腐女子の小説部屋

創作BL小説を綴っています。ご理解の有る方【18歳以上】のみ歓迎致します

気分は下克上 夏

「気分は、下剋上」<夏>287

「あ、すみません。髪の毛を直して、ついでに身支度もして参ります。普段は同居人が綺麗に整えてくれるのですが……」
 密かに目配せで笑いあっていただけなのに――いや、祐樹的にはこういう日常の些細なことで微笑みを浮かべる心の余裕が最愛の人にも、そして忸怩たる思いを内心で押し隠した祐樹にも出来たことの方が嬉しかったが。
「森技官はそんなことまでするとは、正直意外です」
 基本的に良い人なのはごく最近判明した事実だが、「人の手を煩わせるのが当然」といった感じで超然とした印象の方が強くて――そもそもが厚労省の出世頭とも評されているエリート様だし――何だか意外にも可愛い一面があるのだなと微笑ましく思った。
「手先は充分起用だし、完璧主義の感じもするので――血を見るのは絶対にダメそうだが――それ以外のことは嬉々としてしそうな気はする。特に最愛の呉先生のためなら」
 完璧主義に関しては同意だし、呉先生のことをとても大切に想っていることも知っていたが。
「手先が器用って……ご覧になったことがあるのですか?」
 呉先生と森技官との付き合いは祐樹の方が数日だけ長いものの、呉先生にだけ打ち明ける祐樹の「惚気話」に不定愁訴外来へ足を運んでいることは知っていたが、森技官とは道後温泉の医局の慰安旅行の達成のための交渉でしか二人きりで会ったことはないと聞いている。ただ、手慣れた感じで朝食の準備をする最愛の人の震えていない指を何とか病院まで保たせたくて、他愛のない話をしているだけという意図の方が大きくて、森技官と最愛の人が会っていても別に咎める積りもなかった。
 それに最愛の人が――今度はいつになるかは全く分からないものの、気長に待つ積もりではいた――このしなやかな肢体を開くのは祐樹だけだということも良く分かっていたし。
「え?いつだったか、ケーキの食べ放題に行っただろう、四人で。
 あの時祐樹はコーヒーのコーナーしか往復していなかったが、ケーキの横にセルフサービスのソフトクリームの機械が有って、呉先生が上手く渦巻き状とでも言うのか、とにかくソフトクリームの形に出来なくて、私が見兼ねて手を出そうとしたら森技官がソフトクリームをそこいらの店員さんよりもうまく作っていたので、器用なのだな……と」
 そういえばそんなことも有ったような気がするが、祐樹は森技官との口喧嘩の方に注意が行ってしまっていたので、呉先生がどんなソフトクリームを食べていたのか記憶にない。
 最愛の人がとても美味しそうに食べていたなら話は別だっただろうが。
「ソフトクリームといえば、医局のナースがコーンの代わりにラングドシャで包んだソフトクリームの店が有るとか言っていました。大阪らしいのですが、もし興味がお有りでしたらもう少し詳しく話を聞いておきますが?」
 大根とかニンジンをリズミカルかつ繊細に包丁を動かしているその動きが愛おしい。
「ラングドシャとバニラは良く合いそうだな……。一度行ってみたい」
 薄紅色の笑みを浮かべる最愛の人の瑞々しい生気に満ちた表情も。
「分かりました。店の場所とか名前を聞いておきますね。気が向いたらいつでも行けるように」
 甘鯛は冬が旬らしいが、最愛の人が行きつけの魚屋さんでお勧めされたというだけのことはあって、とても美味しく出来上がっていた。
「ご馳走様でした。こんなに朝から本格的な和食を楽しむことが出来たのも、とても嬉しいです。あ、コーヒー淹れますね」
 呉先生が手を合わせて――きっと京都の人間に相応しいように躾をきちんとされていたのだろう――食事終了の挨拶をしている。
 食事中も他愛のない話で和やかに笑いあっていて、アイツの話は一切出なかったのも呉先生なりの配慮なのだろう。
「食後のお薬は服用しなくても大丈夫ですか?」
 最愛の人は今は普段の怜悧で端正な表情だし指も震えていなかったが、病院に着いてからどうなるのか誰にも分らないので、不安要素は薬で抑えておいた方が良いだろうし、呉先生はケガの痛み止めの薬が切れかけている。
