「お早うございます」
 実際のところ30分程度早く目覚めて祐樹の胸に頬を預けた格好で満足そうな笑みを浮かべて寝入っている人を飽かずに眺めていたのだが、昨夜の愛の交歓の余韻の残る薄紅色の目蓋(まぶた)が動いたのでそう告げた。
「祐樹……お早う……」
 昨夜の行為が激しかったせいか、彼にしては何だかぼんやりとした声と眠そうな感じだった。
「お昼ご飯に例のお店に行くだけですから、もう少し眠られてはいかがですか?」
 無理をさせて体調を崩してもいけないと思う。腕の中に居る最愛の人は祐樹だけが独占出来るけれども、デートを終えて京都に帰れば彼の手技を慕っている患者さんが多数待機している「公器」だ。その辺りの線引きは社会人として当然だろう。
「祐樹の腕の中がとても気持ち良いので……あと30分……」
 扇のような睫毛が重そうに震えている。寝起きの良い人がこんなに眠そうにしているのも珍しい。
「30分と言わず、1時間でも大丈夫ですよ……。ゆっくり休んで下さい。こうして聡の寝顔を見ているだけで充分過ぎるほどに幸せですから……」
 祐樹の身体に血統書付きの猫のように肢体を()り寄せて(もた)れ掛かるとコトンと眠りの国へと舞い戻っていった感じだった。
 きっちり30分後に再び目を覚ました最愛の人は普段の、というかプライベートで寛いでいる時に祐樹だけに見せる笑みを浮かべていた。
「祐樹、お早う」
 薄紅色の唇にも「お早う」の挨拶を交わした。


