「文字通りではない『禅譲』というのが有るのか?禅譲の反対語は放伐だとしか知らないので」
 祐樹は可笑しそうに自分を見ている。輝く眼差しを放つ男らしく整った容貌や、純白の白衣のせいも相俟って何だか太陽神のアポロンに似ているような気がする。
 それほど金銭的にも恵まれた育ちをしていなかったので、その絵本も隣の小母さんが「うちの子は本嫌いなので良かったら聡君が読んで」と貰っていた。小母さんといっても今思えば30歳前半くらいだろうが、幼心には「ものすごく大人」に見えたが、実際近い年齢になると、それほど成長していないような気がする。
 その絵本には太陽神アポロンが描いてあったが――その後に図書室で借りて読んだ大人向けの本には挿絵がなかった――ギリシアだかローマの神様に相応しくゆったりとして、ドレープの多い服をまとっていて髪は金髪だったが。それくらいが異なるだけで、実用的な白衣――アポロンのような服だとそれこそ久米先生に対して祐樹が注意したように高価で脆弱な作りの――技術的には精一杯だのも知っているので文句は言えない――機械を落としてしまうかもしれないし、そもそも機敏には動けない。
 祐樹の手術着姿も大好きだが――特に執刀医を務めている時の凛々しさと自信に満ち溢れた感じが背中にまで漂っている姿――スーツの上に白衣を羽織った姿はいかにも優秀な医師といった感じで、患者さんから頼られて慕われるのもよく分かる。
 そんな祐樹の太陽の光にも似た眼差しを受けながら食事を摂る喜びで、心の海の泡からビーナスが誕生してくるのではないかという、あり得ない錯覚を抱いてしまう。
「病院長選挙の場合は、それまで教授会で対等の立場の人間でしたよね。そして教授会でも、昔は潤沢にあったらしい政府のお金の配分をめぐって教授が少しでも自分の医局に予算を割いて貰いたいと思うのもある意味当然ですよね?貴方だって、独立採算制ではなくてお金が分配される仕組みだったら、自分の医局に多くの予算を割いて欲しいと思うでしょう」
 国家予算の配分について各省庁が水面下で「仁義なき戦い」をしていることを和泉技官――森技官は呉先生のお屋敷から近い大阪で普段は仕事をしている。大阪と京都は関西に縁がない人は知らないだろうが、JRだと20分、阪急だと40分だ。もちろん駅から駅への所要時間なのでドアツードアは異なるだろうが。和泉技官と藤宮技官――柏木先生の奥さんの従姉妹だ――が霞が関に常に控えていてくれる。特に藤宮技官は、森技官の命令に絶対服従するという女性で、東京での「間違い」がないかぴったりと自分に付き添ってくれている。以前厚労省のナンバー2に料亭に誘われて唇を奪われたアクシデントに遭って以来。
「ああ、森技官からも国家予算の配分について各省庁が仁義なき戦いを繰り広げているということは聞いたことがある。
 つまりはそれの小型版というところか?」
 そういう争い――森技官が最も得意とする、弱みを握って黙らせるとか、決して大火事にはならないように気を付けた不祥事の小火をマスコミにリークさせるとかそういう「森技官が」水を得た魚以上に活き活きと動く大好きな業務だと聞いている。
 それに、今では考えられないことだが、パワハラとかモラハラなどの概念すらなかったし、愛人の存在は男の甲斐性だとも考えられていた。
 ただし、それが表沙汰にならなければという前提がつくのは言うまでもない。
「祐樹、あの手この手で競争相手をけり落とすという点については分かったが、それは教授会を囲んでいるメンバー同士の争いで、病院長兼医学部長はそこにどう絡んでくるのだろうか?」
 今までまるっきり他人事だった病院長選挙に臨むと決めた――本音は病院改革よりも祐樹の教授になった姿が見たいだけだが――自分を蹴り落とす材料は、考え付く限り一つしかない。
 祐樹との真実の関係を暴露されることだ。
 同性、しかも部下と恋人同士というのは大学病院で許されることではない。
「時期病院長を狙っている人間は、体制派でもある病院長批判をすることが非常に多いのです。
 私ならば、将来の病院長を狙うのなら、心の中でどんなに毒付いていたとしても思いっきり頼っているフリとか気に入られるような懐柔策で臨みますが、ね」
 斎藤病院長が「病院長の器に相応しい田中先生」と言っていたのはこういう考えが出来る人間だからというのもあるのだろう。
「そうだな……。私も体制批判をして、人気を上げて人心を掌握して味方を増やすのも一つの方法だろうな」
 祐樹が冷やした玉露を美味しそうに飲んでいる。
「体制批判イコール病院長への不平不満を言い募ることですよね。
 そういう人間を好きにはなれないでしょう。弱みでも握られていたなら尚更に。
 しかし、厳正なる選挙で選ばれたからには、大人の態度で『貴方の才能と実力に委ねます』と涙を呑んで握手でもしてから後を託すというわけです。この公に出ている部分だけだと禅譲ですよね。しかし、中身は全く違います」
 祐樹は根っからの病院育ちな上に、他の科の人脈も広いので、そういう悲喜こもごもの病院長選挙を知っていたのだろう。
「ですから、斎藤病院長が指摘した通り、斎藤病院長が最もお気に入りの貴方、そして斎藤病院長批判をせずにこれだけの人気と貢献度を持っていらっしゃる貴方に譲るという意味での『文字通りの禅譲』なのです」
 なりほどな……と思って感心して聞き入ってしまっていて、いつの間にかお箸が止まっていることに気付いた。
「唯一の不安要素があるとすれば……。祐樹と私の不適切な――いや、これは客観的な表現で、私はこの上もなく幸せで、祐樹と世界の人間全部という究極の二択を迫られれば、一瞬たりとも躊躇せずに、祐樹を選ぶ」
 「不適切」と言った瞬間に祐樹の勝気そうな眉が不本意そうに上がったので、慌てて言葉を思いつくままに話してしまった。脈絡もなければ文法的にもおかしいかもしれない言葉を。
 祐樹にこの程度のことで嫌われるとは思っていなかったものの、せっかく楽しいランチタイムの歓談中に祐樹の機嫌を損ねるようなことは避けたかったので。