「ああ、一応お渡ししておきますね。眠くならない精神安定剤です。今は一つ服用して、上限は、教授の場合三錠までですね。
 それ以上は服用を避けて下さい。私は痛み止めを飲んでから出勤します」
 薬剤のシートごと、呉先生から最愛の人へと手渡された。紅の指が揺るぎない感じでシートを掴むのも嬉しさに弾んでしまう。
 それにその薬剤は祐樹も二日前の夜に服用したが、それ以降は貰っていないので、血中濃度を保たなくても良い薬なのだろう。つまりは一時凌ぎの頓服薬といった扱いのようだった。
 精神科の薬の中には二週間を目途に効いてくるという、気の長い――と祐樹などは不遜にも思ってしまう――時間が必要な薬も存在することを習った覚えがあったので。
 呉先生が淹れてくれた極上のコーヒーを味わいながら飲んでいると、チャイム音が軽やかに鳴り響いた。
「今頃誰だろう?森技官かな……。出勤前の恋人の顔でも見に……」
 コーヒーカップから紅色の指を最低限のしなやかな動きで離して、軽やかな感じで椅子から立ち上がって液晶の画面の横についているボタンを押している。
「香川様、お迎えのお車が参っておりますが」
 玄関の受付嬢の涼やかで上品な訓練された声が室内に響く。
 声の涼やかさという点では最愛の人の方が勝っていたが「迎えの車」とは一体何のことだろうかと怪訝さが募った。
「え?それはどちらからでしょうか?」
 最愛の人も同じことを考えていたのか、涼やかな声に困惑の響きが混じっていた。
「京都大学病院長の公用車の運転手の方でいらっしゃいます。身分証と免許証も提示なさったので確かだと思います。
 斎藤様からこちらにお迎えに行くようにと指示されたと仰っていますが?」
 病院長の名前も合っているし、院長権限で公用車を使っていることも知っていた。
 ただ、歩いて行った方が早いにも関わらず車を回してくれるとは。
「ああ、昨夜同居人が重大なクレームを入れたので、せめてもの罪滅ぼしの積りなのでしょう、腹黒タヌキの……。
 戦闘モード全開の時の同居人の迫力は田中先生が一番良くご存知かと。あの調子で、いやもっとかもしれませんが……とにかく電話させたことだけは確かです。10倍返しの一環として」
 呉先生がスミレ色の微笑みを浮かべながら何気に恐ろしいことを言ってのけた。
「病院まで外界を遮断出来るので、これは好意に甘えた方が良くはないですか?」
 当惑と躊躇に揺れる眼差しの煌めきを受け止めて、力付けるように瞳の力を強いて輝かせながら。
「それはそうだな……。呉先生もご一緒に如何ですか?」
 とんでもないと言わんばかりに華奢な首を横に振る呉先生の気持ちも良く分かった。
 病院長公用車なんて――最愛の人の凱旋帰国の時ですら――滅多に使われないのが普通だし、それを病院の正面玄関に着けるという祐樹でも身に余る光栄としか思えないものを不定愁訴外来のブランチ長兼精神科講師が受け入れるとは到底思えない。斎藤病院長から直接誘われでもしない限り。
 ただ、一介の医局員に過ぎない――Aiセンター長の肩書きは持っているが――祐樹も本来なら謝絶するべき場合だろうが、最愛の人に出来る限り付き添っていたかったので、乗車する覚悟だった。
「5分後に降りていくと運転手さんにお伝えください」
 最愛の人が祐樹の意を汲んでくれたのか決然とした感じで受付嬢に告げている。
「早めに起きて正解だったな……。歩いて行った方が早いに決まっているが、せっかくの好意を無駄にしたくはないし……。それに森技官の電光石火の早業に報いるためにも」
 クローゼットの前でシルクのネクタイを手早く結びながら最愛の人が祐樹に向かって笑みを浮かべた。
 病院長という単語を聞いても指の震えが再発していないことに心の底から安堵しながら祐樹も手早く身支度を整えた。
「そうですね。病院長公用車なんて、一生に一度の経験かもしれないので――ああ、貴方が病院長に就任したらご相伴に与らせて貰えそうですが――二人の時間を楽しみましょう、ギリギリまで……」











