「やはり、祐樹は前髪を上げた方がよりいっそう魅力的だ……。
 一度この髪型で出勤してみたら、ナース達にも評判がさらに良くなって、来年のバレンタインのチョコの獲得数もよりいっそう増えるかもしれないぞ」
 洗面台の大きな鏡の前で鏡に映った祐樹の秀でた額が良く映えて凛々しさを増しているのを幸福この上ない気持ちで眺めた。
「他ならぬ最愛の貴方に褒めて貰えるのはとても光栄ですが……。
 ただ、昨日とは微妙に髪型が異なりますよね。しかもご自分の時には何も考えることなくただ上に上げている感じで……こんなに手の込んだことをなさらないでしょう。
 それに、前髪を下ろした貴方を特別な人にしか見せたくないのと同じく……いやそれ以上に私が前髪を上げた姿は貴方が独占して下さい。しかし、この髪型で昨日のポロシャツ姿は不釣り合いなような気もしないでもないのですが。
 あくまでドラマなどでしか知りませんが、社運の掛かった大プロジェクトのプレゼンとかそういう場所に立つビジネスマンが念には念を入れて理髪店で髪を整えて貰った後のような気がします。器用なのは充分承知していましたが、私にこんな手の込んだ髪型を作って下さるなら、ご自分でも可能ですよね。一度そういう姿も見てみたいです。
 それにバレンタインのチョコレートの多さはいわば『親しみやすい』職階に居るからですよ。貴方の場合、教授職なのでナースや事務の女性にとっても『雲の上』過ぎて恐れ多くて渡せないだけでしょう」
 今回の件でも思い知ったが――それ以前にも薄々は感じていたものの――大学教授という肩書きだけで人はあんなにも恐れ入ってしまうのだと肌で感じた。野口陸士のように上官命令――彼にとっては鬼より怖いだろうに――が有ってもおいそれとは話しかけられない人間だと認識されてしまうらしい。
「ああ、この髪型か?祐樹には似合うだろうな……と以前一瞬だけ眺めた雑誌のページを思い返して再生してみた。
 思った以上に良く似合っているし、そもそも男らしい凛々しさと理知的な感じが最高に調和している顔立ちなのだから、視線を逸らせなくなって困ってしまう……」
 鏡の中の祐樹の顔がよりいっそう笑みを深くして自分だけを見詰めている。
「え?貴方がファッション誌か何かを読まれるのですか?むしろそちらの方が驚きです。私は貴方の目だけを惹き付けておけば充分満足なのですが……」
 黒目がちの目を丸くして驚いている様子も――もともとそんなに驚かない恋人だけに――新鮮さに眩暈がしそうなほど胸が良い意味で騒いでしまう。
「ファッション誌ではなかったが、病院長命令で以前受けたインタビューが記事になって、取材の御礼がてらに送ってきたので他のページもパラパラとめくってみただけだが。
 そういえば、その特集も『ビジネスシーンで映える髪型』と書いてあったな……。言われてみれば……」
 祐樹に良く似合うとしか思わずに一流企業で働く男性をメインターゲットにした雑誌だったということにやっと気が付くという有様だった。
「ああ、ビジネスとか経済界関係の雑誌の医療特集でしたか……ああいう雑誌を御覧になったのなら納得です。貴方とファッション誌というのは思いも寄らない取り合わせだったのですが、医局とか他の医師達はきっと貴方と料理の本の方がもっと意外性に富んでいますよ、きっと。おおかた取材でも受けられたのでしょうが」
 料理は「自分でするもの」と何となく思い込んで自炊を続けていた――その方がお金の節約にもなったし――が、祐樹と相思相愛になってからは「祐樹の喜ぶ顔が見たいから」に変わっていた。ただ、自分で料理を作るという話をするとほぼ全ての人間が驚くので、最近は滅多に他人には言わないようにはしているが。相手も聞いて来ないので、それでいいのだろう、多分。
「そうだ。阪神電鉄で三ノ宮に行くのだろう?だったら、阪神百貨店にもきっと眼鏡屋さんがあるので、寄ってみたいのだがダメか……?」
 大阪のこのホテルには良く来ている上に祐樹が敢えて「庶民的」と言い換えてくれた阪神電鉄とかの地図は他の土地よりも色濃く頭の中に仕舞ってあるし、阪急百貨店の方が敷地とか規模も大きいことも知っているが祐樹の優しさでJRや阪急電車の近くには行かせたくないのだろうな……程度の察しは付いた。
「メガネですか?視力に問題でも?定期検査の時には何の問題もなかったハズですが?」
 祐樹の瞳が不審かつ心配そうな光を放っている。
「いや、全くそういうわけではないが、何となく寄ってみたいだけで……。
 それに非日常の世界でもあるし、私達には」
 最後の言葉は言い訳がましいような気もしたが、祐樹は多分視力のことを心配していただけのような感じだった――今は裸眼ではあるものの、視力の低下具合によっては手術用のメガネまで誂えなければならないし、手技の出来にも関わる由々しき事態になってしまう。実際視力を失ってしまって外科医を辞めた人も多数居る――その中でも特に有能かつ指導力の有る人間は手術の指導に回れるが――実質上は外科医生命を絶たれることになるかもしれない視力の減退だけが気になったのだろう。
「別に構いませんよ。貴方と一緒ならそれだけで楽しいので。
 ただ、この髪型にポロシャツは……」
 そんなにお気に召さなかったのかと肩を竦めてしまう。祐樹の髪を弄る機会というのは実は滅多にないので内心の弾んだ気持ちからついつい時間と手間を掛けてしまったのだが。
「だったら昨日のような自然な感じで後ろに流すか?一番祐樹に似合うかと思って後先も考えずに選んだ髪型なので」
 水溶性の整髪料なので、水で流せば大丈夫だろうと思って手首を翻したら祐樹の右手がすかさず止めた。
「せっかく私のために整えて下さったモノなのに崩すだなんて勿体ないです。色違いではあるもののお揃いの服に貴方が拘らなければ……来た時に身に着けていたシャツにノーネクタイならギリギリ大丈夫かと思います」
 ノーネクタイは内心少し残念ではあるものの、髪型自体は気に入ってくれたらしいことに安堵の吐息を零してしまう。
 ネクタイまで締められては、確かにポロシャツとコットンのスラックス姿の自分との不似合いさが目立ってしまうだろうが、祐樹の髪型を見て思いついた密かな野望には、本当はネクタイが有った方がもっと望ましいのも事実だった。
「昨日一日色違いのお揃いを着たのでもう充分堪能したし、シャツもスーツも全部クリーニングから帰って来ているので、そちらを身に着けたらどうだ。ああ、手伝おうか?」
 怪我の痛みは鎮痛剤が効いているらしくて平気そうな顔色だったが、何だか身の回りの世話を細々と焼くのは――普段は逆で祐樹の方がそういうのをしたがってくれたが――愛する人だからかもしれないが心躍る作業だった。










どのバナーが効くかも分からないのですが(泣)貼っておきます。気が向いたらポチッとお願いします!!


◇◇◇
一日二話更新を目指します(目指すだけかも……)



ちなみに時系列的には「夏」→「震災編」です。【最新の短編】は「震災編」の後の話です。




最後まで読んで下さいまして有難う御座います。
                   こうやま みか拝