「これは一体何ですか?」
 夏のデートの時に最愛の人が「行ってみたい」とリクエストしたお店の二階の一角で(ひな)びた感じの小鉢に盛りつけられていた料理をスタッフの人に聞いている。昭和、いやもしかしたら大正時代に建てられたと聞いても驚かないようなお店の雰囲気にはこういう食器が相応しいのだろうが。ぎしぎしと軋む階段なども非日常を醸し出していた。
「これはお通しの、土筆(ツクシ)と菜の花の古漬けです。春でしたら菜の花の黄色と葉っぱの緑が綺麗なんですが、長い間漬けているので色が落ちてしまって……。ただ、味は落ちていないというか深みが出ていると評判の一品です」
 仲居さんというよりもパートの主婦といった風情(ふぜい)の人だったが。
「菜の花のお漬物ですか……春だと綺麗でしょうね。土筆とは同じ容器で漬けるのですか?」
 最愛の人の切れ長の目が異なった意味で輝いている。京都は基本的に古漬けがメインだしぬか漬けも多い。なので見た目の美しさという点ではイマイチなのも事実だ。だから最愛の人は菜の花のお漬物の作り方を聞きたいに違いない。
「いえいえ、土筆は灰汁(あく)が有りますからまずはその苦みを程よく抑えないといけません。菜の花の色を楽しむのでしたら、摘んできて熱湯をかけた後良く絞ります。そして水と塩を混ぜた物と一緒にビニール袋に入れて冷蔵庫で一日寝かせれば浅漬けの出来上がりです。……ただ、当店のはもっと工夫がされているでしょうが、そういうのは代々の料理人にしか受け継がれていかないので分からないです……」
 済まなそうな感じで告げた後にガスコンロに火を点けている。ポッという音と共に懐かしい香りが辺りに漂った。「有難うございます。ああ、これは昆布(こんぶ)と鷹の爪が隠し味ですね……。とても美味しいです」
 満足そうにお箸を動かしている最愛の人の薄紅色の指が綺麗だった。
「鷹の爪……ですか?ああ、そう言えば菜の花の浅漬けに鷹の爪の赤さを加える家もありますけれど、見た目が良いからそうしているものだと思っていました」
 多分最愛の人は春になったら土筆と菜の花を採りに行きたいと言い出すだろうなと思いながらほろ苦い土筆の漬物を口へ運んだ。ただ、満開の菜の花の中で楽しそうに微笑む最愛の人の姿を見るのも悪くないというか大歓迎だったが。
「当店自慢の牡丹(ぼたん)鍋です。お鍋が煮立ったら入れてください」
 鮮やかな赤と脂身の白が本物の牡丹の花のようでとても綺麗だった。別のお皿には山菜とか(きのこ)とか鍋には定番の白菜(はくさい)などが盛られていた。味噌がベースなのか、お鍋からは良い香りがホカホカと漂っている。
「大根を入れるのは珍しいですね」
 おでんなら定番の大根だが、お鍋の時は滅多に見かけない。
「牡丹鍋は、こんなに脂身が多いので――と言っても見た目よりはずっとヘルシーですけれど――大根と絡み合って美味しいです。東京からいらしたお客様に伺ったのですが、あちらでは確か……『雪鍋』とかいうすりおろした大根をたっぷり作って脂の多い豚肉(ぶたにく)の味をやわらげながら食べるお鍋があるらしいです」
 向いに座った最愛の人は火加減を気にしながらも熱心に聞いている。雪鍋は聞いたことのない料理だが、雪は、すりおろした大根の意味だろう。そして最愛の人はそのうち作ってくれそうな気がした。料理が好きな人だが、お鍋は簡単に出来てしかも不足しがちな野菜も摂ることが出来るので一石二鳥だ。
「そろそろ大丈夫そうだな……」
 スタッフが他のお客さんに呼ばれて行った後は最愛の人は注意深くお鍋を見ていた。猪の肉というのがどんな味か、そしてお鍋の中の味噌とかの出汁(だし)でどう味が変化するのか楽しみだ。
「ん……美味しい……。日本酒が吞みたくなる味だ……」
 最愛の人がこの上もなく満足そうな笑みを浮かべている。少しクセのある味だったが、噛みしめるとジュワっと大地の豊潤さを彷彿とさせる感じだった。呑む時には呑むけれどもアルコール必須ではない最愛の人がそう言うのも尤もな味わいだった。
「日本酒を頼みますか?私は車なのでノンアルコールビール程度ですけれども……」
 お鍋の湯気の向こうの最愛の人は幸せそうに、しかし断固とした感じで首を横に振った。
「祐樹と同じ味を楽しみたいので今は呑まない。ただ、この出汁の作り方は大体分かったので買って帰ろう。自宅で作った時に一緒に日本酒を呑むと絶対に美味しい」
 猪の肉は初めて食べたが最愛の人と同様に祐樹も気に入った。
「それは楽しみです……。血や土の味が濃いのかなと思っていましたが、そうではないみたいですね。上手に消してあるのかもですが……。もっと生々しい感じだったら森技官に食べさせようと思っていたのに、残念な誤算です……」
 半ば本気、半ば冗談で言うと最愛の人は鮮やかな紅い牡丹を彷彿とさせる唇で微笑んでいた。
「松茸とか柿とか色々な収穫があって……。もちろん貴方と二人きりの時間はどれも宝石のように貴重ですが、今回の小旅行は格別に楽しかったです」
 真率な口調で告げると最愛の人も花よりも綺麗な笑みを浮かべている。
「私もとても楽しかった……。こういう旅行―-もちろん夜の時間も込みで……。また祐樹とこうしていたいなと思ってしまう……。帰りたくない気分になってしまうのが切ない気もするけれども……」 
 少し寂しそうな響きを含んだ弾んだ声が今の心境を如実に表しているのだろう。
「冬には雪深い里で二人きりになりましょう。春は菜の花摘みと土筆探しですよね。良いスポットを探しておきます」
 目を(みは)って嬉しそうに頷いている最愛の人の顔が良い香りと幸福そうな湯気を透かして見えて祐樹の心の底まで温めてくれるようだった。

          <了>




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<秋>無事に終わってホッとしています。季節はもう冬だし……と毎回自分にツッコミながら書いていました。読んで下さった方、有難うございます!!


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