴方がいらして下さって本当に有り難いと心の底から思います。
プライベートはもちろんのこと、こうして教え導いて下さる偉大な上司としても……。
有難う御座います」
気持ちの切り替えが早いのも優れた外科医としての資質の一つだったが、祐樹の眼差しが更に力強さを増したのは決して気のせいではないだろう。
「いや、そんな大それたことは言っていないので。
ただ、私を含めて独り立ちした外科医としての壁に早くも直面してしまったのはある意味予想以上の速さだったからこちらも声をかけるタイミングが遅きに失してしまったようで、これからは気を付ける。
それに私は未だ祐樹の視線に呪縛されたまま幸せなプライベートも、そして仕事もこなしているからよりいっそう気付くのが遅れてしまったことはお詫びする」
最近は――独りで過ごす時間が多かったものの――プライベートに心が繋がっているようなある意味浮ついた気持ちがしていたので罪悪感もひとしおだった。
「いえ、思ってもいなかった人生でも記念すべきイベントが大きく二つも重なったのですから、貴方はそれで良いと思います。
何だか異なった視点から自分の手技を見直して行こうと気付かせて下さって有難う御座います」
深々と頭を下げられてしまって逆に面食らってしまったが。
祐樹の執刀数からいってまだまだ後のことだろうと漠然と予想していた「ある境地」に早々と到達してしまったのは逆にそれだけ外科医としての天稟に恵まれているということでも有ったし、その降り注ぐ太陽のような眼差しに惚れ直してしまったが。
内心の鬱屈を晴らしたせいで祐樹の輝きに満ちた眼差しとか佇まいにも揺らぎがなくなった感じだった。
「いや、そういう壁に当たるのは経験則からしてまだまだ先のことだと思っていたので、こちらこそ気付くのが遅くなって本当に申し訳ない」
頭を下げようとしたら、祐樹の長くて男らしい指が顎に添えられた。それだけで弾む心が抑えきれない、現金なことに。
「私は少しでも早く他ならぬ貴方の傍らに立ちたいのですが……。その成果は貴方からご覧になって上回っているのですね?アメリカ時代も含めて」
確かめるように、そして祐樹自身に言い聞かせるようにいつも以上に力のこもった声だった。
自分の経歴は祐樹も熟知しているので、アメリカ時代にしか「執刀医」を見て来なかった――帰国してからはずっと自分が執刀医を務めていたのは祐樹も知っているし、後進の指導もして来なかったのも事実だった――のにわざわざ声に出してまで確認して来るまで追い詰められていたのかと思うと、そしてその内心の懊悩を誰にも悟らせずに明るく振る舞っていた祐樹には頭が下がる思いと同時に誇らしさがこみ上げてきた。
ただ、この場面では絶対に絡み合った眼差しを逸らしてはならないことも理性では分かっていたので極上の微笑みを浮かべた。
どう言葉を紡ごうかと考えながら。
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明日の更新なのですが、リアル生活がハードなのでかなりの確率でお休みさせていただくことになりそうです。楽しみにして下さっている読者様には大変申し訳ありませんがご容赦とご寛恕のほど宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さいまして感謝です!!
こうやま みか拝