「田中先生、お元気そうで何よりです。もう、香川教授や田中先生の家の方角には足を向けて寝られません。本当にお世話になっていますし、先の事件では……」
白河教授が平身低頭といった感じで祐樹に挨拶してきた。脳外科の狂気の研修医が仕出かした「夏」の事件のことに未だ罪悪感を抱いている。
祐樹も予兆を察知しながら最愛の人を危険にさらしてしまったことに忸怩たる思いを引きずっている。
「白河先生も田中先生も外科医だろう。過ぎてしまったことは取り返しがつかないことくらい分かっているだろ?もうサッサと切り替えろ。切り替えの早さは優秀な外科医としてのバロメーターなんだよっ!!」
「夏の事件」は病院長が「脳外科の白河准教授(当時)そして教授職しか知らせてはいけないと箝口令を敷いている。
最愛の人の精神的ケアを直接担当した呉先生は別だったが。
おそらく桜木先生は白河教授から聞いたに違いない。
「あの時はさ、香川教授も右腕にケガしたんだろ?でも、何だか厳戒態勢っていう感じの月曜日のオペはいつも通りの華麗かつ大胆だった。
手術室スタッフの多さとか表情で何かが起こったのだろうな……とは思ったが、黒木のおっさんまで出張ってきてたもんな……。
教授は大丈夫なのだから、そんなに悲観することはないだろ?」
祐樹と白河教授の背中をバンバンと叩きながら――多分フォローしてくれているのだろう――真剣な声でそう教えてくれた。
「痛いですよ。
そうですね。切り替えます」
祐樹とか森技官が踏み込むのが遅れたら、無理やり最後までされていたことは病院長以下の教授職には伏せてある。
だから、白河教授経由で聞いたと思しき桜木先生が知らないのも無理はない。
当時の厚労省ナンバー2に唇を奪われただけでも取り乱していた最愛の人だから、極上の花園を蹂躙されたらどうなるのか分からない。それを防いだだけでも良しとしよう。
肉厚の手が祐樹を力付けるために背中を叩いてくれているのは明白だった。
「ま、過ぎたことはスルーして、次に活かせばいいさ。
で、俺はもうここから退散しても良いんだろ?病院長室ではケツが痒かったし「、教授執務室ではムズムズした。ま、香川教授のトコのコーヒーはすげえ美味かったけどな。
そろそろ手術室の空気が吸いたい。こんな場所は似合わないし、さ」
頑固な手術職人というあだ名に相応しい言葉に笑ってしまった。
「いえ、今度は論文執筆の手伝いをしてもらいたいのですが」
ポリポリと頭を掻く桜木先生はあからさまに迷惑がっている。
白河教授もそれは分かったのだろう。
「口述で構いません。それを私が論文形式に纏めますから。悪性新生物科の教授には許可を貰っていますし。
今日のオペはあのヘボ教授でも充分可能でしょう」
有無を言わせずといった感じで白河教授の部屋まで連行されていった。
白河教授も最愛の彼と同じく学生時代から救急救命室に入りびたっているほど職務熱心な人だと聞いている。
生粋の外科医として職務にまい進していた結果、実力で准教授職まで上り詰めた人だ。
そして、いずれ行われる病院長選挙には「絶対に香川教授を押します。病院内に蔓延る旧態依然な悪しき慣習、教授のお気に入りとかではなくて実力で評価される病院を作りたいのです」と言っていたので信頼は出来る。最愛の人が病院長の椅子に座ったら、教授に嫌われてとか、逆らったら飛ばされるといったことを無くすのが目的だろう。
そう言えば精神科の真殿教授は。彼視点からすると「古き良き大学病院が良い」と思っているフシが有る。
もしかして森技官は病院長に「そういうのは古いです」といった釘を刺しに来たのではないだろうか?
そんなことを考えて時間潰しに佇んでいると、最愛の人の秘書が出て来た。当然ランチを摂るためだろう。
「香川教授がお待ちかねでらっしゃいます。出来れば急いでくださいね」孫も居る――実際に存在するのかは聞いていない――年齢の人なのだが、実務能力という点ではピカ一だ。
最愛の人は美人秘書を侍らしている斎藤病院長とは異なって「仕事さえ優秀ならばどんな人でも大歓迎」といった人なので、プライベートでは色々仕出かしてくれる超優秀な内科医という点だけで医局に迎えたと聞いている。
「香川教授、田中です。お呼びにより参上いたしました」
緊張した表情を取り繕ってノックをした。何しろランチタイムなので廊下には教授とか教授秘書といった人が歩いている
この表情だと、職務でミスをしたとかで教授に呼び出された医局員にしか見えないだろう。
「どうぞ」
怜悧な声が室内から聞こえた。
「入ります」
声を掛けて入室した最愛の人の大輪のピンクの薔薇のような笑みと応接用のテーブルに用意された料理に見惚れた。
正確には最愛の人が9で料理は1だ。
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