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        こうやま みか拝

「気分は、下剋上」<夏>286

 救急救命室勤務の祐樹などにはケガのうちに入るかどうかも微妙だったが、最愛の人が精緻かつ流麗な動きで丹念に縫合したケガ人の呉先生にはゆっくり休んでもらうように――休日返上で駆けつけてくれた上にずっと専門家の視点で「診て」くれていたのだから疲労も溜まっているハズで――リビングのソファーに横になって貰った。
「お薬は、半減期の短いモノでお願いします。手技に差しさわりがあるといけないので……。それ以外はお任せいたします」
 二人でシャワーを浴びた後だったので、僅かに濡れた前髪が絹糸のように煌めいている最愛の人が紅の指でミネラルウォーターの入ったグラスを持ってリビングに入って来たのは、呉先生の薬がこの部屋にあると知っていたからだろう。
「傷口の縫合も完璧ですし、消毒とか治り具合を三日毎に診せて頂ければと思います」
 傷の縫合痕も芸術的なまでに見事なことを――いや一部始終を見ていたので知ってはいたが――心の底から安堵の気持ちで眺めてそう告げた。
「田中先生に……ですよね?しかし……」
 呉先生が抗うような感じで言葉を切った。祐樹の腕が信頼出来ないのではなくて心臓外科の医局ではもちろんそんな怪我の消毒は出来ないし、救急救命室に来る凄まじいプレッシャーに思い至って最愛の人と顔を見合わせた。
「呉先生の外来も定時上りが多いですよね?患者さんの都合で少し遅くなることはあっても……。私も定時上りが基本で、重篤な容体急変がない限りはこのマンションにおりますので、病院からの帰り道にこの部屋に寄って頂くというのは如何でしょう?」
 最愛の人が折衷案を出してくれた。ただ呉先生は躊躇気味な曖昧な笑みを浮かべているのは「天下の香川教授」にそこまでさせて良いのかと思っているからだろう。
「この二日間の先生の献身的なご助力がなければ、私がここまで恢復出来たかどうか分からないので、その程度のお礼はさせてください」
 律儀で几帳面な感じの表情と怜悧で穏やかな声にスミレ色の笑みが浮かんだ。
「分かりました。ご厚意に甘えてそうさせて頂きます。それに、教授のお薬も容態――いや、今の段階では「状態」ですかね――を見ながら徐々に減らしていくように致しますので、カウンセリングも兼ねて。
 お薬はこれとこれがお勧めです。もう、点滴の必要もなさそうですから、経口薬で充分かと」
 シートに書いてある薬の記号を確かめるように見て――精神科系の薬に疎い祐樹とは異なって最愛の人は記号だけで薬剤の区別がつくのだろう――紅色の唇に薬剤を含んで水で飲み下している。
 喉の動きも瑞々しい紅色だったのも祐樹的には安堵の気持ちと感謝の念で胸がいい意味で潰れそうだった。
「では、お休みなさい。電気は消した方が良いですか?お大事になさってください」
 最愛の人が患者さん――実際に夜勤をすることは稀だし、祐樹が主治医を務める患者さんのまさかの容体急変はなかったので本当に彼がそうしているのかまでは知らない――に言う感じでお休みの挨拶をしているのも。
「教授もゆっくり休んで下さいね。お大事に……」
 何だかどちらも医師の会話で、しかも安らぎと労わりに満ちた穏やかな空気がクーラーの効いた部屋に満ちていく。
 金曜日の夜に比べると天国と地獄ほどの違いで、その劇的な恢復振りに心の底でわだかまっていた斬鬼と後悔の念を少しだけ緩和してくれた。
「祐樹とこうしてゆっくり休むのも何だかとても久しぶりのような気がする」
 枕を並べて、そして右手は付け根まで繋ぎ合わせて間近で見る最愛の人の端正で怜悧な顔や花のように綻んだ薄紅色の唇がとても綺麗で、そして鮮やかな生気に満ちているのがとても嬉しい。
