祐樹の愛車を停めさせてもらっていた柳生さんの門の前のチャイムを呉先生が押そうとした時に、いかにも庭作業――多分水やりかなにかだろうが――中といったご夫妻がこちらに気づいて門を開けてくれた。
「結構な物まで頂いて申し訳ないです。そんなに気を遣って貰わなくても」
二日連続で車だけでなく部屋まで貸して貰うのに、その好意に報いるべきだと最愛の人が告げたので花火もどうせ買うのだからと百貨店まで行って好物だと聞いていた老舗和菓子店の豆大福の菓子折りを持参したのがいたくお気に召したらしい。
まあ、呉先生や森技官がご地域のコミュニティーにとけ込もうとしているようだったので、その「友人達」というか同僚達と思われているかもしれないが心証を悪くする必要はないだろうし。
「いえ、詰まらないものですが、お口汚しにどうぞ」
祐樹が代表して言うと隣に佇んでいた最愛の人も露に濡れた花のような笑みを浮かべてお辞儀を返した。
「いやいや家内も大好物を頂いて早速白玉を作ったので、こちらこそ詰まらないもので申し訳ないが召し上がって貰えると嬉しい。
部屋は昨日の和室を用意したが、こちらの方は昨日よりも格段に男っぷりが上がっているな。もう精神科の先生が陥るという『患者さんの精神に引きずられて』は治ったようで何よりです」
最愛の人の怜悧で薄紅に染まった表情をまじまじと見つめて驚いた感じで言って貰えた――祐樹もその変化を感じ取ってはいたものの――第三者に指摘されるととても嬉しい。
「はい、お陰様で何とか元の状態に戻りつつあるという確かな実感を抱いています。有り難うございました」
薄紅色にわずかに弾んだ怜悧な声が湿度の高い京都の町の一角を冷やしてくれるような感じがした。そして祐樹が心の奥底に抱いている斬鬼の念も僅かながらに揮発していくような気も。
「ああ、今朝の庭の手入れでな、大失敗をしてしまって……。瀬戸物の欠片が散乱している。一応掃除はしたものの、そこからあちらまでは飛び散ってしまっているかもしれんので、念のために気を付けて欲しい。
何しろ儂も家内も歳なもので、細かいモノは良く見えない。
こういう時に森さんが居てくれればあんな失敗はしなかったのに……」
森技官が庭仕事の手伝いをするという意外さに目をぱちくりさせながら、柳生氏が指さす辺りを注意深く見た。ただ綺麗に掃き清められているし、庭は土ではなく砂利なので瀬戸物の欠片は視力にも自信がある祐樹にも発見出来なかったが。
「分かりました。念のため立ち入らないようにします。
花火のお許しまで頂いて本当に有り難うございます。いつもいつもすみません」
呉先生が深く頭を下げたのも「親しき仲にも礼儀あり」を実践しているのだろう。
「炎天下で草臥れただろうから……。まずは水分を十分摂って休んだらどうかの?」
確かに――仕事では滅多に浴びない日光をふんだんに浴びたが――それがちょうど良い気分転換になった、祐樹もそして多分最愛の人にも。
ただ、熱中症を避けるという観点からは水分補給も大切なのも事実で――公園でも汗になって流れ出たと思しき分量のスポーツ飲料は飲んでいたが――少し休憩したほうが良いだろう。
「有り難うございます。ではお邪魔致します」
呉先生がひときわ大きな声で挨拶したのは台所で家事をしていると思しき奥さんにも聞かせるためだろうが。
柳生家は夫婦二人住まい――お子さんは独立して一人は東京もう一人はNY在住だと呉先生に聞いているが――早いご家庭だと夕食の時間で、本来ならば他人の家を訪ねるのに適した時間ではない。そして千年の都の伝統を持つこの町の昔からの住民ならなおさら禁忌なハズなのだが呉先生曰く「そういうのは気にしないご夫婦」のようで、穏やかな皺を刻んで微笑を浮かべる柳生氏の表情も呉先生の証言通りの和やかさだった。
「スイカまで有り難うございます。
昨日も頂いたのですが、とても美味しかったです。参考までにお伺いしたいのですが、このスイカの品種名は何でしょうか?」
最愛の人が――昨日言っていたように皮を漬物にする積りなのだろう――紅色に弾んだ声で質問をしている。
