「ああ、それは名案だな……。ブランデーでも充分だろうが……。森技官はブランデーと消毒薬どちらが良いですか?」

 患者さんの意思が最も尊重されるべき医療を目指している昨今の風潮を慮ったのか最愛の人は森技官の苦悶に満ちた――それほど痛くはないハズだが、床に落ちた血液とかが目に入ってしまうのだろう、人間は見たくないモノを凝視してしまうタイプの人も居るらしいがきっと森技官もそういう人種なのだろう――顔を怜悧かつ温和な表情で見ていた。

「ちなみにテープはテープでも、セロテープしか発見出来ませんでした。脱脂綿に至っては未だ発見出来ていないですね。

 女性が居る家ならば生理用品で代用は出来ますが、そういうモノは置いてないでしょうし……」

 セロテープでもガムテープでも見た目さえ気にしなければ充分過ぎるほどの代用品になる。しかし脱脂綿の場合は男性しか住んでいない家にはテッシュくらいしか思いつかない。

 そして森技官の場合は見た目を物凄く気にするタイプなのも知っていた。

「――玄関を出て右手のお隣さんとは親しくさせてもらっていますし、奥さんが几帳面な方なので多分救急箱も常備されていると思います。

 俺の恋人と一緒に行けば救急箱ごと貸して下さると思います」

 なんだか意識を失う前の患者さんといった風情で森技官が弱弱しく唇を動かしている。

 末梢血管が切れただけでこのような醜態を晒すのだから、動脈を縦に、つまりは切断面が広い上に出血もけた違いだ――スッパリと切った時にはそのショックで失神するのではないかと思われる。

 血液や内臓が苦手と以前から聞いてはいたものの、この人が実家の産婦人科を継がなくて本当に良かったと思ってしまった。

「分かりました。呉先生は多分応接室だと思いますので、合流して向かいます」

 応接室の飾り棚には高価そうなブランデーが並んでいたのを覚えていたので、呉先生はそこに行っているだろう、多分。

 お酒を置く場所は祐樹達が今居るキッチンか――といってもワインセラーなどは見当たらなかったし、ビールや白ワインを冷やす冷蔵庫くらいしか思い当たらない――インテリアとしても飾れる洋酒の瓶がある応接室の二択だろう。

 まあ、寝室にも冷蔵庫を置いて寝酒を楽しむ人が居るのは知っているが、先ほど入った寝室には見当たらなかったし。

「ではしばらくお待ちください。私の恋人の止血は医学部とか看護学校の教科書に載せたいくらいに完璧なので、気をしっかり持てば大丈夫です」

 普通ならば「気をしっかり持つ」必要もないくらいのケガだったが、そういうことは言わぬが花だろう。

「呉先生、適当なものがなかなか揃わないので、右手のお隣さんのお宅に一緒に行って救急箱を借りるというのは如何でしょうか?」

 応接室をノックしてから開けて、そう告げた。

 飾り棚は大きく開かれているのは想定内だったが、箱と瓶が散らばっていた。しかも瓶の中は空っぽと思しくてコルクを抜いて床に転がっていた。祐樹も空港の免税店とかで目にした覚えのある――そして税金が引いてあるとはいえ余りの値段の高さに驚いて見た覚えがある特徴的な瓶だかボトルだかがたくさん転がっている。

 多分、ボトルの中にブランデーが入っているモノも有るのだろうが――そうでなければいくら動転しているとはいえ呉先生が探すハズはない――呉先生だかご両親だか知らないが、飲み干した後に飾りとして取っておいた分が多いのだろう。

「ああ、その方が早いし確実ですね……。どの辺りが新品なのかうっかり忘れてしまって手あたり次第に箱を開けていたのですが、全部ハズレでした……。

 空き瓶と箱もインテリアの一部になるだろうと亡くなった祖父や父がコレクションしていたのが却ってアダになってしまっていて……」

 呉先生のあぐね切ったような声が悄然と雨に打たれるスミレの花のような風情だった。

「御祖父様やお父様のお気持ちは分かりますよ。こんな高級なブランデーとかウイスキーの瓶とか箱を捨てるよりも飾って置くほうが良いと判断なさったのでしょう。

 見知らぬ他人である私が玄関先で頼むよりも呉先生がいらしてくださる方が話も早いと思いますので、一緒に来てください」

 どうしてものんびりと構えてしまうのは、祐樹が幼い頃あの程度のケガは日常茶飯事だったし、母親に言うのが面倒な時には救急箱から消毒液と傷口にあてがうガーゼとか油紙そしてテープでささっと手当てした程度の傷だったからだ。

 確か小学生の時にはもう既にしていた記憶があるし、祐樹や母はその程度の傷では大騒ぎをしなかったからだろう。

「すみません、呉です」

 玄関チャイムを慌ただしく押している呉先生はそう思っていなかったようだった。

「あらあら、呉先生こんにちは。どうしたの?そんなにチャイムを押すのは珍しいわね……」

 六十代と思しき女性だったが、髪は綺麗に染めて上品な感じにカーブをかけているし痩せているのでもっと若い印象を受けた。

「あ、こちらは病院の同僚というか、いえ科は違いますが……友達で、田中先生です」

 老婦人は祐樹の方をマジマジと見ている。あくまでも失礼にならないような範囲内ではあったが。

「田中先生って、香川教授と共著の本を出された方ですよね?

 『テツ子の部屋』にも出ていらしたわねぇ……」

 そういえばそんなことも有ったなと思わず笑ってしまった。

「はい。その田中です。

 すみませんが、救急箱を貸して頂けませんか?火急に必要になったので。

 そして、呉先生のお宅のでは不十分でして……。うっかり期限が切れているようなものも交じってしまっていましたし……」

 見当たらないとか言ってしまうと「京大付属病院にお勤めの医師なのに……」的なマイナスの印象を与えてしまいかねない。ご近所付き合いをしていない祐樹には実感はないが、こういう地域密着型の住宅街では大学病院並みにウワサの種がフワフワと飛んでしまいかねないことくらいは分かる。

 呉先生はほとほと感心した感じで祐樹を見上げている。



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最近愛猫の「なっちゃん」が誇らしそうにスズメを捕獲して見せに来るという……。
まあ、ネズミじゃないだけマシなのですが、スズメの死体を庭に埋める身にもなってくれよと思う今日この頃です。

    こうやま みか拝






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