「『以上、当人に間違いがない旨読み上げた上、正しいと認めたので提出する』で、終わりですよ。後は教授のサインと押印ですね」
 最愛の人の精神的にも肉体的にも傷付いた一連の流れを追体験したせいもあって最後の方は祐樹の精神も「気息奄々」といった感じだったし、完全徹夜を三晩続けてした以上に疲労が肩に重く圧し掛かってきていて、達成感よりも疲労感とか罪悪感の方が強い。
「この人のサインに似せて書けば良いのでしょう?見慣れているので多分別人のように書けます」
 達成感の笑顔を取り繕って呉先生を見た。
 几帳面な感じの達筆の最愛の人の署名は公的にも私的にも見てきたので、何とか真似は出来そうだった。それに警察官は当たり前だが、最愛の人の署名など見たことがないので誤魔化せるだろうし。
「それにしても、この文書は何らかの法律に抵触しませんか?」
 姿勢を正して脳裏に描いた最愛の人の署名を再生しながら疑問を抱いた。
「ここだけの話、公文書偽造ですが、バレなければ問題ありませんし、100%露見はしないでしょう。法律なんて誰だって違反しているのが現状なのですから。
 たとえば田中先生も車をお持ちでしょうが、40キロ制限の道路を60キロで走ることに躊躇はありますか?
 病院内で良く聞くウワサに某医師が某ナースと不倫しているとかありますけれど、あれだって実際のところ名誉棄損罪に抵触するのです。
 しかし、訴える人間がいないので罪には問われませんよね?それと同じと考えて下さい。
 田中先生と私が香川教授の視点で書き上げる方が、教授の今の精神状態を更に悪化させるよりずっとマシですし……」
 60キロで走行した記憶は確かにあるし、警官に見つからなければ別に問題はないと個人的にも思ってしまう。それに最愛の人にこんなに身を切るような辛い思いはこれ以上させたくないのも事実だった。
「病院内の不倫のウワサもダメなのですか?それは知らなかったです……」
 ウワサに積極的に関与した過去はないものの、そういう話は良く聞いたのも事実だった。
「ダメらしいですよ、同居人によると。何でも社会的評判を落とす行為が違法らしいです。
 たとえその不倫が事実であっても、免罪符にはならないとかで」
 呉先生が華奢な肩を竦めてスミレ色の微笑を浮かべて力付けるように祐樹を見上げた。
「それは知らなかったです。まあ、森技官がそう仰るならそうなのでしょうけれど」
 「香川 聡」となるべく似せて書いて、書斎から勝手に持ち出したハンコを押した。
 A4サイズの警察官が使う罫線入りの用紙を6枚も使って呉先生と二人してでっち上げた「事情聴取書」を確認するように読んでから呉先生へと手渡した。書類の下にはいくつものハンコを押すと思しき場所が多数並んでいる。ここに警官が順次ハンコを押していき、最終的には最寄りの警察署長のハンコまで押されるのだろう。
「誤字が有りますが……。正しいとは言えないのでは……?」
 慎重に書いた積もりだったが、見直してみると三か所も漢字を間違っている。
「その点は大丈夫です。警官だって誤字脱字をよく仕出かすらしくて……ソコは問題にはならないとかで。
 あ、同居人に電話を掛けて来て良いですか?」
 出来上がったという一報を入れる積もりだろう。そもそもの管轄では警察官僚の島田警視正がこの件では中心人物になるハズだったが、何故か厚労省の森技官がリーダーになっているのが可笑しいといえば可笑しいが、そこは適材適所だろうし島田警視正も割と森技官に振り回されている感じだったので、従来の力関係は森技官の方が上なのだろう。
「どうぞ。お疲れ様でした。呉先生も遅くまで付き合わせてしまって申し訳ありません」
 昼夜を問わず働いている祐樹とは異なって、呉先生の場合はほぼ定時上がりというある意味羨ましい生活スタイルなので疲労とか眠気とかには祐樹よりも弱いハズだった。
「いえ、田中先生の方がお疲れでしょう。
 教授のこのご様子でしたら点滴を抜いても大丈夫なようですね……。眠っているうちに点滴の針が抜けるほうが問題ですから」
 輸液パックはほぼ空になっていて、時間の経過が思い知らされたが呉先生は点滴を中止して蒼褪めた腕に刺してあった注射針を精妙な手際の良さで抜いた。
 薬の効果のせいか、昏々を眠っている最愛の人の広い額に汗の雫が浮いているのを痛ましく見つめた。
 呉先生がリビングルームのソファーに移動したら身体も含めて優しく拭わないとならないな……と心を焼くドライアイスの冷たさを纏った魂の欠片の痛みに耐えながら思った。
