「どうしてそう思われるのですか?」
心の奥から驚いて、思わず飲んでいたコーヒーが気管支に入りそうになった。
「香川教授、いえアメリカの病院から見てきましたでしょ?光栄なことですけれども。
教授は周りの、いえ世界の人間を、くっきりはっきり二分割されて考えていらっしゃるのではないかと思っておりました。
田中先生とそれ以外の人間に。
私もそれ以外の人間の中に含まれると思っていますし、それ以外の人間の中でも親しい人や苦手な人など色々と分けていらっしゃるのも分かりますけれど……。
ともかく、田中先生が格別に特別な存在で、それ以外とは厳然たる区別をなさっていると。
『男性が賢くない女性を好むのは何故か』と仰った時に、わざわざ私の部屋まで来られて……いえ、それは喜ばしいことで大歓迎なのですけれど……そんな一般的な質問をなさるかしら?と思いまして。
二つの例を挙げて説明していた時に教授はお考えに沈んでいらっしゃるご様子でしたので、ああこれは田中先生のご性格とか言動を思い返していらっしゃるのではないかな?と思いましたの。
それ以外の人間のためにこうして相談されることは無いような気が致しまして」
自分以外の人間を二つに分けている……。祐樹と、それ以外の人と。
長岡先生の言葉を聞いてストンと腑に落ちてしまっていた。一般的に女性は勘が鋭いと言われているけれども、確かにその通りだと思ってしまう。
「確かに……そうかも知れません。ご存知の通り、ゆ……田中先生の関係は恋人同士なので、恋人とかパートナーなどのことを第一に考えるのは当然だと思いますが……」
せめてもの抵抗を試みたものの、無駄であることは何となく分かってしまう。
「私も岩松のことは特別に想っていますわ。しかし、二分割にはならずに一番近いのが岩松、その次は両親、そして香川教授を筆頭とする医局の皆さまや内田教授といったふうに私を中心点とした円状に広がっていますの。
香川教授も円状での――親しい人はすぐ近くに、それほど親しくない人ほど距離が離れていくという――関係性は心の中にお持ちだとは思いますが、円形から――もちろん良い意味で、ですけれど――外れた唯一無二の存在が田中先生だと思います。
何かお悩みが有るのですね。しかし、田中先生は大丈夫ですわ。そんなにご心配されなくとも」
何が大丈夫なのかは分からない。この際、祐樹が病室で話していた具体的な内容まで言ってしまおうかと思った瞬間に、ドアが慌ただしくノックされた。
「長岡先生はいらっしゃいますか?内田教授が至急ご助力をお願いしたいと申しております」
長岡先生は笑みをスッと消して、髪の毛をゴムで束ねた後に白衣を羽織った。
「直ぐに参ります。容態の急変でしょうか?」
ドアが開いて内科の医局員が切羽詰まった表情を浮かべている。身分証には鈴木真一と書いてあった。確か内田教授の医局に居る若手の医師で、普段なら内田教授が直々に足を運ぶのに、こういう遣いを寄越すのだからよほどのことが起こったに違いない。
鈴木先生は、こちらを見た瞬間、腰を90度まで下げてきた。
「いえ、気になさらないでください。人命優先でお願いします。『最悪の事態にならないことを祈っています』と内田教授にお伝えください」
二人が疾風のように部屋から出ていった。
もしかしたら緊急手術の可能性もあるかも知れないなと思いながら、コーヒーカップとケーキの皿を洗った後に長岡先生の部屋を出た。
執務室に戻ってからスマホを見た。ちなみに、廊下内でスマホを弄る人間は居ないのでそれに倣っているだけだったが。
呉先生から返信が届いていた。
「仕事終わりました。こちらで良ければいらして下さい」の文面を読んだ上で、内田教授の医局に内線電話を掛けて「不定愁訴外来に居ますので、ご用が有ればそちらにお願いします」と伝えて貰った。普段なら丁寧かつ丁重な口調で返ってくる内線電話の向こうでも騒然とした雰囲気が伝わってきて、ナースと思しき女性も「了解致しました」とだけ言って向こうから電話を切った。
長岡先生が呼ばれた件も異例だったし、こちらも準備しておくに越したことはないと判断して黒木准教授の部屋へと内線電話を掛けた。黒木准教授は縁の下の力持ち役を完璧にこなしてくれる貴重な存在だった。
『内田内科と密に連絡を取ります。その結果次第では手術室や麻酔科にも。香川教授のお力を借りるほどのものかどうかはこちらで判断しても宜しいですか?最近は田中先生にお任せしても大丈夫だろうと個人的に勘案する件も有りますので』
温和そうな声が固定電話から聞こえる。確かに祐樹は執刀経験も積んでいるし、それに何より午前と午後の二回しか手術をしないと宣言して凱旋帰国した自分なので、黒木准教授もそう判断したのだろうが。
「それはお任せ致します。何か有れば私の携帯にでもお電話ください。万事宜しくお願いします」
黒木准教授の判断力・采配力には一目も二目も置いているので、彼の判断に任せようと思った。
電話を切って白衣のまま不定愁訴外来へと向かった。
秘書のデスクにはその旨を書いたメモを残して。
仕事はキチンとこなすのが義務だと思っているし、疎かにした覚えは一件もない。祐樹も仕事の出来る自分を好きになってくれているのは手技を見詰める真剣な眼差しで分かっている。
自分から仕事を取ったら、何も残らないかもしれない……な。
本来の性格であるネガティブ思考が久しぶりに心の中に出てきた。長岡先生が何故祐樹は大丈夫と言ったのか気になって、その連想で先ほどの答えを訂正した。
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