「絶対に怒らないと約束してくれるか?私に対しても森技官に対しても……」

 怒る……いったい何のことだろう?森技官の恋人の呉先生と最愛の人は仲が好いのは知っているが、森技官との接触は祐樹が居る時の方が圧倒的に多い。「好奇心猫をも殺す」の(ことわざ)通りに何が有ったのか物凄く気になってしまって、しかし祐樹が怒るようなことだと最愛の人は判断しているわけで、逡巡(しゅんじゅん)していると最愛の人は軽やかに歩を進めている。

「ヒントだけでも下さいませんか?」

 最愛の人と並んで歩くと、この辺りの街路樹にも(すずめ)がたくさん集まっていて(ねぐら)に入るには早い時間らしくチュンチュンという音が祐樹を急かすように鳴り響いている。

「もう時効の話なのだが……」

 え?それがヒントなのだろうか……。小出しにされるとますます聞きたくなるのは人情というものだろう。

「怒りませんよ、時効なのですよね?」

 激怒するような内容でない限り大丈夫だろう、多分。

「道後温泉に医局の慰安旅行で行っただろう?」

 確かにかなり前の話だな……と考えて、そういえば厚労省様ご一行と旅館と宴会場のバッティングを呉先生から聞いた最愛の人が単独で森技官に日程をずらしてもらう交渉に行ったことを思い出した。
 厚労省の人間に恨みつらみを抱いている病院関係者は多くて、通称香川外科の面々も例外ではない。宴会場が隣だと分かれば酔った勢いも相俟(あいま)って乱闘騒ぎが起こる可能性は極めて高かった。

 医局の慰安旅行にかこつけて夜這いをすべく、祐樹が幹事を買って出て準備に忙殺されていた頃に、同じことを密かに楽しみにしていた最愛の人が単独で森技官に会いに行った。
 日程をずらしてもらう代わりに最愛の人が厚労省の委員会や研究会に出席するということで妥結したとは聞いている。それまでは厚労省のどんな招待も断って来た彼なので森技官の手柄になってウイン・ウインの関係を築けたと思っていたのだが違うのだろうか?

「行きましたね。厚労省ご一行様の日程をずらしてもらうように貴方が大阪まで交渉に赴いて下さったのは嬉しかったです」
 森技官のメインの勤務先は大阪で、近くまで出向いたとは聞いていた。二人の第二の愛の巣ともいうべきホテルとは1キロほど離れている場所で会ったとも。

「交渉が成立した後に京都に帰ろうとしたらすぐ近くのホテルの前だったかな……。驚いたのであまり覚えていないのだが……。その場所で森技官に『ホテルの部屋で秘密の愉しみをしませんか』と誘われたことがある。お互いの恋人には内緒で、こっそりつまみ食いのような関係を持とうと……」

 最愛の人は耳に心地よい怜悧で落ち着いた声だったが、祐樹の心臓の鼓動が耳元まで聞こえている。

「つまり『そういう意図(いと)』でホテルに誘われたというわけですか……」

 祐樹は思わず声が低くなってしまう。

「ほんの浮気で……お互い黙っていれば露見しないだろうと。もちろんきっぱり断ったのだが……。森技官が言うには私も祐樹が本命なのは分かっているが、つまみ食いをしてみたくはないですかとか言っていたな……。

 私が祐樹しか『そういう気持ち』にならない人間だと分からなかったらしい。祐樹や私のような特殊な性的嗜好の持ち主は恋人が居ても、その日の気分で関係を持つ人も多いのだろう?そういう大多数の人間と間違われていたみたいだ。

 ただ、祐樹に言えないような秘密を抱え込むようなことは私には不可能だし……、それに呉先生とは良い友人だと思っているので、その友人の恋人とややこしい関係になるのは良心の呵責(かしゃく)(さいな)まれるという二点を言ったら潔く引き下がってくれた……」

 確かに祐樹達のような性的嗜好の持ち主には奔放な人が多いのも事実だ。日替わりで相手を替えるような猛者(もさ)とか、祐樹がナースをお茶に誘うのと同じ程度の軽い気持ちで――今は忙しくて暇つぶし目的ではしないが、情報収集とかの目的が有ればお茶くらいお安い御用だ――ベッドまで誘う人も居るのも知っていた。
 それに最愛の人は大輪の花の佇まいで人目(ひとめ)を強く惹く人だ。自他ともに認める面食いの祐樹も初めて関係を結んだのは行きつけのゲイバー「グレイス」で下心がありありの男性たちに囲まれてお酒を呑んでいたのを誤解した怒りのせいだったし。後で分かったが彼はグレイスしか飲み屋を知らず、そして深刻な医局内トラブルから手術妨害まで受けていた憂さ晴らしをしたかっただけで出会い目的は皆無だった。

 ただ、言い寄る人間が多いイコール遊んでいると森技官が思ってしまったとしても納得してしまう。最愛の人の本質は無垢で一途(いちず)だということを見抜ける人は居ないような気がする。黙って座っているだけでわらわらと同好の士が寄ってくるだろうなと思わせるし、その声掛けに応じていると森技官が誤解しても無理はないような気がする。

 それに祐樹の恋人なのは知っているので、祐樹に対する意趣返しという気持ちも有ったかもしれない。あの頃は単なる喧嘩友達というより会うたびに口喧嘩をしたり嫌がらせをしていたりしていたのも事実だ。

「……なるほど。単刀直入に口説いて来るのをご存知だったわけですね……。だから先ほどはああいう表情を浮かべられたのですか……。貴方の(おっしゃ)る通り時効ということで怒りはしませんが……、今後同じようなことが有ったら私に知らせて欲しいと思います。生涯に亙るパートナーが私だと思ってくださっていますよね?貴方に関することは何でも知っておきたいので……」

 森技官に対する憤怒(ふんぬ)はいずれ倍返しにして返してやろうと内心決意した。まあ、その方法は追い追い考えるとして、今は長楽寺氏の死が病死なのか殺人なのかを捜査することの(ほう)が優先順位も高いので。

 散歩がてら歩いて帰ろうと思っていたが、気が変わった。




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