「呉先生と森技官は一体何が好きなのだろう?」
 生真面目な表情でレシピブック――祐樹の母から貰ったもので、最愛の人がとても大切にしてくれている――を大切そうにめくっている人の隣へとワイングラスだけを持って移動した。こういう「日常」的な時間は心の底から寛いでいるのが分かるので祐樹の心も少しは浮上する。しかも最愛の人の手の込んだ料理とワインが有ったので尚更だった。
「貴方の得意な散らし寿司が良いのではありませんか?焼き鮭とイクラや大葉とか焼き海苔などをふんだんに入れたのは滅多に食べられませんから。それにあれだとゲストの箸の進み具合によって私達が遠慮することも出来ますよね?」
 しごく真面目な表情で頷きながら涼やかな切れ長の目を大きく見開いているのも。
「そう言えば、お客様を呼ぶのは…………この前の呉先生はノーカウントで…………初めてだな……」
 怜悧で端整な表情が曇ってしまっているのが痛々しくて見ていられない。
「呉先生はお客様というよりも押し売りの商人のようでしたから。それとも富山の薬売りというか……」
 時代劇も――祐樹は高齢の患者さんとのコミュニュケーションツールとして――観ている最愛の人が少し枯れかけの薔薇の花のような笑みを浮かべた後に取り繕った感じで咲き初めた薔薇の笑みに変わったのも。
「そうだな……。四人分だと融通が利く料理の方が良いのだろうな……。コンソメスープだったら野菜を星形とか色々な形に切って中に入れれば見た目も綺麗なのだが」
 料理の話をしている時は以前と同じくとても楽しそうな笑みを見せてくれたが。
「散らし寿司ですからね……。ああ、コンソメではなくて出汁と昆布のお吸い物にして別に煮た人参とか大根とかを綺麗な形に切って最終的に混ぜるというのは如何でしょうか?
 星形とか円形などの形を作るのは任せて下さい。貴方には劣りますが、あの二人よりは遥かにマシだと思いますし……感心させる自信は有ります」
 努めて快活そうな笑みと口調を繕っていることは自覚している。
「……ああ、なるほど。吸い物だと油分が少ないが、綺麗なことは綺麗だろうな。冷めても美味しいのを工夫する。後は肉か魚だろうか……」
 愛しそうにページを繰る最愛の人の細く長い指を――何事もなく動いてくれるのが何よりだったが――奇跡を見詰める信者のように眺めた。
「散らし寿司に鮭が入っていますからね、肉の方が良いでしょう。奇をてらって馬刺しとか?」
 もちろん突っ込み待ちの冗談で、案の定最愛の人は一瞬首を傾げた後に、小さな声で笑ってくれた。
「あの二人はそういう生々しいモノは食べられないだろう?筋金入りの血液アレルギーのようだし。
 お造りだと大丈夫なのだろうか」
 真剣に悩み始めた感じで年期の入った――祐樹の母が使っていた一般的な大学ノートなので――ページを繰るワインのせいでやや紅く染まった指を見詰めた。
「お造りは聞いてないのですが、バーベキューの、勿論焼く前の肉ですが……あれもダメだそうです。
 店員さんとかに焼いて貰ったのは平気らしいですが。あくまで森技官の話なので呉先生は知りませんが」
 心の底から不思議そうな表情を浮かべる最愛の人に同意の笑いを返した。
「その境目が良く分からないが、しっかり火の通った肉なら大丈夫なのだろう?吉○家には良く行くと聞いているので、あんなに何時間も煮込めば大丈夫なのかとも思えるが。
 いや焼肉でもしっかり火を通したのを供されるのは平気だったら、醤油味のサイコロステーキが良いかもしれないな。これも大皿に盛って好きなだけ食べるというスタイルで」
 他愛ない話をしている時の最愛の人は平静で静謐な感じの微笑を浮かべている。
 その笑みがこれ以上凍り付かないように祐樹も細心の注意を払って「普段通り」の笑みを浮かべ続けた。
「そうですね。柚子と胡椒を貴方独自のブレンドで振ったサイコロステーキも絶品ですからね。
 ああ、柚子はデザートのシャーベットと被るかもしれませんよ。あの砂糖に漬け込んだ柚子の皮は絶品ですが。程よい甘味と皮の噛み心地が最高に美味しいですので是非あの二人にも味わって戴きたいですが……」
 細い眉を楽しそうに寄せて唇にも小さな笑いの花を咲かせている最愛の人が、何だか触れたら壊れてしまう錯覚を覚えるほど儚くて、見ている祐樹を内心狼狽させてしまうほどだった、気のせいかも知れなかったが。
「ステーキに使うのは塩味を利かせた分だし、ステーキの香りの方がより濃厚なのでそんなに柚子の香りはしないので大丈夫だろう。あと何を用意すれば良いのだろう?あの二人に心の底から満足して貰うためには……」
 吉野○が常連との――いや、あの店はあの店なりにとても美味だとは思うし、味の素のような人工調味料は祐樹の舌を信じるなら、入ってはいない――恋人なのでそんなに多彩な料理を出さなくても充分満足してくれるとは思うが。
「和食というカテゴリーからは外れますが……以前カニクリームコロッケを呉先生が食べたがっていましたし、私も大好きなので是非リクエストしたいです。貴方のカニクリームコロッケを一度食べたら他の店のは食べられなくなりますので」
 料理の腕を褒められるのは――手技の冴えは世界中の外科医が知っているので他の人間も称賛を惜しまない――最愛の人が最も喜ぶことの一つだったし祐樹がリクエストするとよりいっそう笑みが深くなることも知っていたからここぞとばかりに言い切った。
「分かった。それならカニクリームコロッケもたくさん作れるし、ああいう料理は量に比例して美味しさが増すので、祐樹も楽しみにしておいて欲しい」
 極上の笑みの花を咲かせる最愛の人の唇にそっと唇を重ねた。
 もう、どこにも絡め取られないように祈りを込めて。











 
【お詫び】
 リアル生活が多忙を極めておりまして、不定期更新になります。
 更新を気長にお待ち下さると幸いです。
 毎日何かしらは更新出来るとは思いますが、私にも予測出来ない突発的なこともありますので早朝六時を目途にいらして頂ければ嬉しいです。
 我がままばかりで申し訳ありません。
 

        こうやま みか拝