さりげなく手の甲だけを触れ合わせたが震えは全く感じなかったのも大変嬉しい。
「ええと、家内が買って来たものだから、おーいお前!」
白玉にふんわりとした抹茶の粉と思しき緑色がひときわ目に鮮やかだった。
「はいはい、あらいらっしゃい。呉先生はいつもだけれど……このお二人も目の保養になって。いや私ったら」
少女のようにはにかんだ若々しい仕草で頬に手を置く夫人の年なりに落ち着いた態度とは好対照だった。まあ外見のことを面と向かって――少なくとも祐樹は――慣れているので気にしない。それにようやく最愛の人も自分が人よりも優れた容姿の持ち主であることをやっと自覚してくれたのか曖昧な笑みを浮かべて「さほどのモノでは……」などと小声で呟くのも「普段通り」の感じだった。
「あのスイカなのですが……何という品種ですか?ぶしつけな質問で申し訳ないのですが、味も大変美味ですし、その上、皮もとても厚くてお漬物にしたいなと思いまして……」
最愛の人が漬物という日常のことまで気が回るようになったのも呉先生曰く大進歩だし、怜悧で端正な顔に仄かに浮かんだ瑞々しい笑みも昨日よりももっと綺麗な花を咲かせているようだった。
たった――祐樹の主観では何だか何年も経過したような印象を受けるが――二日間の恢復ぶりは目を瞠るばかりで、それもこの上なく幸せな気分にさせてくれるが。
「まあ、お漬物までなさるの……。今どきの奥さんでも作らないというのにとても立派ですわねぇ」
少女のようなあどけなさで感嘆の声を上げる夫人を見下ろす、涼しげな光を宿す無垢な眼差しが普段以上に煌めいて見えたのは祐樹の目の錯覚ではない。
「いえ、そういう作業が好きなだけで……立派とかそういうモノでもないかと思います」
怜悧な笑みを浮かべて真面目な感じで返答をする唇も薄紅色に染まっていたし、その上その口調は患者さんに容体説明とか手術前説明をする穏やかで理知的な落ち着いた声だった。
「少し待っていて下さいね。白玉を召し上がりながら。私の下手な字で書くよりもスイカに貼ってあったシールをお持ちする方が正確ですので……」
割烹着姿――京都の町ではこれが普通なのかどうか祐樹には分からないが――で、きびすを返すご夫人を見送って和室へと入った。
「白玉がこんなにたくさん……。祐樹に連れて行って貰った『辻利』では三つしか入っていなかったのが残念だった。いや、味はとても美味しいと思ったし、その後高台寺の裏手の『洛匠』の草わらび餅も、きな粉の粉末がとてもふんわりとしていてあんなに美味しいきな粉を食べたのは初めてだったが」
京都の最もメジャーな観光地でもある清水寺に行った時のことを思い出したのか、最愛の人の笑みがさらに鮮やかさと瑞々しさに匂い立つような感じだった。
「気に入って下さって何よりです。また参りましょうね。『洛匠』本店はあそこですが、JRの駅の店舗では草わらび餅だけでなくて、普通のわらび餅も売っているようですよ。
どちらがお気に召すか試してみるのも良いですね」
程よく冷えた白玉に抹茶が程よい苦みを加えていて、祐樹的には最高の味だが最愛の人には少し甘みが足りないような気もした。
「ああ、砂糖壺も添えてありますね……。これをかけたら貴方好みの味になるような気もします。
へぇ、これって和三盆の粉ではないですか?」
祐樹よりもはるかに食材などに詳しい人に淡い黄色の細かい粉末を見せた。
「ああ、本当だ。京都の人はこれを普段使いにしているのか……。
まあ、私も京都生まれの京都育ちだが、砂糖は普通のスーパーで買ったものだった……」
木の匙で最愛の人好みの分量と思しき――ただ和三盆の具体的な甘みがいまいち分からないが――分量を掬って白玉の上にかけた。
それにずっと子供達に寺子屋状態で教えていた人は甘味も欲しているだろうから多めに。
「有り難う、祐樹」
花よりも綺麗な笑みを零す最愛の人の寛いだ表情を見てこの上もなく心が満たされていく。
「結構な物まで頂いて申し訳ないです。そんなに気を遣って貰わなくても」
