電話越しに驚いた気配が伝わって来た。最愛の人は世界レベルの知名度を誇っているのでそのせいだろう、多分。
『心臓外科の香川先生……!?まさか香川教授ですか、いえ違っていたら大変申し訳ありません!!』
長楽寺佳世さんが家族性高脂血症で食べ物にも細心の注意を払っていることは太田夫人から聞いていた。家族性高脂血症はコレステロールが血管に溜まりやすい体質なので普通の人よりも心疾患などのリスクが高い。だから最悪の事態を考慮して腕の良い外科医を探している人も多い。その関係で最愛の人の名前と職階を知っているのは何の不思議もない。
「当病院の心臓外科に香川は一人しか在籍しておりません。つまり明日お伺いするのは香川教授ですが……?」
絶句した感じで数秒の沈黙が流れた。祐樹的には何だか葵のご印籠を見せつけた水戸黄門の配下の人のような高揚した気分を味わったが、最愛の人は涼しげな眼を不思議そうに瞠っていて、その様子を森技官が可笑しそうに眺めている。
最愛の人は自己評価が極端に低いので、自分のネームバリューの大きさに気付いていない点が森技官には可笑しいのだろう、祐樹には愛おしく映ってしまうが。
『奥様!!明日いらっしゃるのはあの香川教授ですって!!あとはエーアイ何とか長の田中先生とか仰って』
祐樹の実家にも固定電話は存在する。そういう内輪の会話には受話器を手で覆うという「常識」も忘れるほどの衝撃だったのだろう。気持ちは分からなくもないが。
『ええっ!!何ですって……』
……会話がこちらまで丸聞こえなのも忘れ果てた感じで驚愕している二人には悪いが祐樹も笑いそうになってしまった。ただ、ここで森技官と目を合わせたら本当に笑ってしまうので、必死に気持ちを他へと散らしていた。
「18時にお伺いしても宜しいでしょうか?お二人に色々とお伺いしたいことが有ると香川教授も申しておりますので」
実際に言ったわけではないが、ここは最愛の人の名前で押し通す方が効果的だろう。それに最愛の人も調査だか捜査に真面目に取り組んでいるのも事実だったし。
『お電話替わりました。長楽寺の家内……あ、もうその言い方は不適切ですわねっ。長楽寺佳世と申します。香川教授と……えっと……田中先生が拙宅にいらっしゃるのですね。田中先生??ってもしかして「ク〇ーズアップ現代」に香川教授と一緒に出ていらした先生ですか!?』
興奮を抑えられないといった感じで佳世さんが聞いてきた。やはり三人の読み通りに長楽寺邸の人たちはNHKの番組を熱心に観ているのだろう。
「はい。出させて頂きましたが?」
こういう時は落ち着いた感じで返す方が効果的だと今までの経験から分かっていた。散々患者さんとか見舞客などの皆さまなどからも同じような感じで聞かれたことがあったので。
『それは……二重にも三重にも光栄です。18時ですね。お食事はご用意しなくても宜しいのでしょうか?』
確かに18時だったら早い家では夕食の時間だ。ただ、調査だか捜査目的で訪れる以上、お茶程度くらいがギリギリ許容範囲のような気がした。ただ、長楽寺邸での食事内容は気になっていた。しかし、来客用に――しかも長楽寺佳世さんも知っている有名人だ――出前とかで特別な料理を出される可能性の方が高い。
「いえ、お構いなく。食事のお時間でしたらもう少し遅くにお邪魔した方が宜しいでしょうか?」
調査用のノートの後ろの方に「長楽寺邸で食事に誘われた。遠慮すべきか頂戴すべきか?」と書いて二人に見せた。祐樹一人の判断では断るべきだと思ったが世故にも潜入調査にも長けている森技官の意見が「頂戴すべき」だった場合には変更しようと思ったが、二人とも「遠慮すべき」と書いた文字列に指を滑らしている。
祐樹の判断は間違ってはいなかったようで安堵した。感謝の気持ちを込めて最愛の人に微笑み、森技官には頭を下げた。最愛の人は「初対面の他人の家で食事までご馳走になるわけにはいかない」という常識的な判断だろうし、森技官は祐樹と同じ考えに至ったのだろう、多分。
森技官はこういう陰謀めいたことが大好きな人間なので、さっきの砂糖過剰摂取は忘れてしまったか、ブドウ糖として脳に回ったのかも知れない。西ケ花さんの毒気はすっかり抜けた感じだった。
『そうですか。宅は当面の間二人きりでございますので、食事の時間は定まっておりませんの。では明日の18時にお待ちいたしております。香川教授にはくれぐれも宜しくとお伝えくださいませ』
何だか物凄く丁寧な感じで電話は切れた。
「アポは取れたので、今日のミッションは完了ですね。森技官もご協力有難うございました」
調査用のノートは帰宅した後に二人で完成させようと思った。喫茶店も閉店モードになっていたし。連れ立って店を出たらパトカーが所在無げに停まっていて、森技官は何時ものポーカーフェイスで乗り込んでいた。
……パトカーをタクシー代わりに利用出来る人を初めて見た。横を見ると最愛の人も切れ長の涼しげな目を瞠って走り去っていくパトカーを見ていた。流石にサイレンは鳴らしていなかったが。
「……森技官が西ケ花さんを口説いた話を具体的にしていた時に貴方は予想外といった感じの表情を浮かべてらっしゃいましたよね?何故、森技官の口説きに対してそういう反応をなさったのか教えて下さいますか?」
心のメモ帳がどこかに行ってしまわないうちに聞いておこうと思った。横を歩む最愛の人は足を止めて何だか考えに沈んでいるような佇まいだった。
何か、祐樹の知らないことでもあるのかと不審さが募った。しばらく無言で佇んでいた最愛の人は意を決したような眼差しで祐樹を見た。
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