手術スタッフは当然、オペ室に釘づけになっているし――祐樹も久米先生に替わってもらうまでは助手を務める予定だったので――主治医としての回診などは入っていないし、最愛の彼自身にしても祐樹は森技官のお供をしていると思い込んでくれているので自由に動ける分には有り難かったが。
 それにモニタールームは上からは手術の様子が手に取るように分かるが構造的に逆は有り得ないし、手技中にモニタールームを見上げるような余裕は、執刀医を務める最愛の彼も、それ以外の手術スタッフも各々の業務に集中しているので皆無だった。
 モニタールームの入口付近に最愛の彼よりもやや細身の呉先生が佇んでいた。
 相変わらず野のスミレを連想させる可憐な容姿の持ち主だった――そんな風にも耐えなぬ儚げな容貌なのに惚れた弱みはあるにせよ「あの」森技官を怒鳴りつける火のような気性を持ち合わせているのが何だか可笑しい。
「お呼び立てしてしまってすみません。しかもこんな場所まで……」
 祐樹にはまるで理解不能だが、血を見るのが何より嫌いな呉先生には――最初に出会った救急救命室ほどではないにせよ――鬼門の一つが手術室上のモニタールームだった。
「いえ、こういう場合ですから止むを得ないと思いますよ。井藤研修医は中に居るでしょうか?」
 定時に始まる――最愛の彼も執刀医の一人だが、他の二室も事情は同じだろう――手術は始まっていて、見学者は皆モニタールームの中に居るだろうし辺りに人の気配は全くないので情報交換とか雑談にはもってこいだった。
「それが……森技官の多大な協力によって脳外科の戸田教授が井藤から五千万円もの大金を振り込んだという証拠の品を掴みまして、それを白河准教授にリークして医局内クーデターを扇動してみたのですが、どうもその情報が教授に漏れたらしく執刀予定すら放り出して『東京に嫁に行った妹さん――こちらの調べで井伊玲子さんという名前までは分かったのですが――が心筋梗塞で都内の一の私立病院に救急搬送された』というウソまでついて雲隠れしたので、その事実確認をしておりまして。
 脳外科の医局は大混乱だそうですよ。当たり前ですが、執刀医が急に替わるなどは本来あってはならないことですし、患者さんに迷惑を掛けないようにするのに精一杯で、医局クーデターどころの騒ぎではなくなりました」
 心の底から苦い思いがこみ上げた。祐樹の狙いは狂気の研修医井藤一人で、戸田教授はおまけに過ぎないのに、その「おまけ」に振り回されているのだから本末転倒だった。
「医局クーデターですか。ウチの科の場合、教授が独裁者で准教授は年齢的に順送りで次期教授がほぼ確定しており、造反分子も皆無だったことからオ……いや私は諦めざるを得なかったのですが。
 五千万円……そんなお金が有れば……固定資産税がだいぶ……
 いや、そういう話しではなかったですよね、脱線して申し訳ありません。そんな大金を私的に受け取った証拠が有れば、野心に満ちた准教授だったら秘密裏に計画を練って教授に詰め腹を切らせることなど簡単でしょう。それが一番手っ取り早い方法ですよね。
 で、田中先生が扇動なさったということは、ウチの科の准教授のように忠誠心というか追従心の塊の人ではなかったということですよね。だったら何故一気呵成にクーデターに持ち込まなかったのか理解に苦しみます」
 元精神科所属――今でも籍は有るものの呉先生の場合は教授と大喧嘩して不定愁訴外来を立ち上げた経緯の持ち主で、不定愁訴外来は大学病院の中だけに存在が許されるブランチなだけに、そのこじんまりとした一国一城の主に収まっている呉先生だったが、火のように激しい気性を考えれば、彼だって医局内クーデターを起こしても全く不思議ではなかったものの、精神科は通称香川外科とは種類が異なるもののどうやら「一枚岩」のような感じだった。呉先生の可憐な花のような容貌からは不似合いなものの、ケンカするに当たってはクーデターが可能かどうかも一応視野に入れた感じだった。それに呉先生の場合は「あの」森技官と仲睦まじく暮らせているので、多少は「目的のためなら手段を選ばない」というメンタリティの持ち主なのだとシミジミと実感してしまう。
 呉先生の自宅――お屋敷と表現する方が妥当だろうが――にも何回も行ったことはあるが、確かに固定資産税が大変そうだし、井藤のように有り余るお金を用意出来て独立開業の道を選ぶことも難しいのだろう。
 それに呉先生の指摘もいちいち尤もで、白河准教授の杜撰さがこれほどとは思っていなかっただけに、祐樹としても頭の痛い問題だった。
 昨夜、白河准教授も人を集めるようなことはしないで、河上医局長と二人で戸田教授の自宅に乗り込んで――クーデターなので非常識な時間とかそういった「社会的常識」にはもはや縛られなくても良いハズだし――さっさと辞職願と共に後継者を順当に白河准教授にする旨を書いた斉藤病院長宛ての手紙を用意させるべきだったと痛切に悔やんでしまった。もうひと押し、白河准教授にアイデアを授けるべきだったが、後悔してももう遅い。
「井藤も、少し失礼します。ああ、やはり医局には出勤していないようですね」
 呉先生の可憐な野の花のような表情に不審めいた表情が浮かんだ。携帯のメールを確認してみたが、岡田看護師からのメールはなかったので、つまりは医局に現れていないということだろう。
「それでしたら、井藤研修医がこの中に居る可能性はほぼゼロではないのですか?
 私は、患者さんの予約が入っていない時間帯なので別に無駄足でも構わないのですが……。ゼロだったら……」
 二の足を踏む呉先生の心情は痛いほど理解は出来た、実感は伴わなかったが。
「先に入って様子を見て来ます。ああ、これは森技官に渡して戴けますか?ご覧になっても良いですよ、お暇でしょうから」
 長岡先生経由で手に入れた戸田教授の妹さんの個人情報の入ったクリアファイルを呉先生に手渡すと、岩松氏の公文書――といってもファックスで送られて来たものなので、正式な文書ではないものの、一見する限りでは分からないだろう――ざっと目を通した呉先生の表情が俄かに引き締まった。
 普段の温和さがウソのように消えて、怒りモード――ちなみにこういう表情をお屋敷で森技官に向かっているのは良く見かけたが、病院内では一度も見たことはない――に切り替わった。











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夏バテと相変わらずの体調不良で二話更新出来るかどうか微妙です。理想は三話更新なのですが……。
大変申し訳ありません。
 



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                            こうやま みか拝