「僕の名前は、池上遼って言うんだ。僕の名前は何て言うの?」
 谷崎君に聞こえるようにワザと大きな声で言った。
「そのような悠長な会話を致している場合ではないことを心得よ。良い日本人は煉獄に落ちた日本人のみであることを忘却したのでは有るまいな?池上は同志としていささか甘いのでは有るまいか?」
 谷崎君の怒声が聞こえると、雄太君ばピクっと震えて、リンゴジュースを感心にも床に置いて俺の胸に縋りついた。
「犯人、怖い。『れんごく』って何?」
 高目の体温を保ったまま俺の胸に顔を埋めた。宥めるように背中をゆっくりと撫でる。
 谷崎君が「煉獄」という子供には分からない言葉を――恐らくは無意識なのか、衒学趣味というか、昔の言葉で話さなければならないという義務感(?)なのか知らないけど――使ってくれたことに「は」感謝した。
 五歳の雄太君だって「死んだ」とか「地獄」という言葉は知っているだろうから。でも、何で時代劇風の言葉を使っているんだろう。その方が威厳が有るとでも思ったのかな。
「大将殿に奏上致す無礼をお許しください」
 幸樹の少し元気のない声が気に掛かった。もしかして、警察が用意した薬の効果が出始めているんじゃないだろうか?いつもは凛とした話し方なのに。
「うむ、許す。言うてみよ」
 谷崎君の声の方が張りも有って大きい。幸樹よりもたくさん摂取したハズなのに、この差は一体何なんだろう?
「人質を脅かすだけではなく、こちらの思想に染めるという方法も御座いますれば、不肖の池上もその方法を思いついたのではと存じます」
 幸樹の言葉にはやはり元気がない。必死の力で話しているって感じだった。
「高寄殿と申したかね。ちと疲れているようにお見受け致す、別室で――と申しても生憎ながらこの近辺に別室は御座らぬ。お近くの御屋敷を我がフ○テレビの力で拝借して休んでは如何と心得申すが如何かな?」
 西野警視正も心配そうな声で言っている。俺は幸樹の声を聞くだけだけれども、玄関の外にいる幸樹や西野警視正、そして谷崎君には幸樹の不調が目に見えているハズだ。
 幸樹が睡眠薬の効果で眠ってしまったら、確実に谷崎君は警戒する。それを予防するために西野警視正はそう提案したに違いない。
 幸樹が言ったのはストックホルム症候群とかってヤツだ。確か「踊る○捜査線」の映画で観たことが有る。ただ、あれって、大人でないとダメなんだけど、幸樹は故意に伏せているに違いない。
「同志、高寄の説得力の有る意見具申は尤もだ。なるほどな、我らの同志を幼い内から作り出すという卓越した思考、余は感嘆の思いを禁じ得ない。なるほど、天晴れな作戦じゃ。池上もそこそこには知恵が回ると見ゆる。同志、確かに顔色が優れないが大事ないか?」
 俺は先に谷崎君の方が倒れると思っていた――だって、摂取した睡眠薬の量は幸樹とは段違いなのだもの――なのに、幸樹の方がより利いているのか、それとも、ずっと俺のせいで振り回していたツケが回ったのか、幸樹の方が弱弱しいのが気になった。
「普段からの鍛え方が足りず、申し訳御座いませぬ。今、拙者が戦線離脱すれば、人手が足りなくなることは必定。願わくば、最前線に留まることを大将殿にお許しを賜りたく存じます」
 いつもは立て板に水といった感じで涼やかに話す幸樹とは違って何だか苦しそうだ。
 俺は胸の中にいる雄太君に小さな声で告げた。
「犯人には絶対内緒だよ?それに驚いたフリもしてはいけないし、大きな声を出してもいけない。お兄さんとの約束は守れるかい?」
 胸の中の雄太君だけでも無事に外へ出したい。俺の身に替えてもそれだけは実行しなくてはいけない。
 雄太君が無事ならば、谷崎君にも情状酌量の余地は出て来るだろうという理知的判断も有ったけれども、胸の中で震えている小さな身体を無事にお母様を始めとするご家族の手に戻したかった。
「うん、お兄さんの言う通りにするよ?だって『正義の味方』って感じがするもん。でも御母さんと観ている『仮面ラ○ダー』の主役って、お兄さんみたいな人ではなくて、玄関に居るあの人みたい。
 でも、お母さんは『あれは作り物だから』と言っていた。きっとお兄さんが『仮面ライ○ー』なんだね?」
 玄関に居る人、と言って雄太君が指を指したのは言うまでもなく幸樹だ。ネットニュースか何かで見たけれど、子供向け番組はお母様がどの番組を観るのか決める場合が多いので、イケメンが起用されるらしい。『仮面○イダー』シリーズで一躍有名になった俳優さんも多いと書いてあった。
「うん、あれは作り事だから……でもあのお兄さんも正義の味方だよ。現に犯人がこの建物に入って来られないように頑張っている。
 実は、もう警察は動いている。そして、雄太君を助け出そうとこっそりと奥の部屋の窓ガラスに細工――細工って分かるかな?」
 「警察」と聞いて雄太君の瞳が輝いた。この位の子供にとっては警官も正義のヒーローなのだろう。
「うん、分かる」
「大きな声でね、『トイレに行きたい!!』って叫ぶんだ。それは出来るね?
 そうすれば僕は奥の部屋に連れて行く口実が出来る。奥の部屋の窓ガラス、見た目は普通のガラスなんだけど、雄太君が凭れかけると開くようになっている。
 僕は、そのガラスに雄太君の身体を押し付けて――もしかしたら痛いかもしれないけど、我慢してくれないか?そんなに力は入れない積りだけど、どれくらいの力加減なのかは僕にも分からないので、すごく痛いかも知れない。それでも我慢出来るかい?
 裏口には警察官が隠れている。その人達に痛いところが有れば、病院にも連れて行って貰えるし、お母様にも会える。だから我慢して欲しい。出来るかな?」
 雄太君は真剣な表情で俺の言葉を聞いていた。聞き終わって天真爛漫な笑顔を見せてくれた。
「うん、僕も頑張るよ。お兄さんの言う通りにすれば母さんに会えるんだね?じゃあ、平気だ」
 小さな声で言うと、無邪気に微笑む。
「お兄さん、トイレがしたい。もう漏れそう……!!」
 雄太君は泣き声混じりで俺に訴えている。5歳の子供の演技力ってこんなに凄かったっけ?まさか、本当にトイレに行きたいのでは?と顔を覗き込むと、ピンク色の舌を出して余裕の表情だ。
「同志、いえ、大将殿、ここでお漏らしをされると、臭いがこもって大変なことになると心得まする。トイレに行く許可を頂きたく伏してお願い申し上げます」
「うむ、確かにそれは一大事じゃ。ところでトイレの場所は存じておるか?」
「大将殿の御明察通り。確か奥の間に有ったと心得ます」
「では、そちに命じる。奥の間のトイレに連れて行き、つつがなく小用をさせるのじゃ。分かったな」
 谷崎君の声は相変わらず、根拠のない自信に満ち溢れている。ということは幸樹も睡眠薬で眠ってしまったということはなさそうだ。
 俺は雄太君を抱いて奥の間に入った。窓ガラス自体には変わった点はないけれども、ちらっと見えたのは機動隊員が三人――だろう――と、地面に敷き詰められたクッションと思しき布地だった。
 俺の役目は、この上に雄太君の身体を無事に落とすことだ。責任の重さをヒシヒシと実感し、雄太君が首に抱き着いてくれているのを良いことに手足を動かしてみた。



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