何故、警察が要請した強力な睡眠薬を多量に摂取した谷崎君は効き目が遅くて、少量しか飲んでないハズの幸樹がダウン寸前なのを考えると、雄太君を早急に脱出させなければならない。俺や幸樹は一応、防弾チョッキを着ている――多分、援軍に入ってくれた西野警視正も山田巡査も同様だろう――ので、肌が露出している首なんかを包丁で切りつけられたら命の保証はないことは分かっている。しかし、谷崎君に理性が残っているとしたら、首よりも身体の一部、心臓とか腹部とかを狙いそうだった。それなら防弾チョッキはとても有効だ。
 それよりも、何のガードも施していない雄太君――当たり前だ。お母様と近所に出掛ける時に防弾チョッキを着るなんて有り得ないことなのだから――を無事に脱出させることだけを考えなければ。
 緊張の余り強張っていた手足をストレッチの要領で伸縮させる。義務感が勝っていたのか、普段通りとまではいかないけれど、何とか頭脳が命令した最小限の動きは出来そうだった。
「お兄さん、何をしているの?」
 首筋に抱き着いている雄太君の子供らしい熱めの体温と、とても緊張しているのだろう、トクトクという心臓の鼓動に紛れて雄太君が小さな声で聞く。
「雄太君を窓から脱出させるための準備をしているんだ」
「スゴイね。僕も悪の組織に捕まったヒーローみたいだ」
 雄太君は俺の細い首に抱き着いて楽しそうな弾んだ声で言う。俺の周りには5歳の男の子は居ない、その年の男の子の反応は良く分からないけれども、パニックに陥って泣き叫ばれる可能性は有ったわけで、雄太君の落ち着きぶりは却って頼もしい。
「拙者、人質の小用のために奥の間に罷る次第で御座る」
 谷崎君に聞こえるように大声で言う。それに、幸樹や西野警視正には「直ぐに脱出させる」という裏の意味も込めてある。
「よし、許す。同志として認めるか、否かの瀬戸際である。心して励め」
 谷崎君は大声で言った。谷崎君は背中に挿した包丁のせいで傷が広がっているにも関わらずとても元気そうだ。これも「闇に囚われる」とかいう薬の作用なのかと思ってしまった。
「これから雄太君の身体を窓から放り投げるけれども、地面にはクッションが敷いてあるんだ。だから何も心配ない。僕を信じてくれるかい?」
 雄太君は、少し怖そうな顔をしたけれども、その表情は一瞬にして変わる。この年の男の子はこんなに表情が豊かなのかとヘンなことで感心してしまう。
「うん、お兄さんを信じる。それにね、ここは一階だよね?だったら大丈夫だよ」
 雄太君は健気に笑ってくれている。俺を信じてくれているのがアリアリと分かる笑顔に束の間癒される。
 奥の部屋に入って、窓ガラスへと近づいた。
「少し様子を見てみるから、俺……いや、僕の身体から離れて欲しい」
 雄太君に宥めるような笑顔を繕った。
「う……ん。でも怖いよ……」
 雄太君は本当に心細そうな表情を浮かべている。もう少しで泣きそうな雰囲気だ。
「じゃあ、お兄さんと手を繋いでおくっていうのはどう?左手なら大丈夫だよ?」
 右手はガラスの様子を確かめないといけない。雄太君に泣き出されたら谷崎君は様子を確かめにこの部屋に入って来るだろう。幸樹は「同志」扱いをされているが、谷崎君の精神状態がまともではない以上、幸樹が一緒に入室を許されるか否かは分からないのが現状だ。
 左手で雄太君の手を握って、右手で窓ガラスをそっと押してみると、窓ガラスはガラスとも思えない弱い強度しか保持していないらしく、飴細工のように撓む。これなら雄太君の身体を傷付けることなしに脱出させることは可能だろう。
「お兄さんを信じてくれるね。この窓から雄太君を外に出す。3・2・1の1で窓から放り投げるけど、怪我はさせない。それに警察の人が直ぐに守ってくれるハズだ。お母様にももうすぐ会えるよ?」
 雄太君の手を力付けるように握って、視線を雄太君に合せるように屈んで言った。
 雄太君は、俺を正義のヒーローだとでも思ったのか、こっくりと頷いてくれた。
 俺は雄太君の身体を抱え上げて、「3」と言って窓ガラスに体当たりした。
 ガラスの強度は脆くなっていることは分かったが、予想外のことが起こった。確かに強度は飴細工のようだったが、ガラスの割れる音が部屋中に響き渡った。
「2」
 しかし、音なんて気にしてはいられない。ガラスの外に向かって雄太君の身体を放り投げようとした。
「何事が起こったのか?ガラスが割れる音が聞こえたような気が致すのだが」
 谷崎君の声が近付いて来る。
「拙者が斥候に参ります」
 幸樹の声がした。谷崎君を必死で押しとどめている気配も伝わって来た。というより、幸樹が力ずくで止めているのだろう。もみ合っている気配と、剣呑な荒い息遣いが聞こえてきた。
 幸樹の身が案じられてならない俺は額に滝のような汗をかきながら、抱き上げた雄太君に向かって「1」と言ってから、俺の体重もかけてガラスを押す。
 するとガラスの割れる音はしたけれども、内心心配していたようにガラスの破片が飛び散ることもなく、雄太君の身体は窓の外に消えて行った。
 俺は一仕事を終えた充実感と共に額に流れている汗を拭った。ガラリと扉が開いた。
「池上、よくも余を裏切ってくれたな」
 部屋の様子を見れば、人質は居なくて、ガラスが割れているのだから、俺が逃がしたことは誰にだって分かるだろう。谷崎君は背中の包丁を抜いて部屋に物凄い勢いで入って来た。その後ろを幸樹が覚束ない足取りで追って来る。
(どうして谷崎君には強力な睡眠薬が効かないのだろう?)
 脳裏にその疑問が浮かんだが、それも一瞬のことだった。
 俺の目の前に銀色に光る包丁が谷崎君の怒りを体現しているようにギラギラと光っている。
(刺される!!)と覚悟を決めて、本当は目を閉じてはならないのだろうけど反射的に目を閉じてしまった。






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