「子供にもモテますね。嫉妬の範囲が広すぎて困ってしまいます」
 一瞬の隙をついて祐樹が笑いの混じった声で囁いてきて、僅かに頬が紅くなった。
「香川教授、田中先生おめでとう御座います。ますますのご清栄をお祝いにこうして参上した次第です」
 脳外科の一団が壇上に上がって、白河教授の祝福の言葉と同時に医局員全員が深々と頭を下げた。何だか物々しい雰囲気に一秒だけ呆気に取られた後に笑顔を返した。
 こういうふうに二人への祝福は個人的にとても嬉しくて目の前にある薔薇の花よりも心が幸せ色に染まっていく。
「有難う御座います。買って頂いただけでも嬉しいのに、わざわざいらして頂いて大変光栄です」 
 その光景を、人もまばらな感じのB列――病院関係者かつ義理で参加しただけの人――が驚きを隠せない表情で見ているのを視界の隅で見ていた。多分、明日のウワサの格好のネタになるのだろうが。
「いえいえ、我が医局の復権の機会を与えて下さった――あんな不祥事を起こしてしまった前科が有るにも関わらず――教授と田中先生にはお礼の言葉をこうして申し上げに参ることは当然だと思っておりますので。
 サインの前に『我が盟友の』と書いて頂ければ幸いです。いや、盟友だと少しおこがましい感じもしますが……」
 頭の中で適切な言葉を探している感じの白河教授が、何だか長考の構えのような印象を受けたので慌ててその言葉を書いた。何しろサイン会の列はまだまだ長かったからいつでも会える白河教授に時間を費やすわけにもいかない。
「身に余る光栄です……有難う御座います」
 何度もお辞儀をしながら隣の席へと向かった白河教授は祐樹にも頭が上がらない様子を会場内へと見せつける感じだった。
 まあ、その方が祐樹の病院内の評価が上がるので大歓迎だったものの。
「香川教授、この度はおめでとうございます。まさか白河教授に直々に声を掛けて頂けるとは思っても居ませんでした。しかも救急救命室の北教授にまで掛け合って下さるとは……」
 自分の順番が来るまで静かに待っていた清水研修医が感激したような声を弾ませている。
 救急救命室勤務から――北教授は白河教授を個人的に指導していた過去もあり仲は良いらしい――外して貰えたのだろうか。
「有難う御座います。それよりもお父様の病院からこんな素晴らしい胡蝶蘭を贈って頂いて……。ただ、真殿教授の方は大丈夫ですか?」
 清水研修医のお父様は斉藤病院長の「親友」なので、院内政治にも長けているだろうが、ご子息がそうだとも限らない。それに会場内には精神科のメンズナースの姿も見えたので、精神科には居辛くなるのも本意ではない。私服を着ていても筋骨隆々さなどで異彩を放つ一群だったので直ぐに分かる、精神科のメンズナースは。ナースから直接、真殿教授に伝わることは可能性としては少ないもののウワサとして流したのが上に行くこともまま有ったので。
「ああ、その点は大丈夫です。昨夜父から斉藤病院長に直接申していると聞いていますので。
 それに、私は外科医としての実績を積んでから実家の病院に戻りたいとしみじみ思えるようになりました。香川外科には久米先生もいらっしゃるので……。次善の策として脳外科に拾って貰えればなぁと考えていた時に白河教授からのお誘いが有ったので、父を巻き込んでみました。ドキュメンタリー番組でも私のユニットが放映されていましたので父は宣伝効果も抜群だと大変喜んでいました。
 こんな胡蝶蘭を贈るくらいでは香川教授や田中先生の御恩返しにならないかと思いますのでどうかお気になさらず」
 清水研修医は一度深々と頭を下げると祐樹の前に歩み寄っていった。
「桜木先生がこんな場所までいらして下さるとは思ってもいませんでした。有難う御座います」
 俗に言う出世とは縁のない――その点では自分と大変良く似ている――手術職人の自分の手技に確固たる自信に裏付けされた頑固な顔に珍しく笑みを浮かべている。
「いや、礼には及ばない。というか、アンタが病院長になるっていう話を叶えようとオレも出来るだけのことがしたくて、な……」
 ガタンと音がしたので隣を見ると椅子から腰を浮かせた恰好の祐樹が驚いたような表情を浮かべていた。
「おっと、田中先生には知らせていなかったのか……。まあ、この病院一丸となっての出版騒動が済むまで、それどころじゃねえと香川教授も考えたんだろ。
 根回しだけは外科の親睦会で済ませただけの話で、田中先生を決してないがしろにしたわけじゃないってことを分かって貰えれば嬉しいんだが」
 祐樹の方を見て取り成すように言ってくれる桜木先生に心の底から感謝した。
 確かに真っ先に伝えるべきなのは祐樹にしたかったものの、病院長選挙まで10年以上の時間が有ったのも事実で、先にこの出版に派生して起こる様々な事柄を二人で乗り切ってから話そうと思っていたのも事実だったので。
 サイン会の檀上の上で祐樹が我を忘れたような表情を浮かべている。その唇がどのような言葉を紡ぐのか内心息を殺して待った。
 桜木先生は意味有り気な感じで祐樹と自分の顔を交互に見ていたのも、この爆弾発言の行方が気になってのことだろう、多分。
 ただ、祐樹に先に言っておくべきだったと深く反省しながら。










 
【お詫び】
 リアル生活が多忙を極めておりまして、不定期更新になります。
 更新を気長にお待ち下さると幸いです。
 


        こうやま みか拝