「え……。ええと……」
 最愛の人は舞台の上でセリフを忘れた――と言っても祐樹は舞台鑑賞をした経験はなかったけれども――主役の役者といった表情を浮かべていた。
「祐樹に向かってそんな言葉を言うことなど想定していなくて……」
 困惑めいた溜め息を零す彼を力付けるように微笑んだ。
「貴方はこれから病院長選挙に出馬なさいますよね?斎藤病院長ほどの演技力とまでは申しませんけれども、海千山千の教授達に対してはそれなりの演技力も必要になって来るでしょう。ご存知でしたか?斎藤病院長が実は小心(しょうしん)翼々(よくよく)な性格だったということを……?」
 彼は涼し気な切れ長の目を大きく(みは)って祐樹を見ている。そういう無垢で無防備な感じは祐樹しか知らない表情だろう。
「え?その対義語の豪放(ごうほう)磊落(らいらく)な性格ではなかったのか……。病院長室で二人きりで話す時も教授会でも少なくともそういった印象だったし、細かいことには全く動じない人だとずっと思っていた……」
 その点は――病院長と祐樹はそれほど接点があるわけではないので彼の(ほう)が詳しい――清水研修医から救急救命室の凪の時間に聞いた時には驚いた。
「それらも全て演技だったみたいですね。清水研修医のお父様がそう仰っていましたらしいです……。大学生の時から何しろあのお二人はずっと親友というか盟友というかそう言った関係性だったことはご存知ですよね。学生の頃は手術の度に『失敗したらどうしよう』とずっと同級生の(よしみ)からか延々と電話を掛けていたらしいです。勿論病院長選挙の時もそうだったようです。つまり斎藤病院長はずっと教授会では演技なさっているうちにそれが自分の性格だと思い込んでしまわれたのか、それとも今も(なお)お芝居を続けているのかはご本人しか分からないでしょうが。
 ただ、清水研修医がウソを言うようなタイプではないこともご存知でしょう?つまり病院長になるためにはウソとまでは申しませんが少しはお芝居をする必要が有るのです。まあ、腹黒(たぬき)みたいな異名は貴方には必要ありません」
 言葉を重ねるにつれて最愛の人の表情が変わってきた。
「分かった……。『
その件は後で詳しく聞く。上司と話し合った上だが降格もあり得るから覚悟するように』」
 血相を変えたという感じで力強く言い切っていた。失望という感じではなくて怒りを滲ませた雰囲気がとても良く伝わってきた。
「そうです。そんな感じで良いかと思います。流石に上達が早いですね……。まあ、魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)する大学病院ですからお芝居も時には必要になるかと思います」
 労わる積りで最愛の人に笑いかけると、何だか10時間に及ぶ手術(オペ)を終えた外科医といった感じの疲労感を滲ませていた。といっても彼の十八番(おはこ)である心臓バイパス術はそんな長時間の手術はしないので見たことはなかった。
 そして、祐樹が知る限り最もストレスの掛かった国際公開手術の後でもここまでの疲れた表情は浮かべていなかったので、この先こういった芝居が必要となった場合は祐樹が全身全霊でサポートしなければならないなと硬く決意した。
「祐樹に褒めて貰ってとても嬉しい……。ただ、物凄く疲れた……」
 そう紡ぐ唇に唇を重ねた。
「ご褒美のキスです。病院長選挙の時もこのように全力でお支えしますのでそんなに気に病むことはないかと思いますけれども……。取り敢えずは明日、西ケ花さんのマンションに行ってじっくりと話を聞きましょう。いや、捜査かも知れませんが。ただ貴方の分析力のお蔭で彼女が怪しいというのが分かっただけでお手柄だったと思います。私一人では多分辿り着けなかったでしょうから」
 肩に置いていた手を上げて頭をポンポンと叩くと最愛の人は水を換えた花のような笑みを浮かべてくれた。
「そうか……?祐樹がそう言うのならきっとそうなのだろうな……。このプリントアウトした紙は持って行った方が良いのだろうか?」
 気持ちの切り替えが早いのも外科医の適性の一つだと言われているけれども最愛の人もその点は完璧だと惚れた欲目ではなく心の底から思った。
「エビデンスは多い方が良いので勿論持って行きましょう。あと、戸籍謄本のコピーとか森技官から送られて来た生命保険のデータも必要ですよね……。ラインの情報って何だか薄っぺらいので紙媒体にしたほうが尤もらしいですよね?ああ、先に佳世さんから戸籍謄本のコピーを貰った方が良いですかね……」
 最愛の人が大輪の花のような笑みを浮かべて祐樹を見ている。
「ラインから紙にプリントアウトする方法は知っている。祐樹のスマホ、ロックを外して貸してくれないか?」
 水を得た魚のようにパソコンの細く長い指が祐樹のスマホを操作していたかと思うと、軽やかに身を翻して執務用デスクのパソコンに向かっている。程なくプリンターが音を立てた。
「へえ……。画像だけを印刷出来るのですね……。それは存じ上げなかったです……」
 彼の博物館並みの知識量は知っていたものの、こんなことまで出来たのか……と感嘆の面持ちで見てしまった。「雑誌に載っていたので偶々知っていただけなのだけれども。ああ、佳世さんのお宅に一回寄ってからマンションへ帰った方がいいか?」
 瑞々しい花のような笑みを浮かべた最愛の人に見惚れそうな視線を時計へと無理やり転じた。
「この時間だとギリギリかとは思いますが、ダメ元で電話してみましょう」




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本日もリアル生活が多忙でして、更新時間が大幅に遅れてしまったことをお詫びいたします。
 こうやまみか


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