「先ほど、そちが申しておった人質の解放は、奸智に長けた日本人を相手にする以上いささか拙速ではないか?」
 谷崎君は貧血気味で真っ青な顔なのに、目は精神に障害の有る人――といっても俺が見たのは、掛かり付け医の菊地先生のクリニックの患者さんだけで、菊地先生が「入院の必要有り」と判断した人は数人しか遭遇していない。でもその人も谷崎君ほど酷くはなかったけれど、こういう目をした患者さんを見たことがある。
 谷崎君に薬入りのコーヒーを差し入れるために少し離れた位置に居る幸樹の様子をそっと見る。
 「まだ」大丈夫みたいだ。幸樹が具体名を挙げた薬の作用は5分から効き目が出るという。
 西野警視正が居るので現場の混乱はないにしても、この二人の絶妙のコンビネーションで今まで交渉を続けることは紛れもない事実だ。これで、幸樹が最短時間の5分で寝る――いや、谷崎君から見れば暗殺されたと勘繰ってしまうかもしれないそうなれば――万が一、普通の精神状態だと仮定すると「同志」と谷崎君は勝手に思っている幸樹が殺されたと勘違いしてしまう。その後の爆発というか暴発は想像するだに恐ろしい。
「奸智に長けた日本人、御高説は尤も至極で御座います。私もマスコミ業界という卑しい世界の人間ですが、それ故に色々な情報が入ってくる立場で御座います。
 で、大将殿の英知に満ちたご決断をお聞かせ下されば恐悦至極に御座います」
 西野警視正は幸樹に一瞬心配そうな視線を流して、元の時代劇テイストの言葉に戻った。こういう言葉遣いが谷崎君のお気に入りのようだ。ただ、北の独裁者の国が「地上の楽園」と信じているかには、日本の時代劇なんて馬鹿馬鹿しくて観ていられないと思うのだけれども。でもそういう矛盾とか滑稽さを感じさせないように「闇に囚われる」薬は調合されているのかも知れない。
「余は、この玄関とその次の間にのみ入らなかったが、『啓示』が下りて来る前はこの道を通ったことは数知れない。奥にも部屋が存在する可能性は充分有る。そこに『生きている、そしていずれは大人になって我が国に攻めて来る兵士となる危惧が高い日本人』をこの際、一人でも多く粛清するのが我々の役目だ」
 カフェオレの糖分が喉を滑らかにしたのか――ちなみに胃の中に入ってしまえば栄養分として吸収されてしまうのは中学や高校で習った範囲なのだけれど。ああ、糖分摂取で頭の回転が良くなったのかもしれない――何だか饒舌になっている。
「では斥侯―――せっこう――として。池上遼君に様子を見に行かせますか?高寄君は大将様の、畏れ多いことにコーヒーを賜った身分です。それに与れない池上君は一兵卒に変わりがないと愚考する次第です」
 西野警視が俺にしきりに目配せをする。5歳の子供の体力は一人っ子で、従兄弟の世話をしたことがないので確実なことは言えないけど、大人よりも体力がないというくらいの知識は有った。
「その言や、よし。それに今は大人しく眠っているが、泣き先ばれても困る」
 時代劇調から、漢文の世界に入ってしまった言葉にほんの一瞬当惑する。受験生時代は読むだけだと信じて疑わなかった言葉が目の前で交わされているのだから。
「たた、池上は正式に同志として認めたわけではない。高寄のように同じ飲み物を飲んだわけではないからな……」
 幸樹が睡眠薬を飲んだのはきっと何か理由があってのことはないかとフト思った。
「大将殿に申し上げます」
 幸樹の凛とした声が辺りに響く。
「『奸智に長けた日本人は、幼くても年を取っても殺せ』というのは卓越したご意見で大変感服致しました。
 ただ、同じ杯から――この場合は代用品として缶を使いましたが――飲む行為は、同志というよりも、『上位または同じ地位』を表す場合が多いのです。臣下には別の杯を用意するというのが『地上の天国』のしきたりと仄聞致しております。大将殿はそれをもちろんご存知の上、私には杯代わりの缶を賜ったのかと思った次第です。同志池上の徳はまだ未だで御座います。もう少し手柄を立ててから臣下とまでは申しませんが、別の杯の代用品をご用意なされてはと愚考する次第で……叡智泉のごとしの大将様には要らぬ差し出口を申し上げました。平に寛恕戴きたくお願い申し上げます」
 幸樹は谷崎君のPCのデータや谷崎君のお母様から「北の独裁者」の国について全く詳しくないという確証を持っている。それに、テレビで「振り込め詐欺師の実態」とかいう番組を観ていた時、「相手(被害者)が自分(犯人)よりも知識が有って、偉い人間だと思い込ませることが鉄則だ」とか言っていた。その時は「ふーん」と聞き流して居たけれども幸樹が今言っていることはまさにその実践版だ。
 幸樹が飲んでしまったコーヒは俺に処方されているものとは全く違う(どう違うかバリバリ文系の俺には分からないけど)ものなので、参考にはならないかもだけど、菊地クリニックには2週間分のお薬を一気に飲んでしまった――もちろんワザとだ――患者さんも受診に訪れることが有る。その患者さんは酔っぱらった人みたいに呂律が回らなくなってしまうことは知っていた。幸樹の薬がもし同じ効果を発揮するなら「まだ」その効果は発揮していない。いつもと同じ滑舌だったのだから。
「ではこうしてはいかがでしょう?幼いとはいえ奸智に長けた日本人ですので、油断は禁物です。池上に栄養補給――人質として価値が有る間は生かしておく方が肝要かと――兼斥侯として、奥の間に入る捨て駒としてお使いになられては?」
 幸樹の凛とした声で「捨て駒」と言われたのは、理性では納得出来ても感情的に傷ついた。
「た、大将殿、恐れながら申し上げ奉り候。拙者に斥侯の役目をお申し付け下されたく。身分の違いは重々承知の上でござるが、拙者は何故か子供には懐かれ候がゆえに。水分補給も必要でございまするゆえ」
 俺も時代劇の真似をしてみたけれど、「なんちゃって時代劇」になってしまう。
「よし、汝に申し付ける。奥の間に入って人質の様子を十全に観察せよ。人質が死んでおれば致し方ない仕儀と心得るが、生きて人質の任に堪え得ると判断した時は、『生かさぬよう、殺さぬよう』に快方致すのじゃ。しかと心得よ」




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