有吉さんのお母様はまだ念のために病院に残ることとなった。
「宜しくお願い致します」
 笑顔を取り繕う有吉さんのお母様はとても痛々しくて見ていられなかったけど。幸樹は有吉さんのお母様の携帯番号を俺のスマホに登録するように頼んで来た。どうやら、幸樹のスマホはバッテリーの消耗が早くなってしまったようで。
「こんな時に申し訳ありませんが、裕子さんの遺書の筆跡はいつもと全く同じですか?何か違和感は有りませんでしたか?」
 幸樹が沈痛かつ怜悧な表情でお母様に確かめている。
 俺は全く意味が分からずに――だって、お母様は「有吉さんの筆跡に間違いはない」と言っていたのに――西野警視正と顔を見合わせる。西野警視正も怪訝な顔をしている。
 吉永看護師に跡を託して、病院を出た。病院の駐車場に停めっ放しになっていた俺の母さんのベンツに乗り込む。
「で、幸樹君。今から直ぐに大学に向かうのかな?」
 西野警視正は珍しく躊躇いがちな表情だ。
「ええ、上野教授が関与している可能性が高い以上は、心の準備が出来ていない、なるべく早いうちに……不意打ちを掛けるのが一番かと思いますが?」
 幸樹は、もしかしたら大野さんに貰った腹痛の薬にも薬物混入の可能性に気付いたのかも知れないなと思ってしまう。俺は幸いなことに、ニンニクは食べるフリをして捨ててしまったし、上野教授がメインで混入したと推測しているワインを呑んでいないことを幸樹も充分知っている。
 俺が気付けることは当然、俺よりも物凄く頭の回転も速いし記憶力も良い幸樹ならばなおさらで。
 心なしか幸樹は焦っているようにも感じられる。気のせいだったらとても嬉しいのだけれども。
「まぁ、そうだろうな……。ちょっと失礼」
 西野警視正は携帯を持って、俺達から離れて行く。当たり前なんだけど、西野警視正はこの場における警察のトップだ。
 本来ならば現場となった姫神池にずっと指揮官として居続けるのが普通だろう。もしくは、署長室でふんぞり返って部下の報告を聞くだけで充分な人なんだ。それなのに、俺達に付き合って色々と便宜を図ってくれている。幸樹のお父様の元部下という義理だけではなさそうだ。キャリア官僚としてもとっても有能な人だろうけど、捜査が好きで加わってくれているのかも知れない。

 携帯電話で話し込んでいる西野警視正を遠くに見詰めながら、俺達は車の傍で佇んでいた。
 秋の気配がそこはかとなく感じられる風が肌に心地よいけれど、俺の気持ちは沈みがちだ。
 あんなに美人で性格もとても良かった有吉さんが亡くなったということも重く心に圧し掛かってはいたけれど、それ以上に幸樹が腹痛の薬に混入されたかもしれない「闇に囚われる、得体の知れない薬物」を摂取した可能性を考えると、目の前が真っ暗になる。こんなに緑が豊かで風は気持ちが良い場所で……今はかけがえのない幸樹と二人きりだというのに、ちっとも心は晴れない。
「大丈夫か?何だか顔色が悪いぞ?もし何なら、先に家に帰っていたらどうだ?オレと西野警視正だけで大学に……」
 幸樹が眉根を寄せて、俺の顔を心配そうに窺っている。
「ううん、大丈夫……。俺だけ仲間外れなんて酷いよ?」
 きっと、今の俺の顔はぎこちない笑顔にしかなっていないだろうなと思う。
「そうか?」
 そっと辺りを見回して、幸樹は俺の指をそっと握った。
「大丈夫、遼のことは守るから」
 「は」って何だよ?と思う。俺達二人「も」と言って欲しかった。でも、そんなことは怖くて口には出せない。
 西野警視正が通話を終えた様子で足早に近付いて来た。
「待たせたね。部下に色々指示を出さないといけない立場なので」
 幸樹は「大変ですね」と言いながらも、何かを考えている様子だった。
「それで、現場を留守にして大丈夫なのですか?責任者ですよね?」
 幸樹は勝手知ったる様子で俺の母さんのベンツのドアのロックを開錠している。
 西野警視正は飄々とした雰囲気を取り戻している。
「いや、どうせお飾りの指揮官さ。ウチの部下は、上司である私の薫陶が行き届いて、皆優秀だからね」
「本当ですね」
 以前の山田巡査のこととか、ボートの手配なんかを思い出して相槌を打ったのだけれども、西野警視正は拍子抜けした表情を浮かべた。
「冗談だよ?ここは突っ込みどころ。遼君は関西出身なのに、ボケとツッコミは苦手かな?」
 助手席は西野警視正に譲って、俺は後部座席に座った。きっと今の幸樹は西野警視正と話したいだろうから。バックミラー越しに、幸樹の不満そうな眼差しに、俺の行動は間違っていたかもって思ってしまう。
 幸樹と二人きりなら迷わず助手席に座るんだけれど。
「幸樹君は筆跡のことを気にしていたね?あれはどうして?」
 幸樹は器用に車を混み混みの駐車場から脱出させている。
「いえ、筆跡学の本を読んだことが有りまして……筆跡と言っても、心理状態が反映されますよね?それで少し気になっていて」
 なるほどなっと思ってしまう。急いでいる時は走り書きになってしまうし、そういうのも心理状態の現れなんだろう。
「それで?有吉裕子さんの遺書に不審な点は?」
「ないですね。あれが彼女の普通の筆跡なら、書いていた時には通常の心理状態かと」
 いつもの怜悧かつ冷静な幸樹の口調に少し安心する。
 見慣れたキャンパスが近付いて来た。大学のシンボルである時計台はいつも通り綺麗だったけれども、何だかとても悲しそうで混乱した趣きも漂わせているのは俺の心理状態の反映だろう。
「法学部近くに路駐しよう」
 夏休みだからこそ出来ることだ。講義が行われている時は、遠慮なく駐車違反の切符が切られる。ただ、西野警視正が居るので、お目こぼしは有るかも知れなかったけれど。
 正面玄関から入ると、法学部まではかなり歩かなければいけない。俺の顔色が悪いことを慮っての幸樹の発言だろうと、俺は密かに感謝した。




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