「平日のこんな時間に祐樹と過ごせるなんて夢のようだ……」
 マンションまで二人で散歩というか逍遥(しょうよう)というイメージで帰った。昔の作家の坪内逍遥のペンネームは本人が逍遥、つまり散歩が好きだったからと大学受験の時の何かで読んだ覚えが有る。確か明治時代の作家なので江戸情緒の残る街を散歩していたのか、自然が豊かな場所を散歩していたのかは知らないが。
「そうですね……。それに二人で色々なことを語り合ってのんびり出来たので、今日の不快な出来事も――まさに女難(じょなん)という感じでしたけれど――綺麗サッパリ消え失せましたし。一緒に散策して下さった貴方のお蔭です」
 玄関先では二人の恒例行事になっている「ただ今のキス」を交わして指の付け根まで絡ませて廊下を歩いていた。
 最愛の人の弾んだ声とか心の底から嬉しそうな笑みを浮かべる唇の吸引力に負けてもう一度口づけを交わした。
 確かに、祐樹がこんな時間に自宅に居ることは珍しい。普通なら救急救命室で忙しくしている時間だ。まあ、運よく(なぎ)の時間に当たって病院の敷地外で煙草を吸って束の間の一人の時間を楽しんでいるかも知れないが。
「祐樹の『ライフ』も森技官のように削られていたのだな……。今はどうなのだ?」
 心配そうな光を湛えた最愛の人の眼差しに微笑み返した。
「貴方との逍遥のお蔭で『ライフ』は100まで戻りました」
 感謝の意を伝えた積りだったのだが、最愛の人は怪訝そうな表情だった。何故だろうと思って見ていた。
「『ライフ』とやらの上限は100なのか?それとももっと上が有るのか?」
 正直驚いた。「ライフ」の話を振って来たのは森技官で、その時は確か「ライフが20%まで下がりました」とかそういう感じで言っていた。祐樹よりも記憶力の良い最愛の人がその20%を聞き洩らしたとは……。20「%」という表現を覚えているなら上限は100に決まっている。確か「%」の概念を習ったのは小学校の算数の時間だったように記憶しているが、数学でも論文が書けるレベルのこの人らしくない質問だった。
 メンタルヘルスを患っている人への耐性は祐樹より強い最愛の人が――そしていかにもそういう不穏な空気を撒き散らしていた太田夫人とは接触していない――そんな初歩的なことを聞いて来たのは「祐樹が西ケ花さんを口説かなければ私が行く」と言って、祐樹を向かわせた。「25分経ったら電話するから」と彼女のマンション近くで待っていてくれた。
 もしかしたらその時に色々と嫌な想像をしたのかも知れない。祐樹が同性にしか「そういう」欲望を抱かない人間だと当然知っているし、バレンタインデーに事務局の女性とかナースから祐樹がチョコを山のように貰っても「祐樹はモテるのだな」と笑っていたので、西ケ花さんのことも気にしないのかと迂闊(うかつ)にも思い込んでいたが、バレンタインデーのお祭り騒ぎとは異なって「三人で愉しみましょう」とかあからさまに性的なことを言われたので最愛の人の気持ちも乱れたのだろうか……?
「ライフ100が上限です。お陰様ですっかり元気になりました。最愛の貴方と二人で捜査だか調査が出来て幸せですよ。貴方はお疲れではありませんか……?」
 最愛の人が祐樹の「ライフ」を満たしてくれたのだから、今度は祐樹が満たす番だ。
「慣れないことをしているので、正直少し疲れた。しかし、祐樹がこうして早い時間から居てくれるので、一緒に過ごす時間が増えてとても嬉しい」
 弾んだ声と花が咲いたような笑みを浮かべる最愛の人を抱き締めた。少しでも良いので最愛の人が祐樹の愛情で「ライフ」を回復して欲しいとの願いを込めて。

「コーヒーを淹れるな……。食事は済ませたがお腹は空いていないか?」
 祐樹の抱擁を五分ほど受けていただろうか。もちろん最愛の人も祐樹の背中に手を回して二人の身体を密着させてくれていたが。その体温とか確かな存在感が最愛の人の心を癒してくれたらと願わずにいられない。
「貴方の淹れて下さるコーヒーは世界一美味しいですからね……。食事は大丈夫です。故長楽寺氏のような会社の経営者ならばそれこそ愛人を社員として雇った人件費も経費として認められるらしいですが私達は所詮はサラリーマンなので事務局が認めてくれないと経費にはならないですよね。その絶好の機会なのでいつも以上に食べたので、お腹はいっぱいです」
 最愛の人の唇が可笑しそうな笑みの花を形作っている。
「祐樹らしい考え方だな……。では、コーヒーを淹れるので」
 最愛の人が名残惜し気に身体を離すとコーヒーの支度をテキパキかつ優雅な仕草で行っている。祐樹はキッチンのテーブルの上に捜査用ノートを取り出して、今日の収穫を書き留めることにした。
「西ケ花桃子」のページに書き足していく。
「四年前からの愛人。それまでは北新地(きたしんち)の「揚羽(あげは)(ちょう)」ナンバーワンホステス。
 お手当ては月に150万円その他家族名義のクレジットカードで200万円から600万円の買い物は許されていた。
 食事は配送サービスがメイン。しかし、キッチンの料理用具は充実している。クッキーを焼いていた形跡あり。
 遺産・生命保険のことは知っているかどうかは今のところ不明。
 現在は新しいパトロンを物色中。将来の夢は安楽な愛人生活を続けること、もしくはパトロンが出した資金でクラブのママになること。
 注意:故長楽寺氏のことを「あの男」とネガティブな呼称で呼び続けていた。金蔓でなくなったからなのか?それとも他に理由が有るのかは今のところ不明」
 コーヒーの良い香りがキッチンに漂ってきたせいで、より一層頭の中がクリアになるような気がした。ん?コーヒーと思って気になっていたことがもう一つ有ることに気付いた。
「コーヒーカップなどはマイセンの小花模様を愛用している模様」
 そう書いていると最愛の人が祐樹の前に薫り高いコーヒーを差し出してくれた。
 書き物をしている祐樹の邪魔にならないように左側からという気遣いの厚さに心が満たされる。
「今日分かったことを書き足してみたのですが、貴方は他に書き加える点とか修正すべき点とかありますか?」
 最愛の人にノートを見せると一瞥した後に――最愛の人は一回見たら全てを暗記する特技を持っているので一瞬で脳に記憶されたハズだ。
「敢えて付け加えるとすれば……」
 一瞬の()を置いて最愛の人が口を開いた。





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