「そうですね。ただ、約束していたのとは少し異なりますが……花火もしたしセミの羽化も二人で見ることが出来たので……。それに本格的な羽化の過程を観察するデートは来年の夏の楽しみに取っておきます」
 涼しげな眼差しが少しだけ眠そうな気配を漂わせていた。
「ああ、それは……とても楽しみだ……」
 薔薇色に弾んだ声ながらも何だか幼い子供のように呂律が怪しいのも薬の効果に違いない。
「お休みなさい。いい夢をご覧になって下さいね」
 「悪夢は全て私が背負いますから」とは流石に声に出して告げることは出来なかった。
 繋いだ指が強く絡んで何かを催促するような感じだった。思い至って内心で笑みを零した。
「お休みのキスですか……」
 薄紅色の花のように綻ぶ唇に祐樹の唇を重ねて触れるだけの接吻を交わした。
 最愛の人が眠りの国の住人になった気配を闇の中で感じて――実際のところ祐樹自身が眠れるかどうか危惧していたのだが――安堵の念とかある種の達成感のせいか祐樹自慢の墜落するような睡眠の大波が押し寄せてきた。
 ただ、繋いだ指は離さないように気を付けて快い眠りへと身を委ねた。
「お早う、祐樹良く眠れたか?」
 繋いだ指はそのままで最愛の人の怜悧さを増した落ち着いた端正さが際立つ容貌が祐樹を見下ろしている。
「お早うございます。お陰様で夢も見ずにぐっすりです。貴方は?」
 最愛の人からのお早うのキスを唇で受け止めて確かな感触と「震えていない」指を絡め直した。
「私も祐樹が傍にいてくれたお陰か、夢などは見ていないし、この上もなく幸せな気分で目が覚めた。
 少し時間が早いかとは思ったのだが、我慢しきれずに起こしてしまった……」
 正確な体内時計を持つ最愛の人なので、時計を見るよりも遥かに正確だろうが一応時計を確認すると普段の平日の起床時間よりも30分早かった。
「いえ、その点は大丈夫です。それに呉先生もお疲れでしょうからこっそり朝食の支度でもして、それから彼を起こしに行きましょうか?」
 綺麗に澄んだ眼差しに不安や躊躇のようなマイナスの感情が浮かんでいないかを確かめるために視線も深く絡めた。
 あえて瞳の力を強くして眼差しで愛を告げながら。ただ、そういう感情を隠しているような感じは全く受けなかったが。
「和食で良いのだろうか?田辺先生の家でご馳走になった夕食も和食だったが……?」
 メスで切られた傷も順調に回復している素肌にワイシャツを纏う最愛の人を見ながら祐樹も素早く朝食の準備を手伝うために着替えを済ませた。
「昨日はオムレツばかりでしたから、和食希望です。冷蔵庫に日本酒に漬けた甘鯛が入っていましたよね?あれを昆布で煮ると美味しいですし、それに呉先生も気に入って下さるかと思います。
 そちらは私がしますので、大根と人参の短冊切りをお願いします。お味噌汁に入れると美味しいですよね?」
 どちらがしても良い料理だが、今は包丁を使って腕慣らしをして欲しかった。
「油揚げもたっぷり刻んで入れた方が良いな。呉先生はこってりとした味付けの方が好みみたいなので……」
 真意に気付いたかどうかは分からなかったものの、朝ご飯のプランを練る最愛の人は「おもてなし」まで考えてくれているのが嬉しかった。
 音を立てないように注意してキッチンまで行くというのも――普段は二人きりの暮らしなので朝は結構バタバタすることが多い――何だか新鮮な喜びだった。
 昆布と出汁雑魚でみそ汁の支度をする最愛の人の鮮やかで無駄のない動きにも。
「お早うございます。朝から美味しそうな料理ばかりですね……」
 呉先生が半ば眠そうだった目が食卓に並んだ料理を見てスミレ色の煌めきで目を丸くしている。ただ、盛大な寝ぐせのついた髪が見事に逆立っていて、二人して密かな笑いに目配せを交わした。











