幸樹はどんな深刻な考え事の最中でも俺のことは視界からは絶対に外さない。ただ、俺の懸念までは多分読み取れなかったハズだ、多分だけど。
 幸樹は勿論俺よりも頭の回転は速いし、自分で気付いているかも知れない。でも、解毒薬が無ければ、薬を体内に入れてしまってはどうしようもないことは、入院しても症状が改善されなかった有吉さんの例で充分過ぎる程分かっている。
「どうぞ」
 西野警視正が慌てて――多分、ここが病室だということを再認識したに違いない――タバコの煙を窓から追い出そうと無駄な抵抗を試みながら言った。
「吉永です。有吉様のお母様の点滴が終わりまして……院長が指示を承るようにと」
 彦根院長は、よほど、訴訟とか法律のことを気にしているのだろう。多分、吉永看護師は、実は入院患者でも何でもない有吉さんのお母様に付っきりだったのだろう、院長先生の指示で。
「そうですか……お話ししても構いませんか?それとも安静になさった方が良いのでしょうか?」
 幸樹と西野警視正は有吉さんの本当の遺書をキチンと回収していた。キャリア官僚なのに、何故か持っていたジッパー付きの透明なビニール袋――良くドラマなんかで刑事さんが証拠品を入れているヤツだ――に入れて、今は西野警視正のスーツの胸ポケットに入っている。
「院長が申すには、もうお話ししても大丈夫とのことなのですが……それに、有吉様もそう望んでいらっしゃいますし」
 タバコの臭いを気にしたのだろうか?西野警視正はドア越しに言った。いや、証拠品を回収したのが拙かったのだろうか?でも、あの遺書は幸樹と俺へ宛てて書かれたものだ。「是非見せろ」と言われたら仕方なく見せるだろうが、お母様に見せても余計に悲しませる結果にしかならないような気がする。
「済みません。ここは当然、禁煙ですよね……?」
 そう言いながら、西野警視正はドアをスライドさせた。
「ええ、病院ですから当たり前です。ただ、患者さんの中には隠れて吸う方もいらっしゃいますが?」
 病院は絶対に禁煙だと思っていたのに、予想外の言葉だった。それに入院患者さんがどうやってタバコを手に入れられるのか謎だ。街の中に有る、外科の病院だったらその辺のコンビニでタバコくらいは買えそうだけど、こんなに山の中の敷地の広い病院で、しかも出入りは厳しくチェックされているのに。
 吉永看護師は有吉さんのお母様を車椅子に乗せて、扉の向こうで端正な趣きで佇んでいる。
「済みません……矢張り、ニコチン依存症というのは厄介なモノでして……それにこんなに若い綺麗なお嬢様がこんな目に遭われたのも遣り切れない思いで一杯です」
 西野警視正はバツの悪そうな顔をして、有吉さんのお母様に丁重に頭を下げる。
「いえ、私は吸いませんが、主人――今はあいにく海外に出張中ですが――は吸いますので大丈夫ですよ。それよりも娘がとんだご迷惑をお掛けして申し訳ございません。ところで、娘の……」
 精神安定剤が効いているのか、しっかりとした口調の有吉さんのお母様が気にするのはやはり有吉さんの遺体がどうなっているのか……だろう。ただ、「遺体」というある意味残酷な言葉は口には出せないようだった。
「実はですね……形式的なものでは有りますが、この病院でお亡くなりになられたわけでもなく、吉永看護師もご覧になったと思いますが、『溺死』とも『自殺』とも判定出来ない状態でした。それに、警察官の端くれである私も職務ですので……『不審死』扱いにせざるを得なかったことをお詫び申し上げます」
 車椅子に向かって、西野警視正が深々と頭を下げた。
 俺は面食らって見ていたが、幸樹は静謐な表情に悲しみの色を加えて有吉さんのお母様を見詰めているだけだ。
 と言っても、K署の署長というポジションに居るれっきとした社会人かつキャリア官僚の西野警視正と比較すると、幸樹と俺は有吉さんの大学の友達という身分に過ぎない。
 出過ぎたマネは慎むべきだと幸樹は判断したのだろう。幸樹の判断に間違いはない。
 有吉さんのお母様は、予期していたのか諦観を感じさせる表情だった。染め遺した白髪がとても気の毒で見ていられない。
「そうですね……こちらの病院の監督不行き届きではないということは、院長先生からも重々お伺い致しました。
 それに、裕子のあの服装は、覚悟の上で病院を抜け出したのも分かります。この物騒な世の中ですから……裕子が自ら死を選んだのか、それともどこかの不埒な人間が劣情を催したのか分かりません。ですから、西野警視正のご判断は正しいと考えます。是非、裕子の死因は究明して戴きたいと思います。だた、この病院はそういう目的の病院では有りませんよね?しかるべき病院に搬送されたのでしょうか?」
 押し殺した悲しみがお母様の無理に作ったと思しき笑顔から卵の殻を少しだけ割ったように零れ出てくる。
「はい。これも職務の一環ですので……K戸大学へと部下に命じて搬送させました。何卒ご理解戴ければ幸いです。お辛い気持ちは重々お察し致しますが……
 西野警視正に丁重に頭を下げると、お母様は幸樹と俺の方に視線を向けた。
「高寄君や池上君――いえ、本当は『君』付けするのも心苦しいのですが……には本当に良くして戴いて……裕子もきっと、天国で喜んでいるでしょう。本当に有り難うございました」
 悲しみを押しこそし損ねた涙が両目から噴き出す勢いで滂沱と流れている。
「いえ、力が及ばず、こちらこそ申し訳なく思います」
 幸樹が深々と頭を下げる。俺も慌ててそれに倣った。
「裕子は、大学生活をとても――勿論、このような状況になる前ですが――楽しんでおりましたし、憧れのキャンパスで学生生活を送れたことを喜んでおりました。
 大学の構内にはチャペルが有りますよね?そこで結婚式を挙げることが出来ればと、生前良く申しておりました。
 もう、その望みは露と消えてしまいましたが……せめてお葬式という形であのチャペルを使えないものなのかと思いまして……」
 有吉さんのお母様は切実極まりない表情と口調だった。
 大学のチャペルは正面玄関を入った場所に有る。それから学部ごとにも存在するけれども、お母様の望んでいらっしゃるのは、正面玄関を入ったところに有るメインのチャペルなのだろう。
 幸樹と俺は、お母様の望みは叶えて差し上げたいものの、具体的な方法は思いつかないので顔を見合わせた。
「失礼ですが……」
 西野警視正が控え目に声を掛けた。そう言えば西野警視正は俺達のOBだ。きっと何かを知っているに違いない。幸樹と俺は大学のチャペルで講義のない日曜に結婚式が行われているのは知識として知ってはいたが、まだ参列したこともない。こうなれば西野警視正の知識だけが頼りだ。
 幸樹と俺、そして有吉さんのお母様の視線が西野警視正に集まった。




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