二日連続で車だけでなく部屋まで貸して貰うのに、その好意に報いるべきだと最愛の人が告げたので花火もどうせ買うのだからと百貨店まで行って好物だと聞いていた老舗和菓子店の豆大福の菓子折りを持参したのがいたくお気に召したらしい。
まあ、呉先生や森技官がご地域のコミュニティーにとけ込もうとしているようだったので、その「友人達」というか同僚達と思われているかもしれないが心証を悪くする必要はないだろうし。
「いえ、詰まらないものですが、お口汚しにどうぞ」
祐樹が代表して言うと隣に佇んでいた最愛の人も露に濡れた花のような笑みを浮かべてお辞儀を返した。
「いやいや家内も大好物を頂いて早速白玉を作ったので、こちらこそ詰まらないもので申し訳ないが召し上がって貰えると嬉しい。
部屋は昨日の和室を用意したが、こちらの方は昨日よりも格段に男っぷりが上がっているな。もう精神科の先生が陥るという『患者さんの精神に引きずられて』は治ったようで何よりです」
最愛の人の怜悧で薄紅に染まった表情をまじまじと見つめて驚いた感じで言って貰えた――祐樹もその変化を感じ取ってはいたものの――第三者に指摘されるととても嬉しい。
「はい、お陰様で何とか元の状態に戻りつつあるという確かな実感を抱いています。有り難うございました」
薄紅色にわずかに弾んだ怜悧な声が湿度の高い京都の町の一角を冷やしてくれるような感じがした。そして祐樹が心の奥底に抱いている斬鬼の念も僅かながらに揮発していくような気も。
「ああ、今朝の庭の手入れでな、大失敗をしてしまって……。瀬戸物の欠片が散乱している。一応掃除はしたものの、そこからあちらまでは飛び散ってしまっているかもしれんので、念のために気を付けて欲しい。
何しろ儂も家内も歳なもので、細かいモノは良く見えない。
こういう時に森さんが居てくれればあんな失敗はしなかったのに……」
森技官が庭仕事の手伝いをするという意外さに目をぱちくりさせながら、柳生氏が指さす辺りを注意深く見た。ただ綺麗に掃き清められているし、庭は土ではなく砂利なので瀬戸物の欠片は視力にも自信がある祐樹にも発見出来なかったが。
「分かりました。念のため立ち入らないようにします。
花火のお許しまで頂いて本当に有り難うございます。いつもいつもすみません」
呉先生が深く頭を下げたのも「親しき仲にも礼儀あり」を実践しているのだろう。
「炎天下で草臥れただろうから……。まずは水分を十分摂って休んだらどうかの?」
確かに――仕事では滅多に浴びない日光をふんだんに浴びたが――それがちょうど良い気分転換になった、祐樹もそして多分最愛の人にも。
ただ、熱中症を避けるという観点からは水分補給も大切なのも事実で――公園でも汗になって流れ出たと思しき分量のスポーツ飲料は飲んでいたが――少し休憩したほうが良いだろう。
「有り難うございます。ではお邪魔致します」
呉先生がひときわ大きな声で挨拶したのは台所で家事をしていると思しき奥さんにも聞かせるためだろうが。
柳生家は夫婦二人住まい――お子さんは独立して一人は東京もう一人はNY在住だと呉先生に聞いているが――早いご家庭だと夕食の時間で、本来ならば他人の家を訪ねるのに適した時間ではない。そして千年の都の伝統を持つこの町の昔からの住民ならなおさら禁忌なハズなのだが呉先生曰く「そういうのは気にしないご夫婦」のようで、穏やかな皺を刻んで微笑を浮かべる柳生氏の表情も呉先生の証言通りの和やかさだった。
「スイカまで有り難うございます。
昨日も頂いたのですが、とても美味しかったです。参考までにお伺いしたいのですが、このスイカの品種名は何でしょうか?」
最愛の人が――昨日言っていたように皮を漬物にする積りなのだろう――紅色に弾んだ声で質問をしている。
さりげなく手の甲だけを触れ合わせたが震えは全く感じなかったのも大変嬉しい。
「ええと、家内が買って来たものだから、おーいお前!」
白玉にふんわりとした抹茶の粉と思しき緑色がひときわ目に鮮やかだった。
「はいはい、あらいらっしゃい。呉先生はいつもだけれど……このお二人も目の保養になって。いや私ったら」