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        こうやま みか拝

「気分は、下剋上」<夏>285

「ああ、あれはアブラゼミの幼虫が羽化して……外気に充分に当てる時間を待っているのでしょう。
 ただ、普通はもっと低い場所で羽化するのですが、根性のある幼虫なのでしょうね」
 紅色の指の先には妖精めいた儚い感じのセミの羽化が済んだばかりの仄かな白さと緑色のつかの間の姿のアブラゼミが空蝉状態の殻の上に宿っていて、夢のように綺麗だった。
「あれがアブラゼミか……。では、クマゼミはもっと大きいのだな?」
 祐樹も伊達に夏休みを野山で過ごしていたわけではないのでアブラゼミとクマゼミの区別くらいはつく。
「ええ、クマゼミが――確かこの辺りでは一番大きなセミなので――最も綺麗でしょうね……。それに殻を割った瞬間の、全く外気に触れていない状態の時の方がもっと妖精めいてとても艶めいた感じで神秘的ですよ。
 あのアブラゼミは羽化して少し時間が経過した状態かと思います。
 ただ、充分あれでも綺麗ですし、それに捕まえることは不可能でしたが、こうして二人きりで見られただけでも充分幸せです」
 障子とガラス戸で遮られているのを良いことに最愛の人の肩を腕で抱いて肌を密着させた。気を利かせた――積もりの――田辺夫人がお茶などを持って来てくれる可能性は否定できないが、呉先生は二人がどういう状態でいるかを充分察しているハズなので上手く阻止してくれるだろう。そそっかしい側面は否定できない事実だが、察しの良さとか空気を読む才能は充分以上に持ち合わせていることも知っていたし。
「祐樹が誘ってくれるだけのことはあるな……。あのセミの妖精のような脆くて儚い羽を見ているだけでとても幸せな気分になる」
 最愛の人が肩に預けた頭と繋いだ指をさらに祐樹へと密着させて、涼しさを分けて貰える感じだった。
 怜悧で端整な静けさを纏う最愛の人なので、紅色に染まった指もひんやりと冷たいし。
「今年は見られないかと思っていましたが、二人であの羽化したてのアブラゼミを二人で眺めることが出来たのも、とても良い想い出です。
 来年こそは、クマゼミの幼虫を捕まえるデートを決行しましょうね……」
 抱いた肩から指でしなやかな肢体のラインを辿って紅色の小指に絡ませた。
「ああ、セミだけではなくて……。カブトムシとクワガタを探しに夜の山道にドライブもするのだろう?
 そういう経験がないので……とても愉しみだ。
 それに……羽化を最初から観察出来るのも……」
 湿度の高い京都の街中に居るとは思えないほど涼しげな弾んだ声が辺りの空気まで冷やしてくれる感じだった。
 羽化を見ながら愛の交歓を愉しむという当初の予定だったものの、そして心因性のショックからは目覚ましい恢復を見せてくれて心の底から安堵したけれども、アイツの残した身体と心の傷が完全に癒えるのがいつになるかは全く分からない。
 紅色の指が元通りに動くようになっただけで「今は」充分満足で、そして確かに愛の交歓は大切な恋人としての儀式だが、お互いの心が堅く結びついている今の状態では必要不可欠なものではないような気がする。
 祐樹の――隠している積もりの――砕け散った魂の欠片が快復してくれて、山のような慙愧と後悔の念も目の前の新雪の白と翡翠の緑が茶色に変わるために時間を必要とするのと同様に徐々に色を変えるだろうから。
 そして最愛の人もアイツの凶行の一番の爪痕である「外科医としての矜持」をどうやら取り戻してくれたようだし、今はそれで充分なような気がした。
「指きりで……約束しましょう。来年の夏には蝉の羽化やカブトムシを捕まえて、そして花火を愉しむデートをすると……」
 絡まった指が夜の闇を鮮やかに切り裂いていくような感じだった。紅色と白色で。
「この手は絶対に離しません……。物理的には離れていても……精神的にはずっと繋いでおくと約束しますから。
 だから貴方は私の太陽のオーラに守られていることだけを心に刻んで、目の前のことを一つ一つこなしていけば、それで充分かと思います」
 妖精の羽根のような蝉の儚い感じが徐々に色を濃くしていくのを二人して見詰めながら誓いと約束の言葉を強く告げた。
「祐樹の言葉だけを信じて、動揺しそうになった時にはこの言葉を思い出して何とか乗り切る積もりでいる。
 有難う、祐樹。そして、愛している。
 大学のキャンパスで一目惚れした時からずっと太陽のオーラで守られているようで、そしてその後は私の身の回りで不幸は全く起きなかったのも事実だし。
 いや、むしろ良いことばかりが起こっていた。アメリカ時代は確かに一人だったが、祐樹のことを忘れたことはなかった。だからどんな難しい手技も成功出来たのだと思う。
 それに、国際公開手術の時もベルリンまで駆けつけてくれたお蔭で成功したようなものだ。
 祐樹の存在にずっと助けられて来た、これまでも。
 そして、これからもずっと祐樹を愛し続ける限り、私の身に悪いことは起きないと思うので、末永く宜しく頼む。
 生涯かけて愛すると誓う……。
 祐樹に失望されないように、そして太陽のオーラが陰らないように頑張るので……。
 こんな私で良ければずっと愛して欲しい。身を切られるよりも辛いのは、祐樹を失うことなので」
 切々と綴られる愛の言葉が二人の歴史の重みと絆の厚さを再確認しているような感じだった。
「はい。生涯かけて愛する貴方の傍に居ます。
 貴方の存在を知ったお蔭で産まれて初めて恋人を愛するという意味を知りました。
 遅い初恋の相手でもありますし、これまでもずっと愛してきました。
 そしてこれからも生涯をかけて貴方を愛し続けるでしょう。
 私が持っているという太陽のオーラは貴方だけに捧げます。それは堅くお約束しますから、貴方はそのオーラに守られている唯一の存在だと自信を持って下さい。
 背中に背負った重い荷物でお疲れになった時には、どうかその荷物の一端だけでも私に背負わせて下さい。愛する者の当然の務めですので」
 言葉だけでは到底足りずに、万感の想いを載せた唇を最愛の人の唇へと重ねた。少しでも想いが伝わるようにと心の底から願いながら。
 誓いの接吻を視線も絡めて交わし続けて、少しでも最愛の人の心が安らげるように瞳の力を渾身の努力でかき集めて。
 角度を変えつつ何度も何度も触れるだけの唇同士の会話のせいで繋いだ指が仄かな熱を帯びていく。
「早く帰って……呉先生の指示通りのお薬を飲んで休まないとならないな。ずっとあの蝉の羽化を眺めていたいが……。明日は患者さんも、そして医局の皆も待っているだろうし」
 名残惜しそうに唇を離した最愛の人が自発的に紡ぐ「患者さん」とか「医局」という言葉に心が溶けてしまいそうな安堵感を覚えた。
「そうですね……。いつまでもこうして居たいのはやまやまなのですが、大先輩の家とはいえ赤の他人のベランダで二人きりでずっと居るわけにもいかないので、そろそろお暇すると致しましょうか?
 呉先生も――大したケガではないとはいえ――痛み止めの処方もしなければなりませんし」
 最愛の人の紅の右手を恭しく掴んで二人して立ち上がった。
「あ!もう蝉が飛べると判断したみたいに羽根を動かしている……」
 アブラゼミのこげ茶色では未だなかったものの、外気に触れ続けていたせいで妖精の儚さではなくて力強さを感じさせる蝉の羽根を見て、そして多分自分のことと重ね合せたのだろう。
「きっと上手く飛べますよ。本能で分かっているのだと思います。あの羽根の動きは」
 祐樹の言葉と時を同じくして蝉が空へと飛んだ。
 何だか良い兆候のようで沈んだ心が微かに晴れた。











