「あの子達も育った場所に返してやりたい。この辺りでも生きられるだろうけれど、山が近いとはいえ、一応都会なので……。
生まれた場所はもっと山間部だろう?そちらの方が生きやすいと思う。
祐樹には迷惑を掛けることになってしまうけれども……」
律儀で誠実な性格なのは知っていたし、そういう面も祐樹にはないこともあって好ましい。祐樹は最愛の人に対して誠実であろうと努力はしているものの、それは後天的なモノで生まれついてのものではない。
「良いですよ。今回のデートの目標はセミの羽化を貴方に見せることと、カブトムシやクワガタの捕まえ方をお教えしたかっただけで、それ以上のことは行き当たりばったりというか、ノープランですから」
セミの羽化よりももっとイイものが見られたことは、清々しい朝の光の下で言うのは流石に憚られた。
「祐樹、ありがとう」
最愛の人の極上の笑みが祐樹を心の底から幸せにしてくれる。
二人して木立を歩くと蝉時雨が上から降り注いでくる。
「この辺りだったよな?」
夕方と朝では木立の雰囲気も異なっているので最愛の人も確信が持てないようだった。
「そうですね。ただ、セミは羽化を完全に果たしたら直ぐに飛んで木に移動しますので、大体の目安で良いと思います」
祐樹の言葉に頷いた最愛の人はプラスチック容器の蓋を注意深く開けた。
三匹のセミが一斉に飛び出して、バラバラな方角へと飛んでいく。
「元気で生きて欲しいな……」
人の気配がないのを良いことに最愛の人の少し華奢な肩を抱いた。
「大丈夫でしょう。この辺りには虫取りの子供も来ませんし……」
天敵である鳥に襲われる可能性も有ったが、それは言わぬが花だろう。
「祐樹が言うのだからそうだろうな……。もうどの個体か分からなくなった」
木を良く見ると多数のセミが止まっている。セミの個体差など祐樹にも分からない。
「きっと頑張って生きていくでしょう」
祐樹の肩に頭を預けた最愛の人が「そうだな」と満足そうに呟いている。
「昨日通った道だな。牡丹鍋屋さんは秋からの営業らしい。冷凍の肉は出さないみたいだ」
神戸よりも内陸部のこの辺りは、正直過疎の町といった趣きだった。
「秋になったら、栗などの秋の味覚も次々と出来ると思いますので、また来ますか?ほら、あそこに無人販売所があります。今は野菜しか並んでいないようですが、秋になったら栗とか柿も並ぶと思いますよ。牡丹鍋屋さんの正確な営業日時は調べておきますので、また二人で来られればと思います」
助手席の最愛の人は嬉しそうに頷いている。
「約束だな……。干し柿の作り方を祐樹のお母様に教わったので、実践してみようと思う……。日に干す場所があれば良いのだが……」
母親が干し柿を作っていたのは当然知っていたが、全く興味を持っていなかったせいで記憶は曖昧だ。
「多分ですが、マンションのベランダだと日の当たりがイマイチのような気がします。
ウチの家は一軒家としては狭くてボロいですけれども……確か縁側の向こう側に干していたような記憶があります。あくまでも多分ですが。詳しいことは母に聞いてみてください。貴方からの電話なら大歓迎でしょうし、お盆休みに帰省した時でも具体的に聞くのも良いかも知れないですよね。
マンションがダメなら呉先生の薔薇屋敷の一角を借りるとか、ご近所さんに聞いてみてもらうというのは如何でしょう?」
干し柿を作る話をしていたのに、助手席の人はなぜか一瞬黙り込んだ。
「……そうだな。スーパーや市場で売っているのはそのまま食べる事が出来る柿だけで、あとは干し柿の完成形しか売ってない。だから一回作りたかったな……」
膝の上に置いているカブトムシやクワガタの入った大きめの容器に視線を落として幾分沈んだ感じなのが気になった。
こういう話には嬉々として乗ってくる人なのに、何が悪かったのだろうか?と気になった。ただ、なんとなく今聞くのはマズいような雰囲気を醸し出している。
そのうち話してくれるかも知れないと思って何も気づいていない風を装って言葉を続けた。
「貴方の作った西瓜のお漬物が食べたいです。一日しか家を離れていないのに、変な話なのですが……」
最愛の人の眼差しが祐樹の方へと向けられた。
「西瓜の漬物なら、冷たくても食べられるので、後部座席のお弁当の中に入っている」
先ほどの沈んだ感じが全くなくなっていて、安堵した。
「そうなのですか?カブトムシなどを解したらどこか良い場所を見つけて一緒に食べましょうね。ああ、この辺りの山が捕まえた街灯の近くだと思います」
細い農道だか林道の中に車を乗り入れてしばらくすると鬱蒼たる森に突き当たった。
「しばらく歩いて、クヌギやコナラの木を見つけたら放しましょう。それらの樹液を好みますし、隠れる場所もちゃんと見つけると思います」
車を降りて、森の中に入った。山歩きに適した服装はしていないので、早めにクヌギの木を見つけたいなと思ってしまう。
「あれ、クヌギではないか?」
最愛の人がしなやかな指を差す方向を見ると確かにクヌギの木だった。森の中には漆など触れれば炎症を起こす木なども存在しているし、刺されると痒みや痛みを伴う虫も居るので早めに見つけられてラッキーだった。
「木の根元にそっと置いてください。それで大丈夫なハズです」
すっかり慣れた感じでカブトムシやクワガタを手に持って次々と放していく。「元気で生きろ」とか声を掛けながら。
「山歩きも嫌いではないですが。半袖は危険ですよ……。早く車に帰った方が良いかと思います。あっ!」
目の前を綺麗な虫がスイスイといった感じで飛んでいる。
「あれはタマムシです。綺麗ですがなかなか捕まらない……」
最愛の人も祐樹の視線の先を見て、屈んでいた状態からさっと身を起こすと、軽快かつ確かな足取りでタマムシを追いかけていく。
多分ダメだろうな……と思ってその華奢な背中とか細く長い脚の動きに見惚れてしまう。ただ、有害な木が最愛の人の体の周りにないかだけは注意していたが。
しなやかな指が魔法のように動いてタマムシをキャッチした。
「すごいですね。本当に捕まえることが出来るとは!!」
二本の指の間に色とりどりの光を放つ小さな虫が挟まって、白い指との対比が綺麗だった。
「タマムシは幸せを呼ぶ虫だそうだ……。これで祐樹を幸せにしたい」
何が言いたいのか一瞬分からなかった。今だって充分幸せだったので。
最愛の人の額に浮かんだ汗の雫とか健康的な肌の色を見つめてから、瞳を合わせた。
「祐樹が去年の『夏の事件』について罪悪感を心の奥では払拭出来ていないと呉先生が言っていた。
ただ、私を助けてくれて、助けに来てくれただけで私は満足だし、幸せだった。だから、もうその件については忘れて欲しい。このタマムシと一緒に罪悪感も手放してくれたらと心から願っている」
細く白い指から濃く薄いグリーン色や金色に煌めく虫が離れていく。
最愛の人の言葉通りに、心の底にわだかまっていた気持ちもタマムシと一緒に飛んでいってしまったような気がした。
笑みを浮かべて最愛の人の顔を見ると、安堵の色を滲ませた笑みを返してくれる。
「そういう気持ちはタマムシが綺麗に浄化してくれたようです。
有難うございます」
そう告げる祐樹の唇に最愛の人の花のような笑みを浮かべた唇が重なった。
<了>
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