「お待たせしてすみませんが、お隣から救急箱をお借りしてきましたから直ぐに消毒して……ってあれ?マキ〇ンとかではなくって、消毒の効能が有るのは……」

 呉先生が確かめていたハズなのに、救急箱の中に肝心の消毒液がないことに気付いた。

「マーキュロクロム液、つまり赤チンしかないのですが、ま、消毒効果は確かですからこれで我慢して下さいね」

 赤い色が皮膚につくので嫌がる人も多いと聞いているが、森技官の患部は手なので、事務職もすると聞いている彼は赤いインクが手につくことだってあるだろう。

「え?マーキュロクロム液ですか?水銀が含まれているので身体に悪いかと思いますが……。ウチの省でも禁止の方向で動いていていますよ……」

 森技官は最後の抵抗といった感じで言い募っている。赤チンは病院では使用しないのでそんなに詳しくはないものの水銀が入っていたのも知らなかったのも事実だったし。まあ、森技官の場合は処置の際にはどうしても痛みが伴うのを嫌がって、子供がダダをこねるような感じでその「時」を一瞬でも遅くしたいだけなのかもしれない。小学校の時に注射を嫌がって最後尾に並ぶクラスメイトが確かにいたし。ま、最前列に並ぼうが最後だろうが注射をされることには間違いがないので無駄な努力といえばそうだったが。

 救いを求めるように最愛の人を見てしまった。祐樹だって子供の時は赤チンの使用率は多分平均値よりも高いだろう。しかし、健康被害はない模様だ。ただ、そういう体験談よりも森技官に効果的なのはエビデンスに基づいた証明だろう。

 更に顔色が悪くなった森技官は救急箱に入っていたピンセットを最愛の人の細く長い指で器用に扱って赤チンを脱脂綿に含ませているのを見ている、恐る恐るといった表情で。

「確かに水銀は含まれていますが、厚労省が禁止したのは悪用を防ぐためと赤ちゃんとか子供が誤飲する恐れがあるからですよね?

 皮膚に塗ったくらいでは大丈夫です。それに量は最低限に抑えますから。

 それよりも皮膚から雑菌が入って化膿してしまってさらに外科的な処置が必要になってしまうリスクとか、さらに申し上げれば破傷風になってしまう可能性もあります。

 森技官は盆栽とかお庭の手入れなどで土に触る機会も多いですよね?破傷風菌はご存知のように土壌の中に存在します。知らず知らずのうちにそれが手に付いていて、ケガ口から入り込んだほうが危険ですよ」

 淀みない口調と怜悧かつ親身な口調に森技官は広い肩を竦めていた。祐樹の感謝の眼差しに最愛の人は唇にちらっと笑みを浮かべてくれた。

 森技官の顔色はもっと青くなっていたが、なんだか覚悟を決めたような眼の光だった。

 ――覚悟を決めるも何も、たかだか赤チンを塗布するというだけのことだが、森技官にとってはそれが物凄く重大な決意をしなければならないものらしいのも呆れてしまったが――

「教授も田中先生もお忙しい時間を割いてお前の大したことのないケガの手当てをして下さるんだぞ?

 なんなら手先の不器用さには自信がある、オレがしても良いんだが……。オレだって一応医師免許は持っているし…といっても自慢じゃないが、学生時代の『外科臨床』とか『実技』とかは全て『可』で揃ってしまったけどな。

 実技ではなくて知識分野は全て『優』だったのが我ながら才能を感じる」

 ちなみに大学の時の成績は優・良・可・不可で、不可だった場合、単位は貰えない。それに大学病院に残るためには成績も評価の対象なので呉先生は多分精神科関係の成績が全て「優」だったのだろう。

 不器用なのは知っていたが、外科の成績がそんなに悪かったとは知らなかった。

 といってもこの程度のケガは医師免許がなくても――厳密には法律違反だが――手当てをすることくらいは皆がしているし、この程度で病院に来られたら迷惑するだろう。クリニック的には儲かるかもしれないが、他の患者さんを待たせることにもなるし医師だって内心(この程度でウチに来るな)とか思ってしまいそうだ。

 祐樹は救急救命室でも働いているが、大学病院でなくても対応可能な症例でも「来る者拒まず」の名物ナース杉田師長の鶴の一声で決まってしまう。だから比較的軽症な患者さんも搬送されて来るのは事実だが、森技官の些細なケガの場合は救急隊員がケガを見て乗せないレベルだろう。

「……うっ……それは……」

 森技官が痛いところを突かれたように絶句している。呉先生の不器用さを最も知っているのも恋人として一緒に暮らしている森技官だろうから。

「教授、ピンセットと赤チンの瓶をこちらに下さい」

 最愛の人は戸惑ったような表情で祐樹を見ている。

 呉先生は脱脂綿が吸収不可能になるのではと思う量の赤チンをダボダボっと含ませていた。何だか血液を彷彿とさせるような感じだった。

 まあ、見慣れている祐樹や最愛の人だとその人工的な感じの赤い色で血液ではないと判別出来るだろうが、それほどではない人は錯覚してしまうかもしれない。

 案の定森技官の顔色がスッと青くなっていく。

「吐きそうです……。

 分かりました。決死の覚悟を決めましたので香川教授宜しくお願いいたします」

 本当に嘔吐しかねない勢いだったので、念のためキッチンのシンクに有った洗い物の桶(?)を洗面器代わりに使うことにする。

 決死の覚悟……この程度のケガの手当てに決死の覚悟が必要ならば祐樹は幼い頃に野山や海岸を駆け回っていて数えきれないほどの「決死の覚悟」とやらを決めなければならないハズだったがそんな悲愴な覚悟など一度もした覚えがない。

「すぐに済みますよ。赤チンは消毒薬よりも神経を刺激しない作用があるのでこの場合はこの選択の方が良かったかもしれませんね」

 本当に怖いのだろう、森技官は明後日の方向を向いた上に目を瞑っている。




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最後まで読んで下さいまして誠に有難うございます。

ネットでまことしやかに囁かれていた、7月11日の地震がなくて何よりですね。まあ、あまり信じていませんでしたが。

   こうやま みか拝



















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