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        こうやま みか拝

「気分は、下剋上」<夏>284

「分かりました。田辺先生の奥様と私の黒歴史――割と御町内では知れ渡っているのです、なまじ勉強が出来ただけに――の話でもしておきますので、お二人はベランダでごゆっくりなさっていてください。
 ああ、ここも柳生家と同じで蚊が多いので、これを持って行った方が良いかとは思いますが」
 蚊取り線香ではなく、リキッドタイプの蚊を殺すタイプの電源を引っこ抜いて呉先生は最愛の人へと手渡した。
 紅色の指がしなやかに動いて30日は有効だと書かれた――コンビニでもよく見かける――電化製品を受け取ったのも完全恢復への確かさを感じさせる。
 客用の和室だからか、それとも昨今の健康意識の高まりのせいで「タバコを吸うなら屋外で」というマナーが一般的になっているのも事実だった。
「お水を持って参りました」
 青と白の凝ったグラスに入ったお水をお盆に載せた田辺夫人に――いくら大先輩とはいえ全くの他人のクリニックで処置をすることを許して貰っただけではなくてこんなに手の込んだ夕食まで振る舞ってもらっただけでも気が引けるのに「灰皿があればお貸し下さい」と言うのは大変図々しいような気がして言い淀んでいると、最愛の人が瑞々しい笑みを花のように浮かべて田辺夫人を見遣った。
「医者の不養生で……、誠に申し上げにくいのですが……、処置や手技の後にはどうしても一本のタバコが欲しくなるので、出来れば灰皿を……なければビンの蓋でも構わないのでお貸しいただけないでしょうか?」
 喫煙の習慣のない最愛の人が祐樹のために代弁してくれたのは明らかで、その行き届いた心遣いが出来るようになったことに内心で目を瞠るほど驚いた。
 元来がウソのつけない性格の人なだけに些細な方便とはいえ、そこまで心か精神が恢復していることに。
「ああ、それは至りませんで。直ぐに持って参ります」
 呉先生が可笑しそうな、そして心の底から喜んでいる感じの表情で最愛の人を「見」ている。
 まさに「怪我の功名」といっても本来の意味とはズレてはいるが、処置が上手くいったことで最愛の人も内心では安堵と自分の手技に対する矜持が取り戻せたのだろう。
「私はそろそろ麻酔が切れる時間なのでここで安静にしておきますので、お二人はベランダで涼んでいて下さい」
 客用と思しきマイセンの灰皿を持ってきた田辺夫人に聞かせる言葉だろう。
 局部麻酔が切れるというのも呉先生の口から出任せで、ただ田辺夫人は医療知識が皆無なのを知ってそう言い繕ってくれたのだろう。
「有難うございます。ベランダに行って吸って参ります」
 何かを言いかけた田辺夫人だったが、相手が若いとはいえ雲の上の教授職の人間だと思い直したように口をつぐんだ。
 多分「クーラーの効いた応接室ででもお吸い下さい」のような言葉だろうが――健康へのリスクが声高に叫ばれているし、医師や看護師の喫煙所は祐樹が研修医だった頃よりもさらに奥まった場所へと追いやられているが、喫煙者の母数はそれほど減っている感触は受けないので、田辺先生も愛煙家かもしれないし。
 一階部分は典型的な――そして自己申告の通り野山や川で遊び倒していた小学生の頃の祐樹はケガをすることも多くて母に連れて行ってもらった――町のクリニックといった佇まいだが、二階は客用の和室の畳も青々としていて良い香りだったし、床の間には夫人が活けたと思しき花と掛け軸まであって、京風の風情が色濃く残った贅沢な造りだったし、ベランダも障子とガラスで二重に遮られている。
 電源を目敏く見つけた最愛の人は30日蚊取りのコンセントを紅色の指で器用に差し込んでから祐樹へと灰皿を渡してくれた。
 ベランダには余計なものは一切置いてなくて、タイル敷の床に二人して座った。
「祐樹、本当なら祐樹に処置を任せるのが筋だとは思ったのだが、私の我がままを通してしまったようで済まない」
 ライターの火に浮かび上がった最愛の人の表情は達成感に満ち溢れていて、それだけで充分だった。
 心の奥にわだかまった慙愧の念が、最愛の人が肩に頭を載せてくれるだけで二人で行った蛍の里の蛍が空に向かって舞い散るような感じで闇の中に溶けていくような気持ちになる。
「いえ、お見事でしたよ。鮮やかさに見惚れるくらいに……。
 タバコの煙を安らかな気持ちで吸い込んで、最愛の人が凭れた肩とは反対方向へと紫煙をたなびかせた。
 マンションの祐樹用の部屋でタバコしか紛らわすものがない状態だったことを考えると夢のように幸せだった。
 このまま何事もなければ、明日の手技に「確かな光明」が見えたようで秀でた額に掛かる前髪を指で梳いた。
 少し汗ばんで重い髪の毛を梳きながら最愛の人の頭の重みを肩で、そして凭れかかってくる――この辺りは昔からの住宅街だけあってマンションなどの高層ビルは規制されているらしく人目を気にしなくて良いのも利点だった――しなやかな肢体の確かな感触を祐樹の身体で受け止めるだけで、呉先生に貰った精神安定剤よりも効果は覿面だった。
「祐樹が傍に居てくれて……、そしてイザとなれば助けてくれるだろうと思うだけで何だか心が軽くなって……、ほら手も震えていないし……」
 障子越しの――多分呉先生は田辺夫人と昔話に興じているのだろう、恋人を二人きりにさせようとの思惑と、そして「診る」のではなくて「見る」に変わった眼差しにはあからさまな安堵を滲ませていた上に、この長い長い二日間を恋人を案じる祐樹とはまた異なった視点でずっと診てきた疲労感も抱いているに違いなかったし――淡くて柔らかな光にかざす紅色の手は、どんな手のモデルよりも綺麗で、そして瑞々しい艶やかさに満ちていた。
 思わず空に手を伸ばして指を掴んで付け根まで絡めた。
「一人で背負いこまないで下さい。私が常に傍に居ますので……。貴方は安心して目先のことだけを考えていて下さいね……」
 祈るように願うように最愛の人に告げた。
「分かった……。祐樹が傍に居てくれるなら、私は安心して委ねることが出来るので……。
 ただ、病院の手術室は――普段は全く思わないのだが――物々し過ぎて……。ほら斉藤病院長が祐樹の携帯に電話を掛けて来ただろう?あの時は何だか病院の雰囲気が電話越しに伝わってくるような錯覚を抱いてしまって……それで、つい」
 あの間の悪過ぎる電話を忌々しく思い出してしまう。
「呉先生の処置は見事の一言に尽きました。
 あの調子で、そして何も考えずに指だけを動かせば……数多くの執刀数をこなしてきた貴方ですので、指と頭が勝手に動きますよ。
 私も実は貴方の処置を見ながら頭の中で寸分違わず――いや、それは言い過ぎですね――もう少し乱雑な処置とか包帯止めを使って縫合術を終わらせたでしょう。
 貴方の頭と指、そして背後に控えている私の存在を信じて、それだけを考えて明日の手術に臨めば大丈夫かと思います。
 余計なことを考えずに……その三つだけを信じて下さい。
 それにこの指が震えていないことは私が一番良く知っています。処置と手技では難易度こそ異なりますが……、ただ、救急救命室勤務も慣れた私とは異なって、ケガの縫合術は久しぶりではないですか?
 慣れない縫合ですらあんなに鮮やかにこなせたのですから」
 最愛の人の頭の重さが心地よい。
「そうだな……。祐樹の言う通りだ。
 あ!祐樹っ、ほらあの木」
 湿度の高い夜の空気を怜悧に弾んだ声が切り裂くような鮮やかさで響いた。同時に繋いでいない方の人差し指が一点を示した。