______________________________________

宜しければ文字をクリック(タップ)お願い致します~!更新のモチベーションが上がります!




2クリック有難うございました!!更新のモチベーションを頂きました!! 




 

 
 

◆◆◆お知らせ◆◆◆

<夏>後日談の教授視点をこちらのサイト様にちまちま投稿しています。
https://novelba.com/works/882441


何も考えていなさそうで、そして主体的に動かなかった彼ですが、何故そういう風に振る舞ったのかを綴っています。
興味のある方は、是非♪♪
PCよりも、アプリの方が新着を通知してくれるとかお勧め機能満載ですし、読み易いかと思います~♪
こちらは不定期更新ですので、本当に投稿時間がバラバラですので、アプリのお気に入りに登録して頂くとお知らせが来ます!興味のある方は是非♪♪
<夏>後日談では祐樹が考えてもいなかったことを実は森技官サイドでは企んでいますので。





◆◆◆バレンタイン企画始めました◆◆◆

といってもそろそろネタもないため――そして時間も(泣)
ノベルバ様で「後日談」の森技官視点で書いています。


覗いて下さると嬉しいです!
また、本日も向こうの更新は済ませました!
両方とも、独白部分は終わって物語が進みます。
森技官は「夏」の事件でキーパーソンでしたが、割と簡単に人をこき使ったり、のびのびと振る舞ったりしていましたが、実際は彼もかなりの苦労をしています。その辺りのことを書いて行こうと思っています♪


       こうやま みか拝