「一応、手錠は填めておくか……。幸樹君は谷崎と違い、用量以下で眠ってしまうし、谷崎は谷崎で、用量以上を混入させたコーヒを与えたのに、今は薬の作用で眠ってはいるが、本来ならば、幸樹君と同様に、舌のもつれなどの副作用が出るハズなのにそれもなかった。また、薬が効いていないのでは?と私が危惧していたのは、崩れるように眠り込んだだろう?あの前には、動作が極端に鈍るというお薬でね。それが全くなかった」
 本人曰く署長室でハンコ押しばかりしているとぼやいていた西野警視正は手慣れた仕草で谷崎君に手錠をかけた。
「助けに来て下さって有り難うございます。幸樹は……眠っているだけですよね?怪我はないと本人は言ってましたが、本当にないのか、とても気に掛かります」
 幸樹は俺に対してはとても心配してくれるのに、自分の身体には無頓着なところが有る。
「山田君、君は逮捕術でも優秀な成績だったね。その中には「犯人を縛る」という項目も有ったハズだが」
 一番遅れて入ってきた山田巡査は俺に面目無げな表情を向けている。
「すみません、本来ならば最初に突入するのは私の役目でしたが、集音マイクをそれらしくみせるために、機械にコードを繋いでいたのです。それに足を引っ掛けてしまい見事に転倒してしまいました。誠に申し訳有りません」
 西野警視正と俺に向かって深々とお辞儀をした。警官って敬礼ばかりしているイメージだったのだけれども、頭を下げることも有るのか。トリビアが増えてしまった。
「いえ、人質の雄太君を窓の向こうに放り投げることには成功しましたし――雄太君は無事ですよね?怪我などしていませんか?」
 割れた――というか俺が割ったのだけれど――窓ガラスは声が良く通るらしい。
「お兄さん、有り難う。何か下がクッションになっていて、ポンポンと飛び跳ねられて面白かったよ。ケガも全然していないよ」
 雄太君に身長だと脱出口になった窓ガラスは顔しか見ることが出来ない。近くに行って「良かったな、よく頑張ったな」と言って褒めてあげたい気持ちはやまやまなのだけれども、幸樹は安らかな寝息を立てて、いつの間にか俺の肩から胸部へと頭を移動している。肩なら貸しておくだけで充分なのだけれども、胸に凭れ掛かかられたら手で支えておく必要が有る。
 幸樹が一番に駆け付けてくれて、適切なアドバイスをくれた。そして身を挺して守ってくれた。そんな幸樹をそっと適当な場所に移して眠らせるなんて俺には出来ない。幸樹の体温と質量を感じて、そして頬骨が少し出た端整な顔をずっと見詰めていたい。
 それに、俺の推論がもし当たっていれば、幸樹も谷崎君のように成るかも知れない。
 当たってくれなければ万々歳なのだけれども、上野教授が「闇に囚われる」薬をワインにだけ混入したのなら、大学の研修施設の厨房を受け持つパートさんを「ナゾ」の腹痛を起こさせて厨房を空にする必要はなかった。ワインの混入は自宅でした方が確実なのだから。厨房に入っていたのは大野さんだけど、大野さんはパートさん達が大勢でする仕事を一人でこなしていた。それも今は亡き有吉さんと麻田さんという料理の名人とまではいかなくても充分戦力になる二人の助っ人を断ってまで。そして、俺達には「かつおのたたき」の薬味のニンニクを食べるように強引に勧めたクセに、幸樹はあっさりと免除された。でもその前に、幸樹は大野さん特製だとかいう変な臭いの漢方薬を飲んでいたからに違いない。
 つまり、幸樹も俺もワインは偶然呑まなかった。けれど幸樹は酷い臭いのする漢方薬を二度に亘って飲まされている。俺は「かつおのたたき」の薬味のニンニクは食べたフリをして食べていない。ニンニクも大野さん特製の薬も摂取していない俺は大丈夫だろう。
 だけど、幸樹は……
 もし、幸樹がさっきの谷崎君のようになればどうしたら良いのだろう。
 幸樹に刺されて死ぬのは、どういうわけかちっとも怖くない。血を見るのが嫌いだし、怪我とか身体の痛みも大っ嫌いだ。
 でも、幸樹に刺されるなら、それが「闇に囚われた」薬の仕業であっても、自分は納得して死んでいけるような気がした。
 ただ、谷崎君が全く関係のない雄太君のような人間を人質に取ったり、そしてその人質を殺してしまったりしたらどうだろう?
 そうなったら、俺は死んでも死に切れない。
 早く、上野教授のしっぽを掴んで解毒薬が有るかないかだけでも確かめなければならないと気持ちばかりが焦っていく。
 幸樹が死ぬ時は、俺も一緒に死にたい。
 幸樹の頭を抱えながら切実に思った。
 谷崎君は「北の楽園」を夢見ていた。景気が少しは持ち直しているとはいえ、まだまだだ。だから、大学側も「絶対に新聞は読むように。特に日本経済○聞は」と学生全員に通達めいたモノは出している。「北の独裁者の国」の現状は知らず知らずのうちに日本人の知識に貯め込まれていっているはずで……それこそ、プロレタリア文革の巨匠が書いた「蟹工船」のラストシーンのような――ちなみに、過酷な労働に耐える日本の労働者に今は無き「ソ連」の船がやって来て、救ってくれるというものだ――ことは有り得ない。そんなことは谷崎君も知っていたハズなのに、「北の楽園」への礼賛をしたのは「闇に囚われる」薬のせいだろう。
 それにこんな言い方は谷崎君にはとても失礼なのだけれど、そしてそんなことは微塵も考えたくないのだけれど、幸樹が「闇に囚われた」薬の影響を受けて、何かを仕出かした場合、谷崎君のような、奥の間に何が有るかも知らないとか、いくら幸樹を始め西野警視正や山田巡査がどんな名演技を披露しようが缶に入っているとはいえ「外から運び込まれた」飲み物は絶対飲まないだろう。
 谷崎君とはそう親しくもなかったので普段の性格などは良く知らない。
 でも、幸樹が頭脳明晰のままで「闇に囚われる」薬の作用が出てしまったら、どうすればいいのだろうか。
 そう思うと目の前は真っ暗になった。



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