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「気分は、下剋上」<夏>283

「私ですか?勉強は割と出来ると町内で評判でしたが。それ以上に近所の悪ガキを集めて道のすぐ傍に1メートル80センチ程度の落とし穴を製作して、落ちる人間を秘密基地から皆で見ていて、大笑いした後に警官とか他の大人を呼びに行って救出に当たらせてですね……その件でこっぴどく怒られたとか。
 そういうエピソードがたくさん有って『悪ガキの大将』のあだ名しか頂けなかったですね。
 でも落とし穴を掘るのを自分でも頑張りましたし、一見普通の側道に見えるように偽装を凝らしたり、落ちた大人が間抜けな格好と悲鳴を上げたりするのを見て物凄く良い思い出になっています。
 一種の達成感ですかね……。
 まあ、母は交番のお巡りさんとか近所に平謝りでしたし、家でもこっぴどく怒られて……。
 それは想定の範囲内でしたので構わなかったのですが、二週間のおやつ抜きと、母が買ってきた問題集を夏休みの宿題以外に一冊全部仕上げろと言われた時は流石にへこみました。
 しかも一個上の学年の問題集でしたし――まあ、全部マルを貰いましたが――おやつ抜きが一番辛かったですね」
 呉先生は怪我で蒼褪めていた――痛みではなく出血した箇所をありありと想像してしまったのが原因だろう――スミレの花の顔を破顔といった感じに花開かせて笑い転げていたし、最愛の人は驚きに切れ長の無垢な煌めきを宿した目を見開いた後に花よりも綺麗で瑞々しい笑みを浮かべて祐樹の顔をまじまじと見ていた。
「1メートル80センチだと完全に人の体が隠れてしまうほどの深さだな……。それを掘ったのか?」
 半ば呆れたそして半分は驚いた感じの笑みが鮮やかな朝露に濡れた花のように透明な艶やかさに満ちているのも嬉しかった。
 厚みの有る鮭の赤い身に普通よりも細かい大根おろしが雪のように掛かっているのも夫人の心尽くしのもてなしなのだろう、それを温かいご飯の上に紅色の箸を器用に操って載せて白と赤で彩られた鮭とご飯を花のように開いた唇の中に入れるのが健康的な官能めいていて心が躍る出来事だったが。
「田中先生らしいエピソードですね……」
 場の和やかさを田辺夫人も察したのだろう――普通は教授と医局員そして精神科の講師職に就いている呉先生が「友達」みたいに語り合うこと自体が稀だ――教授が上座に座るのは普通の出来事だろうが、お通夜めいた雰囲気というか発言自体に気を遣って当たり障りのない会話と意味のないお追従めいた笑いしか漏れないと聞いている――そういう雰囲気は皆無の「友達同士の他愛もない会話」を楽しんでいることを。
「睦実君、いえ呉先生もお勉強は物凄く出来るとご町内では評判でしたが、割と抜けているところが有って……。それが逆に人間的な魅力を持っていると専らの評判でしたわ。
 なんでもご家族にこっぴどく怒られて泣きながら庭に駆け出した直後にさらに泣き声を強めて戻って来て『スズメバチに刺された』と目の周りをお岩さんのように腫らして戻ってきたとか……」
 年なりに美しく老いた感じの目元の涼しげなシワが懐かしそうな感じの笑顔を際立たせていた。
「そ……そんな噂が出回っていたのですか?家族しか知らないと思っていたのに。
 もう思いっきり黒歴史なのに」
 スミレの花の可憐な顔を真っ赤に染めている呉先生はある意味悲痛な感じの声を上げている。
「まさに『泣きっ面に蜂』そのものですね……」
 祐樹が追い打ちをかけるように言うと、最愛の人も肩を揺らして笑いながら「そんな、傷口に塩を塗るようなことを言わなくても」とフォローするように呟いたものの、それでも紅色の唇は可笑しそうな花が開いたようだった。
「あの時は本当に痛かったですよ……。いや今なら病院に運んで処置してもらうような案件ですけれど、家にタンニン酸水が有ったので、傷口を水で洗ってもらって直ぐに塗ってもらいました。
 まあ、二回目にはアナフィラキシーショックが起こるかもしれないので、その後は充分気を付けていますけれど……」
 呉先生が開き直った感じで解説してくれたのは、祐樹最愛の人が心の底から可笑しそうな笑いを浮かべているのを見て――自分のケガも顧みずに――心因性ショックの改善に役に立つと判断したからに違いない。
「ウチの母なら、アンモニア水とか、アンモニアが含まれている『おしっこ』を掛けるという民間療法かつ医学的根拠のない手当てしか思いつかなかったでしょうね……。その意味では呉先生のご家族は立派だと思います」
 祐樹の母は医学的な専門知識に欠けている上に昔からの言い伝えを守ろうとするタイプの人間だ。
