「祐樹……」
 躊躇いがちな小さな声で呼ばれて、即座に起きた。
「お早うございます」
 バスロープ姿の最愛の人の腕を掴んで引き寄せると薄紅色の瑞々しい唇が祐樹の唇へと落ちてきた。
 ただ、平日ならともかく、休日に最愛の人が祐樹を起こすのは割と珍しい――時間的にタイトな職務をこなしているのは愛する人も密かに懸念してくれているようなので――のを内心怪訝に思いながら、細く長い指を付け根まで絡めた。
 熟睡している間はともかく、起きてしまえば一気に覚醒出来るのが祐樹の特技の一つなのでさして問題はなかったが。
 お早うのキスをこうしてゆっくり交わすのも久しぶりで、昨日の余韻の匂い立つような瑞々しい唇の感触を心ゆくまで楽しんだ後に、カーテンが全て開けられていることに気付いた。
 青いハズの空が雲で覆われている。まあ、最愛の人とこのホテルで過ごす場合、特に問題はなさそうだったが。
「祐樹……今を逃すと見られないかと思って……無理に起こしてしまってすまない……」
 薄薔薇色に染まった素肌とは裏腹に理知的で端整な容貌がとても申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「何ですか?今でないと見られないモノとは……、ああ……」
 分厚いタオル地からすんなりと伸びた手首を掴んで、ベッドから下りて数歩二人で歩んだ。
 厚い雲に覆われた空だったが、ところどころに薄い雲、そしてその薄い雲の切れ間から太陽の光りが地上へと降り注いでいる。
 自分達が居るのは34階だったので、地上で見るよりも天に近いような感じだったが。
「確かに珍しいですね。空腹でいらっしゃらないのなら、こちらへ」
 大きな窓の縁に腰を下ろすといそいそとした感じで横に座って祐樹の肩に頭を預けてくれる最愛の人の心地よい重みと、体温そして同じシャンプーの香りを堪能しながら、サラリとした髪を片手で梳いた。
「天使が下りて来そうな荘厳な雰囲気ですね。聡が私を起こしたかったのも分かるような気がします。
 こういう綺麗な景色は一人で見るよりも二人で楽しんだ方が良いとお思いになられたのでしょう?」
 二人の眼差しは太陽光と雲が織りなす荘厳な風景の方に向けられてはいたものの、肩に掛かる重みと繋いだ指を深く絡めた確かな感触を味わっていた。
「そうだ……。何時もの時間に起きてしまったので、外の景色でも黙って見て時間を潰そうかと思い立って、たまたま見つけて……起こさずにはいられなかった。休んでいるのに申し訳ないとも思ってしばらく躊躇っていたのだが……」
 言い訳めいた口調も――そもそも最愛の人の場合祐樹を怒らせることなど皆無だったし不機嫌にさせるようなことすらそんなにない――却って新鮮だったが。祐樹が誤解とか曲解をしてしまって、勝手に怒った時も呆然とした表情で黙って見つめ返されたことは有ったものの。
「あの雲の切れ間から下りてくる、確かな太陽の光りは本当に登れそうですね……。聡が起こしたくなるのも充分分かりますし、起こして下さって有難う御座います。
 綺麗な景色とか滅多に見られないモノなどは、なるべく共有したいので。
 『天国への階段』とか表現する人もいますよね?あれは……。まさに本当に階段そのものですから。
 もっと細いのは見た経験がありますが……ここまで見事なのは初めてです」
 感嘆を込めた声で言ってしまうほどの荘厳さに満ちた眺めだった。
「そうか……。それは良かった。祐樹を起こすほどの価値が有るのか自問自答を繰り返してしまっていたので」
 満足そうな小さな声がバスローブの厚みに吸収されて、小さな赤い可憐な花を散らすような錯覚を覚えた。
「綺麗ですね……本当に。
 隣に聡が居て下さっているので尚更そう思うのかもしれませんが。
 それはそうと、二人で初めて天橋立に行った時のことを覚えていらっしゃいますか?」
 何だか目の前の光りと雲の荘厳な饗宴に見惚れていると不意にもう随分と経った記憶が想起された。無駄な記憶は――全部覚えていられるほどの容量はあいにく持ち合わせていないもので――容赦なく脳裏から消去させてしまっているが、最愛の人と過ごした記憶は別枠で取ってある。
「もちろん覚えているが……?」
 いきなりの話題転換に戸惑った感じで肢体が揺れた。
「あの時、月が余りに綺麗だったので、聡が空中に誘われて行くというある意味現実離れした焦りを覚えました。
 しかし、今はあの階段……」
 地上に向かって何本も落ちている日光の中で最も存在感のあるものを指差した。
「あそこを目指して歩みだそうとなさっても、絶対に聡は私へと手を差し伸べて下さるでしょう?
 そう確信出来るようになった今の私はこの上もない幸せを感じています。
 物理的に無理という話しは置いておいて……。
 聡は私を置いて行かないという揺るぎない確信を持たせて下さって本当に有り難いと思います」
 切々と訴えるような口調が最愛の人に届いたのだろう、肩に載っていた重みがおもむろになくなるのと同時に祐樹の唇に紅色の唇が近付いてきた。
「そんな当たり前のことを……。
 ただ、確かに当時の私は今よりも言葉が不自由だったので……、そう思われても仕方ないのかもしれないな。
 以後更に気を付けるから、末永く宜しく頼む。
 あの太陽の光と同じように、いやもっと荘厳で輝かしい祐樹の存在が私を惹き付けて止まないので……。
 一目見た時からずっと惹かれていたが、その時よりも更に輝きを増した祐樹にいつも目を奪われてしまっている。今も、そしてこれからもずっと。
 二人で共に歩んでいける人生は、あの神々しい太陽の光りよりも素晴らしいと思えるので、生まれて来て本当に良かったと……そうしみじみと思える。私にとって祐樹の存在こそが太陽の光りそのものだ。
 今までも、そしてこれからもずっと。今まで有難う、そしてこれからも末永く……」
 言葉を紡ぐ唇が月の光よりも綺麗な笑みを浮かべていて、祐樹の心と魂を射抜くようだった。
 「こちらこそ」という言葉の代わりに唇で、そして背中に回した手で尽きもしない愛情を伝えた、言葉よりも雄弁に。
 今の最愛の人なら絶対に心と魂に届くという確信を込めて。
 空と地平が太陽の光りで繋がっているように、自分達も身体だけでなく魂まで繋がっている実感を込めた接吻を飽かず繰り返すだけで心も身体も満たされていく。
 天から光りだけでなく荘厳な音楽までが降り注いでいるような風景を二人で見詰めながら、太陽よりも揺るぎない永遠の愛を確信して笑みを零し続けていた。祐樹に体重を預ける最愛の人もきっと同じように微笑んでいることを心の底から喜ばしく思いながら。

                            <了>











 
【お詫び】
 リアル生活が多忙を極めておりまして、不定期更新になります。
 更新を気長にお待ち下さると幸いです。
 本当に申し訳ありません。




        こうやま みか拝