少女のようにはにかんだ若々しい仕草で頬に手を置く夫人の年なりに落ち着いた態度とは好対照だった。まあ外見のことを面と向かって――少なくとも祐樹は――慣れているので気にしない。それにようやく最愛の人も自分が人よりも優れた容姿の持ち主であることをやっと自覚してくれたのか曖昧な笑みを浮かべて「さほどのモノでは……」などと小声で呟くのも「普段通り」の感じだった。
「あのスイカなのですが……何という品種ですか?ぶしつけな質問で申し訳ないのですが、味も大変美味ですし、その上、皮もとても厚くてお漬物にしたいなと思いまして……」
最愛の人が漬物という日常のことまで気が回るようになったのも呉先生曰く大進歩だし、怜悧で端正な顔に仄かに浮かんだ瑞々しい笑みも昨日よりももっと綺麗な花を咲かせているようだった。
たった――祐樹の主観では何だか何年も経過したような印象を受けるが――二日間の恢復ぶりは目を瞠るばかりで、それもこの上なく幸せな気分にさせてくれるが。
「まあ、お漬物までなさるの……。今どきの奥さんでも作らないというのにとても立派ですわねぇ」
少女のようなあどけなさで感嘆の声を上げる夫人を見下ろす、涼しげな光を宿す無垢な眼差しが普段以上に煌めいて見えたのは祐樹の目の錯覚ではない。
「いえ、そういう作業が好きなだけで……立派とかそういうモノでもないかと思います」
怜悧な笑みを浮かべて真面目な感じで返答をする唇も薄紅色に染まっていたし、その上その口調は患者さんに容体説明とか手術前説明をする穏やかで理知的な落ち着いた声だった。
「少し待っていて下さいね。白玉を召し上がりながら。私の下手な字で書くよりもスイカに貼ってあったシールをお持ちする方が正確ですので……」
割烹着姿――京都の町ではこれが普通なのかどうか祐樹には分からないが――で、きびすを返すご夫人を見送って和室へと入った。
「白玉がこんなにたくさん……。祐樹に連れて行って貰った『辻利』では三つしか入っていなかったのが残念だった。いや、味はとても美味しいと思ったし、その後高台寺の裏手の『洛匠』の草わらび餅も、きな粉の粉末がとてもふんわりとしていてあんなに美味しいきな粉を食べたのは初めてだったが」
京都の最もメジャーな観光地でもある清水寺に行った時のことを思い出したのか、最愛の人の笑みがさらに鮮やかさと瑞々しさに匂い立つような感じだった。
「気に入って下さって何よりです。また参りましょうね。『洛匠』本店はあそこですが、JRの駅の店舗では草わらび餅だけでなくて、普通のわらび餅も売っているようですよ。
どちらがお気に召すか試してみるのも良いですね」
程よく冷えた白玉に抹茶が程よい苦みを加えていて、祐樹的には最高の味だが最愛の人には少し甘みが足りないような気もした。
「ああ、砂糖壺も添えてありますね……。これをかけたら貴方好みの味になるような気もします。
へぇ、これって和三盆の粉ではないですか?」
祐樹よりもはるかに食材などに詳しい人に淡い黄色の細かい粉末を見せた。
「ああ、本当だ。京都の人はこれを普段使いにしているのか……。
まあ、私も京都生まれの京都育ちだが、砂糖は普通のスーパーで買ったものだった……」
木の匙で最愛の人好みの分量と思しき――ただ和三盆の具体的な甘みがいまいち分からないが――分量を掬って白玉の上にかけた。
それにずっと子供達に寺子屋状態で教えていた人は甘味も欲しているだろうから多めに。
「有り難う、祐樹」
花よりも綺麗な笑みを零す最愛の人の寛いだ表情を見てこの上もなく心が満たされていく。
どのバナーが効くかも分からないのですが(泣)貼っておきます。気が向いたらポチッとお願いします!!更新の励みになります!!
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すみません、リアルで少しバタバタする事態になってしまったので、更新お約束出来ないのが申し訳ないです!!
最後まで読んで下さいまして有難う御座います。
こうやま みか拝