「腫れは大丈夫でしたか?アナフィラキシーは死に至ることが多いので、今度からは可及的速やかに救急車を呼ぶことをお勧めいたします」
 呉先生の――最愛の人とはベクトルが異なる――綺麗な顔に四谷怪談のお岩さんのような腫れが出ると、なまじ整っているだけに却って悲惨な顔になるのは想像に難くない。
「大変でしたよ。何しろ患部が目の周りでしたので、しかも割と広範囲に腫れてしまっていたので眼帯で隠すことも不可能で……。しかも夏休みの終わりの出来事でしたから、お岩さん状態で学校に通う羽目になってしまって……。学校中はもちろんのこと登下校中に出会う大人たちにもギョっとした目で見られてしまって」
 確かに目の周りをお岩さんのように腫らした小学生が道を歩いていたら祐樹だってびっくりした目で見てしまいそうだ。
 ただ、スズメバチは見た目と異なり人間を――巣を間違って攻撃さえしなければ――むやみに襲う習性は持っていないし、肌に止まっても静止していれば飛び去ってくれる。
 呉先生の――まあ子供時代のことなのでそういった知識がなかったのはある意味仕方のないことかもしれないが、スズメバチとか他の蜂どころか毒を持った蛇に至るまで対処法をあらかじめ教わっていた田舎育ちの祐樹とは住環境とか遊ぶ範囲が全く異なっていたからだろう、好意的に解釈すれば――そそっかしい点は今も健在のようだったが。
 柳生氏が「この辺りは危険」と予め教えてくれた場所にヘビ花火がそちらに向かって爆ぜたとはいえ、最愛の人なら絶対にそちらには近寄らないように避けるだろうし、その点は祐樹も同様だった。
 最悪の場合は跳んで避けることも出来たのだから。
 ケガをしてしまった呉先生には悪いが咄嗟の判断力に欠けている点は否めないような気がする。
 まあ、専門が精神科なので一刻一秒を争うような事態を仕事上で求められることもないのでそういう能力も仕事上では培われなかったのかも知れないが。
「それはお気の毒です。
 ゆ……田中先生の方が好みの味なので、いえ充分美味しいですが……」
 デザートの抹茶アイスを一口食べた最愛の人は白と透明なガラスで出来た小皿を祐樹の方へと手渡してくれた、紅色の震えていない指で。
 口に合わなかったのかと心配そうな表情を浮かべる田辺夫人に薔薇色の笑みをフォローのように浮かべながら。
 一匙掬って食べてみると、抹茶の香りと共に快い苦みが口の中で淡く溶けていく。
 ただ、コンビニなどで売られたり料亭で供されたりする甘味のついたアイスではなくて、抹茶本来の味を追求した感じだったので、確かに最愛の人よりも祐樹向けの味だった。
 普段はそういう心遣いを――今となっては当たり前のように――受け入れていたが、金曜日の凶事の痕も精神的に深く残っている最愛の人が「普段通り」になってくれたのは大変喜ばしくて、祐樹が内心で抱えている氷山のような硬く冷たい慚愧と後悔の念がアイスが解けるような感じで少しだけ軽くなった。
「お手数ですが呉先生のお薬用にお水を頂けませんか?」
 最愛の人が田辺夫人に軽く頭を下げて促した。
 最愛の人用にも呉先生がお薬は用意してくれているハズだがあいにくそれは車の中だったので、今の今服用出来ないのが残念だ。
 ただ、公園の入り口に自販機が設置されているのを呉先生をホールドしながら目にしていたので車に戻る途中で買って飲ませれば全く問題はないが。
「ああ、それは気付きませんで……至らない点を深くお詫び申し上げます」
 田辺夫人が申し訳なさそうに頭を下げた後に和室から出て行った。
「あ、ベランダが有るのですね。呉先生はしばらくそこで休んでいた方が良いかと思いますが、少し風に当たって寛ぎたいです。
 祐樹もタバコを吸いたいだろうし……」
 呉先生の処置の時から感じていたが、最愛の人も自分から動くようになってくれてそれだけでも目覚ましい恢復振りが分かって嬉しさのあまり胸が熱く震えるようだった。それまでは誰かが声を掛けなければ「何かを自分でする」という行為を忘れた感じだったので。











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すみません、リアルで少しバタバタする事態になってしまったので、更新お約束出来ないのが申し訳ないです!!






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        こうやま みか拝
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