「さてと……まだ時間は大丈夫ですよね?」
 来場して下さった人、全てにサインを終えた祐樹が小さな声で聞いてきた。
 ただ、見覚えのあるナース達、そして何故か見知らぬ女性達も多数会場の隅とか柱の陰とかでこちらを見ていた。そして長岡先生に付き添われた祐樹のお母様も。
 テレビ局のカメラマンとかレポーターは――野口陸士と同様に――時間の制限でもあるのか姿を消していた。
「ああ、あと6分は大丈夫だ」
 余りの人数の多さに終了時間が守れるかどうか内心危惧していたものの、ボランティアの的確な誘導と、サインを手早く終える術を学んだせいもあって行列は神業のように捌かれていったのは見事だった。
「では、皆様のご要望にお応えして……。撮影の準備は良いですか?」
 祐樹が極上の笑みを浮かべつつ、会場内にも良く響く凛とした声を上げている。
 女性達が手に手にスマホをかざしている。何故か長岡先生までも。
 何をされるかと胸の鼓動が薔薇色に脈打っている。祐樹が椅子から立ち上がったので、自分も立った方が良いのかと腰を上げた。
 檀上のテーブルの奥ではなくて、先程までサインを求めてお客様が立っていた場所へと移動する祐樹の広い背中を――何をする予定なのか未だ全然分からなかった。それに祐樹のお母様の目も気にしている感じだった――追って壇の上を移動した。
 滝のように流れ落ちる胡蝶蘭の花が一際見事に見える位置まで移動する。
 花屋さんで目にする単体の鉢植えとは異なって、これだけの量の花の洪水は圧倒的な華麗さを誇っている。
 祐樹が眼差しで合図をしてきて、了承の意を返した。
 先ほどの書店では腰を抱き寄せられたので、それ以上のスキンシップかと思いきや手首だけを丁重に掴まれて、持ち上げられた。
 祐樹は腰を落とした格好になって手の甲に唇を落とされた。
 中世の騎士が高貴な女性に忠誠を誓うような感じの恭しさと慈しみに似た口づけだった。
 その瞬間、ため息とか黄色い嬌声が会場内の熱気をさらに高めている。スマホの撮影音――その一台当たりの音はそんなに大きいモノではないだろうが、これだけの人数が一斉に立てたので、昔のカメラのシャッター音よりも遥かに高く響いた。
 腰を落とした祐樹の唇が手の甲に触れているだけなのに、唇にキスされるよりも薔薇色の心の弾みが大きくなってしまっている。
 それに手の甲だけでなく、身体中が薔薇色に染まっていくような気がして、笑みも更に深まった。
 祐樹のお母様がどのような反応をなさるのか気になって視線を転じると、お母様は満面の笑みを浮かべて拍手をしていた。
 それが合図になったのか、会場内からパラパラと拍手の音がし始めて瞬く間に万雷の拍手に変わった。
「それでは、お時間となりましたので香川教授・田中先生のサイン会をこれでお開きにさせて頂きます」
 店長のマイク越しの声が会場に響き渡った。
 こういう時には自分達ではなくて、運営側というか第三者の声が有った方がお客様も納得しやすいのだろう。
 祐樹も膝をついている状態ではなくて立ち上がって横に並ぶ。手の甲に唇の熱い感触は残っていたものの。
 そして二人して満面の笑みを浮かべて会釈を会場内に振り撒きながら会場を後にした。
 祐樹のお母様は目に涙――だろう、多分――を浮かべて見送って下さっていたのが特に印象深い。
 他の女性達は熱の籠った拍手を続けている。
「凄い反響ですね。どんな人気を誇る作家の先生でも会場内があんなに熱狂した感じになることは有りません」
 一時はどうなることかと気を揉んでいたと思しき店長さんが、イベントが無事に終了した安堵と思しき感じで話しかけてくる。
「そうですか……。ただ、作品で読者の方を魅了する作家の先生とは異なって私達は日頃なかなか会えない人達が応援に駆けつけて下さっただけです。
 基になる作品がないという点で根本から違うので、単純な比較は出来ないと思います」
 祐樹の言葉に――といってもどれだけが本音なのかは分からない――頷きながらも、心情表現の部分は「祐樹の作品だと思うが」という言葉が胸をよぎったものの、店長の耳を気にして仕舞っておくことにした。
「病院の方へかなり運びましたが、まだこんなに残っています」
 会議室めいた部屋には花束が山のように積まれていた。三店舗目だったので――当然重複して来て下さっている人達も多い――その量に驚いてしまう。書店のハシゴをして来てくれる人達は花束とか手土産を省略しても良さそうなのに、朝一番でサイン会をした書店よりも多い量の花束だったので。
「香川教授・田中先生お疲れ様でした。あの人数を良くこんな短時間で捌かれたと思います。同じ作業が延々と続いて大変でしたでしょう?」
 高木氏が一段落ついたことの安堵感からか、ゆったりとした笑みで迎えてくれた。
「いえ、同じ作業を延々とするという点では普段の業務とも似ていますのでそんなに疲れてはいないですね。
 少なくともミリ単位の正確さを求められるわけではないですので」
 ミリというのはあくまで例えで、実際はもっと細かな手作業の連続だったし、患者さんのバイタルの変化とか手術スタッフの動きなども集中力を何分割もして見ていなければならない普段の手技とは異なっていたので、そんなに疲れてはいないような気がする。
 ただ、表情筋の動きとかサイン会に来て下さった人とにこやかな対応をするという点の方が慣れていない。ただ、懐かしい顔とか思いも寄らない人が来て下さったので嬉しさの方が上回っていたのも事実だったが。
「ああ、なるほど、言われてみればその通りですね。次の書店も回線が繋がらないほどの反響だそうで、少し休憩を挟んで……先生方が宜しければ直ぐに移動した方が良さそうです」
 サイン会に誰も来てくれない――といっても作品の出来映えだけで判断される作家さんとは異なって自分達には病院が付いているのでサクラは一定量見込めたが――という悲劇ではなくてお客さんが多すぎて困るという嬉しい誤算の方が良いことだけは確かだった。
「書店に電話が殺到しているのは分かるような気もしますが、電話が繋がらないのに良くそんな情報が入手出来たのですか?」
 祐樹の疑念も尤もだった。確かに電話が繋がらないイコール「自分達のサイン会のせい」とは断言出来ないような気もする。
「いえ、書店の固定電話は確かに繋がりにくいのですが、裏ワザというか……」
 書店の狭い――しかも雑多なモノが積んであるので余計に――通路を歩きながら次の書店のことに思いを馳せた。




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        こうやま みか拝