「直ぐに警官がここに調書を取りに来るらしいです。その応対が終わったら、このご様子では朝まで起きないでしょうから、私達ももう休みましょうか?
 本来ならば私が応対すれば良いのですが、何しろ教授のマンションなので使い勝手が全く分からず……田中先生にご迷惑をお掛けしてしまってすみません。
 あと、最寄りの警察署長が平謝りに謝っていたらしいですよ」
 祐樹も同居というか同棲を始めた頃は使い勝手が分からずに随分面食らった――実家は小さいとはいえ一戸建てだったし、学生時代から継続して住んでいたのはマンションというよりアパートと言った方が適切な下宿だったので――ので呉先生の困惑は良く分かった。
「はい、その点は大丈夫ですが、何故警察署長が平謝りなのですか?」
 ベッドの中で僅かに身じろいだ隙に右手を離した。警官が来るのにこんなバスローブ姿では流石に失礼だろうから。
「この辺りを重点的にパトルールして下さっていたにも関わらず、犯行を許してしまった件らしいですね。
 普通は厚労省管轄の麻薬取締官と所轄の警察は仲が悪いのですが、ここの署長は『縄張り争いよりも犯人を確保する方が合理的だし情報を共有すべきだ』という観点から何かと協力的らしいです。
 警官にしては珍しいタイプのようですが、キャリア組らしい合理的な考えをする方のようでして、その点は同居人だけでなく厚労省も高く評価しているらしいです。
 だだ、パトロールの隙を衝かれた点――マンションの近くで『逮捕・監禁罪』及び『覚せい剤及び麻薬取締法』違反者が出たということに責任を痛感しているとかで……」
 北教授が先に被害届を出しているので、それで知ったのだろうか?アイツの罪状が一個余分に付け加わっていることに気付いたが、森技官が素早く手を打ったに違いないので黙っておくことにする。
「ああ、なるほど。ただ、スタンガンとクロロフォルムですし、アイツは車まで用意していたので、そんなに都合よく捕まるものでもないでしょう。
 謝るほどのことではないかと……」
 祐樹と異なって警察は多数の事件を抱えているだろうし、一個一個が未然に防げるものでもないだろう。祐樹などは一つの事件だけでも未然に防げるだけの情報を持っていながらも最愛の人を守りきれなかったのだから、無力感とか罪悪感は祐樹の方がよりいっそう心を苛み続けている。
「確かにそうですね。この辺りには緊急配備が掛かっているそうで、島田警視正でしたっけ?あのベンツの持ち主は。あの人も警察署に臨場して出番を待っているそうです。
 緊急配備――略して緊配と言うそうですが――で非番の警官までもが各方面の道路などに居るそうなので、直ぐにこの書類も取りに来るハズです」
 キンパイという、祐樹にとっては聞き慣れない言葉だったが、最後の言葉を聞いて慌てて着替えのためにクローゼットを開けた。
 祐樹が何をしようとしているのかを察したらしく呉先生は「キッチンでコーヒーを淹れます」と言って出て行った。
 シャツとスラックス姿になってキッチンに向かう途中で、エントランス――流石にこの深夜に受付嬢は居ない――から部屋番号を押したチャイムが小さな音を響かせた。
 あれだけ深い眠りについている最愛の人はこの程度では起きないだろうが、夢を見やすいレム睡眠――最近の研究では異論も唱えられていて専門家でもないのでそれほど詳しくはないが――に移行しなければ良いと切実に思いながら、コーヒーの香りで満たされたキッチンの小さな画面に映った人間が制服を着た男性二人の警官なのを確認してからエントランスの開錠をした。
 呉先生は先程まで二人で祐樹最愛の人が知っている情報を全て書き切った――アイツの名前とかは知らなかったハズなのでそういうコトは一切伏せた――書類を丁寧に折りたたんで、幾分緊張した感じの表情だった。逆に祐樹の方は精神を使い果たしたせいか落ち着いていたが。
 警官相手にも尤もらしいウソくらい平気で言えそうだった。というより、最愛の人をあんな状態に追い込んでしまったという罪悪感から一時的とはいえ逃れられることが出来る方が随分心は楽になる。













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本日は【二話】更新を目指しますが、二時間を目途に更新されなかったら「力尽きたんだな」と思って下されば幸いです。

 
ちなみに時系列的には「夏」→「震災編」です。


最後まで読んで下さいまして有難う御座います。
        こうやま みか拝